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(サラ)
http://www.asyura2.com/0502/bangaiti1/msg/2068.html
さすがサラ、評論にしてしまったな。こういう文章も書けるわけだ(ゆえに、もごもご)(笑)
そして同じ国で、同じ番組を観ていたわけだから、これもシンクロといえるだろう(ゆえに、もごもご)(笑)
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俺としては、ファインアートを志す邦人が、国際的評価を得るために、むしろローカリズム(ディスカバー伝統美)に走るという“逆立ち”が嫌だった。たしかに西洋人には真似の出来ないリソース活用ではあるだろうが。
西洋の呪縛のなかで、伝統の旋法・書法・質感・メティエの呪縛に身を委ねていくネスト(入れ子)というのが、どうもね。
その点、初めから伝統の内部に入り込み、伝統そのもので勝負するという姿勢は、大いに評価できるだろう。
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ミニマリスムは応用美術では、今も盛んなのか?
俺はミニマリスムを、昨日も展開したかったが、時間が無かったな。
尤も「本文なし」の投稿では、コミュニケーション内容は、タイトルと本文を反転させるようにして
切りつめているはずだし、形式も、配列においてミニマリスム的ではあったろう。
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馬鹿が、ナンパのため、ないしはコミュニケーションそのもののために中間構築をしているようだが、そういう連中に対して、俺の本分がミニマルエシックスであり、滅却であり、情報量の少ない「荒らし行為」だとすれば、ミニマリストを名乗っても、不自然は無いかもしれない。
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安藤忠雄は、いつも賛否両論だな。
都市計画は、ビジュアルな社会設計で、感心できかねるものと思っていたが、
公共の場を使って、独断的に自分の世界にしてしまうのが、
荒らし以上に、荒らし的だと、ちょっと面白かったわけだ。
(参考)
安藤忠雄は、あん・ただ!
http://www.asyura2.com/0502/bangaiti1/msg/602.html
疲れるといえば疲れるにしても落ち着くといえば落ち着く空間だ(笑)
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「無駄な空間」と「無駄に広い空間」の心理作用、延いては、活用法というものは。
有機的な人間には憩いや潤いとなるものが、合理主義者には無駄であったり
ストレス源で、“幼児・老人を含む身体障碍者”には辛くて、精神障碍者には
安寧な、喧騒に遠い世界なのかもしれない。(それは個別的な
使用による公共空間の不可能性といったものなのであろうが)
しかも広過ぎることで解放感がありながら、
重厚なために圧迫感が生じるなどで‥‥。
(センターが集客場ならば寂しさには抗していても)
結局、どう作ろうが何%かは価値を見出す、と(笑)
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