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(回答先: 楢の芽や 記憶で光りて 巻き戻す 投稿者 ょろろ@本文なし 日時 2005 年 3 月 05 日 02:52:50)
忠久は源頼朝の長庶子。母は比企判官能員の妹丹後局と伝えられております。
始め丹後局は、頼朝の寵愛を得たため、その正妻北条政子に疎まれ、潜かに西国に逃れることになりました。途中、摂津国住吉まで来たとき、局は俄かに産気付き、住吉神社の境内で後の忠久を出産しました。時は平安朝も末期、治承三年(1179)十二月晦日も夜の更けた頃のことでした。この夜、雨が激しく降って出産の前後を浄め、境内にある末社稲荷神社のお使いといわれる狐が火を灯して局の身を守ったと伝えられ、これが「島津雨」と島津氏の稲荷信仰のはじめとなりました。神社の境内には今に「お誕石」も遺されております。
政子、雅子、よっぽどの因縁だな!(爆)