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(回答先: 誰が誰に 投稿者 恵子 日時 2005 年 2 月 19 日 15:40:58)
阿修羅の内外で、木村愛ニさんが、右も左も批判しておられるようですね。木村愛二さん自身が、元エリート学生であり、
元エリート社員であるようなことを除いても、知識の優位性を随所で説かれるかの態度を支持できるわけではないでしょう。
しかし、民衆法廷批判で木村愛二さんの存在感を知ってから最近の“お山の大将”でしたかの発言まで、どれほどエリートが
デタラメをしているかと追及の手を緩めない姿勢は評価せざるを得ないはずです。けっきょくエリートは管理する人なのですね。
エリートは、管理能力を以て社会の要所に組み込まれ、保身的に自己を活かすような、そういうアイデンティティーをもっていると
思うわけです。ところがエリートには善悪を管理する能力も無ければ、さりとて、その管理を相対化する能力も無いと思うのですね。
彼らは、目的を規定し、その作られた善へと人をけしかけ、管理の必要を規定し、その作られた必要で利益を得ているのでしょう。
そういう根本的な知的欺瞞、とくに善というものが、右であれ左であれ生成するプロセス、これが「滅却」すべきテーマであるはず
です。一般化したモデルでエリート自身を取り扱うとともに、理念という大枠の「コミュニケーション内容」を滅却すべきでしょう。が、
仏教をすら滅却できるほどの滅却の滅却力をもってしても、構築が、それを押し流す魅力を持つが故に逆構築を要するのですね。
(職業「多数化」リーダーとしてのエリート)