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(机の上の空 大沼安史の個人新聞)
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2005/12/post_ae3b.html
カルロス・アレドンドさんは44回目の誕生日のその日、携帯を手に、イラクの戦地からの、お祝いの電話を待っていた。
イラクの戦地にいる、息子のアレキサンダーさん、海兵隊上等兵からの「ハッピー・バースデー」の声を。
昨年(2004年)8月25日のことだった。
現在、マサチューセッツ州ロスリンデールに住んでいるカルロスさんは当時、フロリダ州のハリウッドに暮らしていて、その日はたまたま、庭に出てフェンスの修理をしていたという。
そのときだった。一台のバンが来て停まり、中から軍人3人が姿を現した。
海兵隊の制服姿だった。
カルロスさんのところに来て、一人が言った。
「遺憾ながら、アレキサンダー・アレドンド上等兵が戦闘中、戦死したことを申し上げます」
それを聞いて、息ができなくなった。
そんな馬鹿な、あるわけないじゃないか。
家に駆け戻って、母親を探した。
「神さま、いったい、どういうことなんです」
カルロスさんは、そう思うしかなかった。
海兵隊員にカルロスさんは、すぐに帰れ、と言った。
でも、引き揚げようとしない。
もう一度、言っても。
カルロスさんは、ガレージからハンマーと取り出し、海兵隊のバンをぶっ壊そうと駆け寄って、思いとどまった。
ハンマーを地面にたたきつけ、家のなかに閉じこもって、再び、神に救いを求めた。
それから海兵隊員に、「もう、帰ってくれ」と、3回目、最後のお願いをした。
聞き入れてくれなかった。
カルロスさんはガレージに戻ると、5ガロンのガソリンと、プロパンのボンベとバーナーを持って、バンに駆け寄った。
ハンマーを拾って、バンのウインドーにたたきつけた。勢いあまって、車の中に飛び込んで行った。
カルロスさんの母親のルズさんがガソリンを遠ざけようとしたが、遅かった。
ガソリンの缶を持ってバンの運転席に入って、閉じこもった。
そしてカルロスさんは「息子の名前を呼び、息子を求めて叫んだ」。
座席のハンマーを振るい、社内をめちゃくちゃにした。ダッシュボードを、パスコンを、リアウインドーを破壊した。
それからガソリンを撒いた。バーナーに火をつけた。ガソリンのにおいで噎せ返った。
母親に手をつかまれた。
その瞬間に引火。車内は火の海になった。
炎に包まれ、道路に転げ出た。
2日後、カルロスさんは病院で意識を取り戻した。
下半身を中心に全体の26%を火傷していた。
戦死した息子のアレキサンダーが高校を卒業して、海兵隊に入ったのは3年前のことだった。17歳の選択。入隊にあたって、海兵隊から、1万ドルのボーナスが出た。
湾岸のクウェートから、手紙を書いて来た。
「こんなに青い海を見たことはない」
手紙のあとの方に「死ぬのは怖くない」と書いてあった。
イラクのナジャフに送られた。
4階建てのホテルを掃討中、こめかみを狙撃され、死んだ。
マサチューセッツのロスリンデールに引っ越して来てから、カルロスさんは息子の死を無駄にしない活動を始めた。
戦争の無意味を訴え始めた。
アレキサンダーさんの戦地からの手紙のコピーをいっぱいつくって配り、マサチューセッツ版(バージョン)のシンディー・シーハン、とも言われるようになった。
「軍人の家族が発言する」という組織を、同じ境遇の遺族と立ち上げ、反戦運動を始めた。
息子を失った思いを集会で話すようになった。
「17歳の子を軍務に就かせてはならない。リクルーターの軍人を高校から追い返せ」
45歳の父は、息子を戦争で亡くした悲しみを、平和運動の取り組みのなかに昇華させた。
そんなカルロスさんのことを、マサチューセッツの地元紙、ボストン・ヘラルド(電子版、12月1日付け)の記事で読んだ。
記事には、アレキサンダーさんの遺影を持って街頭に立つ、カルロスさんの写真が添えられていた。
胸に十字架のネックレスが見えた。神父のような、黒っぽいスーツを着ていた。
シンディー・シーハンさんが「平和の母(ピース・モム)」なら、カルロスさんは、さしずめ、「平和の父(ピース・ダッド)」か。
カルロスさん、アレドンドさん。
「平和の父」の祈りを、わたしたちもともに、祈ることにしよう。
⇒
http://www2.townonline.com/roslindale/localRegional/view.bg?articleid=378127&format=&page=1
Posted by 大沼安史 at 04:04 午後