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アル・バスラ・ネット
2004年12月4日
日本語紹介は2005年1月
古くてすみません、重複してたら、再度、すみません、、。
http://www.albasrah.net/images/3loj/mass-grave-us-soldiers.htm
この写真(右上記載のURLにもっと多数の写真あり)は以前からアル・バスラ・ネットで紹介されているものですが、URUK NEWS イラク情勢ニュースでは紹介してなかったので、このたびとりあげました。米軍の犠牲の実態が、このような形で隠蔽されてきたという一つの例。 二組の写真と解説文があり、一つは2004年9月にファルージャで発見され、他は2004年3月に発見されたもの。 以下は添えられた解説文(英字)の要旨。
1) ファルージャで発見された集団墓地
16人の外国人らしき人々の死体が埋められた集団墓地が9月22日朝、ファルージャの北西部で一般市民によって発見された。その日のうちにドイツの通信社に知らされたが、埋葬されていた死体はまだ殺されて日が浅く、おそらくアメリカ兵のようだと思われた。
死体の身元を特定するものは発見されず、地元民が着るのと同じような衣装をまとっていたが、彼らの髪型は米兵のようであり、頭髪の色および顔つきともに外国人である(=イラク人ではない)ことを示していた。
悪臭がするのに気づいた地元民が、その臭気の根源を探るために掘ってみて、この集団墓地を発見した。
2) ラマディで別の集団墓地 2004年3月7日
イラクでの犠牲者数を少なく見せるためと思われる。
ここに添える写真(上の写真は上記URLから一部のみ:訳者)は、ラマディ州にあるイラク農業省所有の土地で撮影された。そこは2004年1月末まで米占領軍の基地として使用され、イラク・レジスタンスの攻撃が続くので撤退をよぎなくされた。
2月20日、偵察隊が現地に来て敵の活動の有無を探索しているとき、多くの犬やオオカミが荒れ果てた土地で地面を嗅いだり、穴を掘っていることに気づいた。近づいてみると、車両の残骸とともに、溝と掘り返された区画があり、ウワサには悪名高い黒色の死体袋が発見された。
死体袋のなかからは、頭や胸に銃弾及び砲弾の破片を受けた遺体がでてきた。死体は2、3ヶ月内に埋められたもので、占領軍に所属する兵士である。発見されても身元を特定されないように、衣服と身分証明ははぎ取られていた。多数の死体が発見され、別のところに移された。家族のもとに届けて埋葬してもらうために、適切な時期を選んで赤十字に渡されるであろう。
イラク・イスラム軍
2004年3月7日
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2005_mass_grave_US.html