★阿修羅♪ > 戦争76 > 499.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 第一回目の天皇すり替えの経過(孝明天皇暗殺&大室寅之祐を明治天皇にすり替えた事件の詳細) 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2005 年 11 月 26 日 13:20:57)
(週刊日本新聞 時事寸評 よりの転載)
「慶應二年七月十五日、皇太子時代の明治天皇が長州へ御微行」と言う奇々怪々な史実。
更新 平成17年11月25日00時27分
平成十七年(二〇〇五年)十一月二十四日(木)
(第一千五百三回)
○大正時代、井上正雄氏がまる十年の時間をかけて完成出版した
「大阪府全志」(全五巻、六千余頁)。
○第三巻。豊川村。
○ここに郡山本陣あり。
○ここの御本陣、梶家の伝によれば、
○ 「慶應二年七月十五日明治天皇が皇太子でいらせられた時、長州へ御微行
の御道すがら、芥川本陣に御宿泊あらせられんとしたが、山崎に合戦があっ
たので俄かにここを立ち退いて郡山本陣に御移りあり、翌日駕籠で御出発
あらせられたが、吉川監物以下三十名抜刀にて又坊主頭八名が薙刀(なぎ
なた)を携えて御守護申し上げたという。当時御下賜になった菊御紋章付
の夏夜具は今に同家の宝物として残って居る。」
○とある。
○これは、実に奇妙な説である。
「明治天皇が皇太子・・・・・・」云々とある、
この「皇太子」とは、もちろん、
孝明天皇の皇太子睦仁親王でなければならない。
○「慶應二年七月十五日」とは、
○徳川十四代将軍家茂が大阪城で暗殺された七月二十日の直前である。
○そしてこの年の十二月二十五日には、
孝明天皇が弑逆されて居る。
○当時、孝明天皇は、長州とはきわめて険悪な関係にあった。
○丁度その頃に、皇太子睦仁親王が、長州に、秘密のうちに旅行するなど、
○まったく辻褄が合わない。
○そんなことはあり得ない。
○しかし、「長州の大室寅之祐」と解釈すればこの伝説は、意味深重と成る
であろう。
○なお、前出、井上正雄氏が、明治末年から大正八年にかけて調査した、
その時点では、郡山御本陣の梶家は現存し、そして江戸時代の宿帳が
そっくり保存されて居た、とある。
○この宿帳が、今現在どう成って居るかは分からない。
○しかし、前出、六千余頁全五巻の「大阪府全志」は、大阪の一部図書館
には今も収蔵されてあるだろう。
○この種の歴史記録は、極悪国賊長州閥一味の権力とその手先をつとめる
御用学者によって、ことごとく抹殺される。
○この件は、重要な歴史記録として、ここに提起して置く。
(了)
【参考】http://seibundo-pb.co.jp/mybooks/ISBN4-7924-0277-8.html
■大阪府全志 全7冊(含索引) 井上正雄著
資料収集以来13年の歳月をかけ大正11年刊行された本書は、大阪府全域を
その対象とし、各郡市町村の成り立ち、各町・各村など小区域ごとの支配関係
や区画の変遷、社寺仏閣・名所旧跡の由来を網羅、地誌類の文献としての価値
は非常に高いものである。
〈巻之一〉大阪府管地の分合/大阪府制度の変遷1264頁
〈巻之二〉国郡市町村志(摂津国 大阪市 東区 南区 西区 北区)1314頁
〈巻之三〉国郡市町村志(摂津国 東成郡 西成郡 三島郡 豊能郡)1440頁
〈巻之四〉国郡市町村志(河内国 南河内郡 中河内郡 北河内郡)1568頁
〈巻之五〉国郡市町村志(和泉国 堺市 泉北郡 泉南郡)1088頁
〈附図〉12葉
ISBN4-7924-0277-8 A5判 上製本 揃本体12,500円
■大阪府全志索引 佐古立子・松本冴子編
大正11年刊行され、昭和50年、60年の二回にわたり復刻出版された名著
『大阪府全志』は分量・内容とも膨大で初版刊行当時から索引の必要性が望ま
れてきた。これを受けて、地名と事項からなる索引を刊行し研究者の長年の夢
の実現となった。見出し項目は地名・人名・寺社名・歴史的事項など広汎にお
よび、特に地名については現在の行政区画と容易に連関するよう配慮し、付録
として「難読地名一覧」を付した。本篇とともにご利用されたい。
ISBN4-7924-0276-X A5判 上製本 索引のみは本体8000円 全七冊本体83,000円