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自衛隊・変わる現場から:/上 イラク派遣 「1センチ」の重圧
◇「引き金の人さし指が歴史を変える」
玄関から一番遠い部屋の押し入れ下段に「三点セット」はあった。笑顔だらけの記念写真が張りつけられたアルバムと大学ノート、そして白木の箱。ノートの表紙には端正なフェルトペンの字で「サマワ日記」と記されている。第1次イラク復興支援群で警備小隊長を務めた門馬有道さん(54)=北海道名寄市=は、昨年12月に陸上自衛隊を退職した今も夜中に独り、三点セットを取り出す。
白木の箱は命を落とした時、遺骨を入れてもらうつもりで自作した。遺骨回収さえできない事態に備えて髪やツメも入れておいた。その小さなビニール袋も、もはや必要ないが、捨てられない。
門馬さんを訪ねたのは退職前に続き2度目だ。あの箱をどうしているのか、知りたかった。
陸自は昨年2月、初めて「戦地」であるイラク南部サマワに部隊を派遣した。その最前線に、定年間際の幹部が派遣されることは特例中の特例だった。気負いもあっただろう。前回、「サマワでは、ためらいなく銃を撃てますか」と聞くと、制服姿の門馬さんは「状況によります」と模範回答を返した。そして今回、あえて同じ質問をした。門馬さんはまっすぐこちらを見て言った。
「日記開きながら思い出すんですよ、隊員によく言っていた言葉。『引き金を引くお前らの人さし指の1センチが、自衛隊の、いや世界の歴史を変えることになるんだ』って」。戦地にいた現場指揮官の苦悩が垣間見えた。
そしてこう打ち明けた。「(サマワのある)ムサンナ県庁周辺で警備に就いたけど、何十人という群衆がどこからともなく集まってきた。この中に一人でもテロリストがいたらどうなったか。とにかく私は警備小隊長として、部下より早く引き金を引かねばと思っていた。そうしないと後で部下が責められる」
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政府がイラク派遣を決める直前の03年春、陸自はきわめて慎重だった。だが、日本を「有志連合」に引っ張り込みたい米側の圧力は強かった。検討に時間がかかる陸自にしびれを切らした米高官が「陸自はいやいやながら(reluctant)なんだな」と言った。その言葉を高級幹部は忘れられない。臆病(おくびょう)者と言われているように聞こえたのだ。
そして陸自は、米軍と距離感を置く戦術を選択する。首都から遠く離れた南部の平穏な小都市サマワ派遣となったのはその表れだ。サマワの陸自隊員は他の多国籍軍と異なり国内と同じ深緑色系の迷彩服を着用し、胸や背中にひときわ目立つように「日の丸」を縫い付けた。結局、「違いを見せ付けることが最大の安全策」(陸自幹部)だった。
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派遣からまもなく2年。来月14日には、派遣期限を迎える。派遣延長について毎日新聞の世論調査では「反対」が70%に達したが、延長は確実視されている。
同じイラクにいる米英軍との違いについて、防衛庁幹部は「役割が違う。他国軍は『治安維持』であり、こっちは『人道復興支援』だ」と強調する。だが、宿営地を狙ったロケット弾などの攻撃はこれまで計10回。政府がいくら差異を言い募ろうと、イラク国内に自衛隊を米英軍と同一視する勢力がいることは間違いない。
門馬さんは帰国後、白木の箱にサマワで胸に付けていた「日の丸」を入れた。まるで大切なお守りのように。自衛隊の完全撤収はいつになるのか。派遣期限は近づく。
毎日新聞 2005年11月17日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20051117ddm041040111000c.html