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フジモリの勝算(田中宇の国際ニュース解説)
http://www.asyura2.com/0510/war76/msg/186.html
投稿者 gataro 日時 2005 年 11 月 15 日 23:20:51: KbIx4LOvH6Ccw
 

【フジモリの勝算】
2005年11月15日  田中 宇
http://tanakanews.com/f1115fujimori.htm から転載。


 南米のペルーでは、来年4月9日に大統領選挙が予定されている。投票日まで残すところ5カ月を切った11月6日、日本に亡命して5年になるアルベルト・フジモリ前大統領が動き出した。

 彼は、東京からチャーター機に乗り、ペルーの隣国チリの首都サンチャゴに飛んだ(定期便を使うと、アメリカの空港で乗り換えねばならず、米当局に逮捕されるおそれがあるため、チャーター機を使った)。

 彼は、ペルー政府から訴追されて国際指名手配されており、チリに入国拒否されるおそれもあったが、入国は果たし、代わりに入国から12時間後にチリ当局に逮捕され、拘置された。逮捕されたことは、行動として失敗だったとも受け取れるが、フジモリの支持者は「計画通りの行動だった」と述べている。(関連記事)

▼罪を晴らしにチリに入国

 フジモリは昨年から、06年の大統領選挙に出馬するため、選挙の前にペルーに戻ると宣言していた。その彼が、東京からペルーに直接行かず、隣国のチリに行った目的は、チリの当局によって、自分の罪が晴らされることが期待できたからだと思われる。

 フジモリは、2000年秋に政治スキャンダルで政権が崩壊したため、東南アジアでの国際会議に参加した帰りに日本に立ち寄り、東京から大統領を辞める辞表をファクスでペルー議会に送りつけ、日本での亡命生活に入った(日本政府は、フジモリは日本国籍を持っていると認定しており、公式には「亡命」ではなく「帰国」)。(関連記事)

 その後ペルーでは、フジモリの政敵の一人だったアレハンドロ・トレドが政権をとり、フジモリに対し、左翼ゲリラの虐殺など「人類に対する罪」で4種類、公金横領など汚職関係で18種類の罪を着せ、訴追するとともに国際手配した。

 ところが、フジモリに対するこれらの罪の一部または全部は、ペルー政府がフジモリを有罪にするという目的で無理をして立件したものだったということが、その後分かってきた。ペルーの最高裁判所は先月、汚職案件の一部について有罪にするのは無理だと判断して棄却した。

 汚職案件の一つである「フジモリは公金を横領して秘密の口座に隠した」という容疑については、ペルー政府が調査会社に35万ドル(約4千万円)を払って調べさせたが、秘密口座は見つからなかった。(関連記事)

 ペルー政府は、この調査結果を発表しないことを決めたが、この件はマスコミに漏れて大きく報じられ、フジモリの支持者ら野党は「調査会社に大金を払ったのに、結果を国民に知らせないのはおかしい」と政府を非難している。

▼ペルーの引き渡し要求を拒否するチリ

 フジモリを拘束したチリの裁判所は、ペルー政府のフジモリに対する訴追が妥当なものかどうか判断する作業に入っているが、訴追は妥当でないという判断を下す可能性がある。というのは、チリの裁判所は、すでにペルー政府がフジモリを訴追している件について、妥当でないと以前に判断したことがあるためだ。(関連記事)

 チリには、かつてフジモリ政権に取り入って有利なビジネスを展開していたペルー人実業家4人が、フジモリの失脚後にペルーから逃げきている。彼らは、フジモリの悪事に協力していたとしてペルー政府から訴追されており、ペルー政府はチリ政府に対し、彼らの引き渡しを求めた。

 だがチリの裁判所は、ペルー政府の4人に対する訴追は妥当なものではないと判断し、引き渡し要求を却下している。このチリの判断は、間接的に、フジモリに対するペルー政府の訴追が妥当でないと判断するものになっており、この判例から考えると、チリの裁判所は、フジモリ自身に対するペルー政府の引き渡し要求も、却下する可能性がある。(関連記事)

 ペルーではいまだにフジモリの支持者がかなりいる。フジモリが日本を発つ前の時点の世論調査では、フジモリに対する支持率は15−20%で、来年の大統領選挙に立候補する予定の数人の中で2番目につけている(1位のルルデス・フローレスは25%前後)。フジモリは犯罪者の烙印を押され、議会から立候補を禁じられ、遠く日本に亡命していたにもかかわらず、これだけの支持者がいたということは、フジモリの罪が晴らされたり、ペルーに帰国したりすれば、支持が急上昇しかねない。(関連記事)

 フジモリ支持者は「フジモリに対する訴追は、トレド政権がフジモリのペルー帰還を阻止する目的で行った政治的謀略である。フジモリは犠牲者だ」と主張している。チリの裁判所が、ペルー政府のフジモリ訴追に対して「妥当でない」と判断する決定をしたら、それはフジモリと支持者の主張が正しかったことになり「フジモリに対する訴追を取り下げるべきだ」という世論がペルーで湧き起こる可能性が大きくなる。(関連記事)

▼貧困層に支持されるフジモリ

 フジモリの人気は、1990−2000年に彼が大統領だったとき、ペルーの人口の大多数を占めるインディオの貧困層に対する貧困対策を、マスコミを使って大々的に宣伝をしながら目立つ形で進めた結果である。

 ペルーを含む中南米の多くの国では、政治家のパターンには2つある。一つは「資本家」であるアメリカが喜ぶ「市場開放」「民営化」を進める対米従属型の政治家であり、もう一つは有権者の大半を占める貧困層に受ける「貧困対策」を重視する「ポピュリスト」である。

 フジモリは、ポピュリストの政策を展開する一方で、民営化を進める方針も打ち出し、当時の米クリントン政権に賞賛されていた(実際には、民営化はゆっくりしか行わなかった)。これに対してフジモリの次に大統領になったトレドは、民営化を推進する半面、貧困対策を軽視したため、貧困層の支持を失い、支持率はずっと10%前後を低迷している。(関連記事)

 911事件後、アメリカが「単独覇権主義」を打ち出し、世界に対して傲慢な態度をとるようになったため、もともとアメリカの帝国的な姿勢に反感を持っていた中南米の人々は、反米感情を強め、トレドに代表される対米従属型の政治家は人気を失う一方で、ベネズエラのチャベス大統領など、反米的なポピュリストの政治家に対する支持が急増した。(関連記事)

 トレド政権は、人気のなさを挽回するため、最近、チリとの間の海上の国境線を引き直す法律をチリの了承なしに作り、100年以上前から続いているチリとの国境問題を再燃させ、ナショナリズムを煽っている。これを受けてチリも、ペルーとの貿易交渉を打ち切るなど、両国の関係は急速に悪化した。フジモリが日本からペルーに飛び込んできたのは、こうした新事態に陥った数日後のことだった。(関連記事)

 ペルー国民のチリに対する歴史的な嫌悪感をテコに、自政権の人気を復活させようとしていたペルー政府は慌てて「チリとの対立と、フジモリの問題は関係ない」と閣僚が火消しの発言をしており、すでにフジモリに一本とられた形になっている。 (トレド政権は、フジモリをかくまっていた日本政府に対しても怒りを表明しており、ペルー政府内には日本との国交断絶を求める声もあるが、これもチリに対する対立策と同様、ナショナリズムを煽って政権の人気を回復する戦略だろう。フジモリは今年4月と11月に、わざわざ用事を作って東京のペルー領事館に現れており、この際にペルー政府はフジモリを拘束することが可能だったにもかかわらず、何もしていない。経済関係を考えれば、ペルー政府は日本との関係を悪化させたくないのだろう)(関連記事その1、その2)

▼付和雷同の議員たち

 フジモリがチリに入国した際、空港の入国管理局は、国際手配されているペルー前大統領であると知りながら入国させた。入国を拒否することもできたはずなのに、そうしなかったのは、チリ政府内に、ペルーとの関係上、フジモリをチリ国内に置いた方が有利だという判断があったのではないかと思われる。チリ政府は「フジモリをどうするかは裁判所が判断することで、政府は関係ない」と言っているが、実際には、話はすでに十分に政治的になっている。(関連記事)

 フジモリは、チリ政界の重鎮たちに「自分がペルーの大統領になったら、チリとの関係を良くする」と持ち掛ける戦略かもしれない。フジモリは現職大統領だった時代、チリとの関係が良かったという実績がある。チリは、フジモリに有利な判断を下す可能性がある。

 チリはペルーと同じスペイン語圏で、チリでの出来事はペルーですぐに大きく報じられる。フジモリにとっては、東京にいるよりもはるかに大きな宣伝効果がある。フジモリがチリに来ただけで、ペルーの政界は揺れ始めている。

 2000年に失脚するまでフジモリは、議会の過半数をも自陣営の議員でおさえ、行政府だけでなく議会も支配していた。だがフジモリの失脚後、フジモリ派の議員の大半は、政治生命を保つため、すぐに野党側に寝返ってしまった。このように、付和雷同の議員が多いことを考えると、フジモリが優勢だと見るや、今はトレド政権の味方をしている議員たちが、今後フジモリ派に寝返る可能性もある。(関連記事)

 ペルー議会は、失脚後のフジモリに対し、2011年まで選挙に出馬することを禁止する決議を下しているが、議会にフジモリ派が多くなれば、この決議を撤回する決議が下されることになる。フジモリがチリで「無罪」になり、ペルーに凱旋し、大統領に立候補し、勝ってしまうという、これまで「フジモリのたわごと」としか思われていなかった展開が、実現する可能性が出てきている。

 スキャンダルで大統領の職を追われて亡命した人物が、再び大統領候補になるというのは、日本では考えられないことだが、ペルーではフジモリが始めてではない。フジモリの前任大統領だったアラン・ガルシアも、金融危機を引き起こして1990年に辞任し、パリで亡命生活を送っていたが、2001年にペルーに戻って大統領選挙に立候補し、僅差で破れた経緯がある。ガルシアは来年の大統領選挙に再出馬する予定で、今のところ20%の有権者の支持を受けている。(関連記事)

▼ブッシュのおかげ

 ペルーの現トレド政権にとって、もう一つのくせ者は「大衆の街頭行動」である。ペルーの隣国のボリビアとエクアドルでは最近、先住民系の貧困層の人々が政府の政策に反対して大規模なデモなどを行い、対米従属型の政権を次々と転覆させる事態が起きている。(関連記事)

 今のところペルーでは、先住民の群衆がトレド政権を潰すためのデモを行うという事態にはなっていない。しかし今後は「フジモリ問題」が過熱し、先住民の反政府デモが増えるかもしれない。敵意を世界にまき散らすブッシュ政権の戦略の影響で、南米の先住民が政治力をつけ、フジモリに対する支持も潜在的に増えている。

 フジモリは今後、自分が作った3つの政党を連携させる党大会を12月10日までに開き、来年1月9日までにフジモリを立候補者として登録し、2月8日までに120議席の国会のすべての候補者を擁立し、4月9日の第一回投票日にのぞむという予定を決めている。

 フジモリがこの計画を実現するためには、チリ側が、早々にペルーの引き渡し要求を却下する必要があるが、その可能性は低い。引き渡し要求を審査するのに、短くて4カ月、下手をすると2年かかると報じられている。(関連記事)

 だがその一方で、チリが判断を下すまでに時間をかければかけるほど、ペルーではフジモリ支持の動きが強まりそうである。大統領選挙に出馬できなくても、ペルー議会にフジモリ支持者が増えれば、選挙後にペルーに凱旋できる。(関連記事)

 フジモリは昨年から、ペルーのラジオ局で毎週、自分の主張を展開するコーナーを持っている。東京で収録した声をペルーで流すもので、最初は一つのラジオ局ネットワークだけで放送されていたが、その後三つのネットワークで流れるようになっている。ペルーではフジモリの人気は、かなり根強いものがあると感じられる。(関連記事)

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●関連記事など

フジモリと日本

フジモリ大統領:孤独な独裁のゆくえ


以下の2本の記事は、諜報謀略家のモンテシノスがフジモリに食い込んだ顛末を2001年に書いたものだが、ブッシュがネオコンに食い物にされた後でこの記事を改めて読むと、モンテシノスはネオコンと良く似たやり口をしていることに気づく。プーチンに一掃されたロシアのオリガルヒとも似ている(関連記事)。モンテシノスがユダヤ系だという指摘はないが、ネオコンとオリガルヒはともにユダヤ系の勢力であり、ヨーロッパで中世から面々と続いた宮廷ユダヤ人の謀略の伝統を感じさせる。

ペルー・フジモリ前政権の本質

続・フジモリ前政権の本質

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