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〔イラクから〕 米軍女性兵士3人 火炎地獄のなか、ファルージャに死す
机の上の空 大沼安史の個人新聞
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2005/12/post_f506.html
ことし、2005年6月23日午後7時20分過ぎ、イラク最大の激戦地、ファールジャの路上でのことだった。
米軍の女性兵士らを乗せたトラックが駐屯地に向かって走っていた。検問所でのイラク人女性の身体検査など、その日の任務を終えての帰り。
その輸送トラックに、道路脇から、一台の乗用車が突っ込んで来た。
自爆テロだった………。
女性兵士3人が戦死(焼死)した、この日の出来事を、ニューヨーク・タイムズのマイケル・モス記者が、生き残った兵士らにインタビューし、同紙の紙上(電子版、12月20日付け、同22日にインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に再録)で再現した。
兵士らは、砂嵐が収まるのを待って、出発した。車で15分の距離。人員輸送トラックには、2両のハムビー装甲車両が警護についていた。
自爆テロを決行した者は、車で待ち伏せていた。
乗用車の体当たりで輸送トラックは炎上、そのまま走って横転した。
火炎地獄(インフェルノ)のなかに、死亡した女性兵士3人と男性兵士2人を含む、18人の男性、女性兵士が取り残され、一部は脱出を試みた。
そこを武装勢力が狙撃した。
戦死した女性兵士は、ホリー・シャーレット上等兵(21歳)、レジナ・クラーク一等兵(43歳)、ロマナ・バルデス伍長(20歳)。
ホリーさんは母親の暮らしを支えるために志願した。
レジナさんはシングルマザーで、2回目のイラク。
ロマナさんは、元チアリーダー。兵役に就く以前は、ニューヨークの「自由の女神」で働いていた。
生き残った女性兵士のひとり、エリン・リバティー上等兵は、いまも入院して治療を続けている。
焼け爛れて助け出されたとき、認識票だけが身元確認の手がかりだった。
テキサスの火傷治療センターに運ばれ、手当てを受けたが、モルフィネ投与を受けても激痛が続き、生死の境をさまよった。
モス記者に対し、「パープル・ハート勲章」を手に、エリンさんはこう言った。
「幸せでもないし、悲しくもない。怒ることさえできない。すべてのことに対して、感覚が麻痺しています」
モス記者は、この出来事の背景についても追及し、米軍の防護体制に不備があったことを突き止めた。
女性兵士らを乗せたトラックは年代もので、装甲も不十分だった。
警護のハムビーも2両。
もう一両、つくはずだったが、別の任務にとられていた。
司令官の警護にはハムビーが4両つくのに、女性兵士らのためには、この日、2両がついていただけだった。
同紙によると、イラクで戦死した女性兵士は、焼死した3人を含め、30人に上る。
モス記者が取材した兵士らは、マスコミには答えるな、と上司から口止めされていたという。
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http://www.nytimes.com/2005/12/20/international/middleeast/20marines.html
Posted by 大沼安史 at 02:05 午後 in 5.イラクから | Permalink