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(回答先: この国はどこへ行こうとしているのか 湯川秀樹氏夫人・湯川スミ氏―「毎日新聞」 投稿者 天木ファン 日時 2005 年 10 月 21 日 17:15:56)
http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/news/20051014dde012040002000c.html
◇「カンカン坊主」の怒り−−京都からの発言
ちょっと早起きして、嵯峨野にやってきた。京都の西のはずれ、小倉山のふところに抱かれて建つ常寂光寺。さすがにまだほとんど観光客らしき姿はなく、すがすがしい空気を吸い込みながら、石段を踏みしめ本堂へ。「まあ、遠いとこを」。住職の長尾憲彰さん(78)は仙人かと見まごうばかりの風貌(ふうぼう)であった。
「アンタ、何を聞きにきましたんや。ほかにぎょうさんエライ人おられるのに」。そう言って、本堂の障子戸をぱーっと開け放つや、息をのむほど美しい庭。「紅葉には早いですけどな」。名刹(めいさつ)の住職であれば、お経のひとつでもあげていればよいものを、じっとしていられないたちである。盛んにメディアで発言していたのは1970〜80年代にかけて。黒ぶち眼鏡に無精ひげ、戦闘的な顔だった。
◇巨大与党ができた。われわれは異質な少数者になってしまった。でも寺にいると、選挙結果とは違う感じがするんやけどなあ
●清掃ゲリラ
「日本人、怒らんようになりました。ベトナム戦争のときはみな立ち上がったのになあ。安保のときも。御堂筋や河原町をデモしてね。大島渚監督の反戦映画に感動して新聞に映画評を投稿したりもしました。なんていう映画やったかなあ。いまの日本、そんな空気あらへんね。それどころか、選挙であんなに自民党が大勝するし。憲法を変える動きも顕在化してきて……」
ありゃ風変わりな坊さんですわ、と聞いていた。京大出のインテリゆえか、お経もそこそこ、袈裟(けさ)を脱ぎ、現代文明の節操なき暴走を身をもって痛撃してきた。といっても小難しいことじゃない。景観を守るため、清掃ゲリラ隊長と称して、ポイ捨ての空き缶を拾い歩き、論議を喚起していく。そして空き缶条例制定にまでこぎつけた。人呼んで「カンカン坊主」。元祖・市民運動家のひとりである。
●モッタイナイ
「モッタイナイという言葉が世界語になってきたらしいな。私が空き缶問題やっていたとき、しょっちゅう言ってました。資源浪費と環境破壊の先進国になったころや。日本だけでしょ、なんでもかんでもパックに入れて。ヨーロッパ、それもドイツに行ってびっくりした。パックなんかには入れない。モッタイナイは深い意味やな。モノを命あるもののように扱い、そこに自然の恩恵と、人の労苦を思い、感謝する。仏教思想の教化によるものでしょうな」
うーん、ケニアのノーベル平和賞受賞者、ワンガリ・マータイさんの提唱している「MOTTAINAI」運動にはルーツがあったのか。それもわれらが古都に。うかつだったけれど、うれしい。モッタイナイは世界語である前にれっきとした日本語なんだから。ゲリラ坊主、なかなかの先見の明をお持ちである。
●梵鐘
さて、ここはかの有名な小倉百人一首を選んだ藤原定家ゆかりの寺である。でも、それだけではない。戦争と平和を考えるにふさわしい寺である。境内の梵鐘(ぼんしょう)に記されている。<戦争で失われた鐘は再び造ることができても、失われた人の生命は、再びよみがえらせることはできない>
「戦争のとき、資源供出で取られてしまった梵鐘を昭和48(1973)年に復元したんです。寄付を集めて。大事な檀家(だんか)の仏さんの名前を彫ろうとしたら、戦死者がものすごく多い。戒名に<忠>とか軍国主義的な字が入っている。私は戦争に行かずにすんだけれど、われわれの時代は兵隊にとられたら、死ぬと思ってました。同じ学年でも戦争に行ってるのいますしな」
●予科練
そう、反戦の寺である。いや、声高に叫んでいるわけではない。しっとりした嵯峨野の風景に溶け込んでいる。庭でチロチロ虫が鳴き、野鳥がさえずるように。「たまにこんな本が送られてきたりします」。住職が見せてくれたのは自費出版とおぼしき名もなき戦争体験者の手記だった。
戦後60年たったいまもなお、書き残さずにいられない思いを抱えながら、年老いていく人たちがいる。その思いをしっかり受け止めるかのように住職はツン読などにはせず、体験記に丁寧に目を通す。そして、自らも思い出すのである。あの夏の日を−−。
「プロレタリア演劇の村山知義が遠戚(えんせき)でな。その息子で児童劇作家の村山亜土と遊んでたりした。亜土は軍国主義やなかった。情報もあったから、戦争に負けるのはなんとなくわかっていたわ。この寺には予科練の連中が泊まってて、飛行機の計器づくりで工場に通っていた。飛行機はないのに。8月15日の正午、みんな、この本堂に集まってラジオを聞いた。私は跳び上がって喜んだ。今晩から電気つけられるぞってな。予科練の連中らは泣いてた。その連中がいまも寺を訪ねてくる」
●憲法9条
庭を見せてもらおうと、板張りの廊下を行くと、そこにさりげなく憲法9条を守る署名簿が置いてある。いくらなんでもなあ、古寺巡礼の観光客は目もくれないんじゃないですか、といぶかると、これを見てください、と住職、初めて笑うのだった。東京もあれば、大阪もある。住所は日本全国に散らばっていた。
「いっぷくしながら、書いてくれたものです。ここひと月で200人にもなりますかな。先の選挙で、たくさん自民党に票を入れる人がいたでしょ。それで巨大与党ができた。もう、われわれは異質な少数者になってしまった、そんな感じがしますな。そやけどなあ、あの憲法、たしかにアメリカがつくったものではあるけれど、アジアも含めて多くの犠牲者のうえにできたものです。すばらしい憲法ですよ。それを変えるというんでしょ。でも、この寺にいますとな、選挙の結果とは違う感じがするんやけどなあ」
●女ひとり
ひんやりとした境内を住職と歩いた。木立の中に碑があった。<女ひとり生き ここに平和を希(ねが)う>。自然石に参院議員だった故市川房枝さんの文字が刻まれている。戦争で若い男性が死ぬ。それは結ばれるべき適齢期の女性の生き方を変えた。戦争独身女性である。彼女たちが平和への願いを込めて建てた。小泉純一郎首相はご存じだろうか?
「さあ、ここは靖国神社やありませんしな。だいたい若造だよ、彼は。歴史を知らない。戦争の本当の苦労を知らないんや。中曽根(康弘元首相)は来たらしいけど、見てくれたかどうか。私は愛知県の半田にあった飛行機の組み立て工場にもいたけれど、毎日のように上空をB29が飛んでいく。煙は名古屋のほうから上がるんや。エンジン工場がやられる。それを迎え撃つために戦闘機が上がっていくんやけど、まったく追いつかない。いつになったら戦争の季節から抜け出せるか、そんなことばかり考えていた」
●十七条憲法
境内から京都市内が一望できた。戦火を逃れた千年の都が、そこにあった。にょきにょき高層ビルばかり並び立つ東京にはない、どっしり重厚なたたずまい。「遠くに大文字山が見えますやろ」。お盆の送り火は先祖への思いを新たにさせてくれる。歴史の知恵にあふれた町である。思えば、奇跡のような気がする。
忙裏山我を看(み)る
閑中我山を看る
中国の詩の断片にこんなのがあってな、と住職が紹介してくれた。忙しいときは山がわれわれを見て、ひまなときはわれわれが山を見るのだ、と。いたってシンプルで、どこか哲学的である。そのあたりがたまらなくお好きとか。
「山にすむものが山に対して抱く心情を言い当てて、これほどのものはない。自然と人間は、互いに見つめ、見つめられつつですからなあ」
歓声が聞こえた。小学生の遠足だった。百人一首のふるさとで歌をひねっている。ほほえましい光景にカンカン坊主も思わず目を細め、山門まで見送ってくださった。しばらくして手紙が届いた。
<認知症ぎみの愚生のせいで時間をつぶしてしまい申し訳ございません。言い忘れていましたが、聖徳太子の十七条憲法のなかに米国・ネオコン(新保守主義)のユニラテラリズム(一国主義)と対極する仏教的平和思想があります>【鈴木琢磨】
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■人物略歴
◇ながお・けんしょう
1926年、京都市生まれ。京大文学部心理学科卒。住職の傍ら、大阪市立大、花園大、龍谷大で教べんもとった。著書に「カンカン坊主の清掃ゲリラ作戦」がある。