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(回答先: 否定論は未だに見つけていませんが、いくつかの興味深い資料をご紹介します。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 10 月 19 日 08:01:19)
「バルセロナより愛を込めて」さん、詳細なレスありがとうございます。
ローマによってカルタゴが滅びた後、雨後の竹の子のように発生したとされる「ユダヤ人町」はイベリア半島沿岸部が中心でした。
イスラム支配時代もありましたから、その後様々な問題に直面したとは言え、ユダヤ人だけではなくセム系(フェニキア−カルタゴ・ユダヤ・アラブ)の血(価値観)を受け継ぐ人たちがイベリア半島(スペイン・ポルトガル)で相当の割合に達しているのは自然です。
コロンブスやバスコ・ダ・ガマの「大航海」も、本人たちがセム系であった可能性が高く、資金源は間違いなくセム系です。(イザベル女王が何がしかの資金を出したとしても非改宗ユダヤ人や異端審問有罪者から奪ったもの)
14世紀後半から始まったユダヤ教徒の強制改宗・虐殺・異端審問、15世紀末の「ユダヤ追放令」後も、コンベルソ(カソリックへの改宗者)とマラノ(形式的カソリックへの改宗者で隠れユダヤ教徒)は残ります。
非改宗者の多くがポルトガルに移住し、その他はオランダ・フランスそして地中海東方に新天地を求めたとは言え、“自ら”が切り開いたアメリカ大陸やアジアからスペインに流入してくる富をあきらめたわけではないでしょう。
非イスラム的セム系価値観の「世界化」(=世界の近代化)は、イベリア半島での歴史的出来事が出発点になっていると思っています。
コンベルソ(カソリックへの改宗者)は、カソリック機構の中枢に数多くの人材を送り込んでいきます。
ルターと並ぶプロテスタント運動の推進者であるカルヴァンも、ユダヤ人に多い姓コーバンなので、コンベルソである可能性が高いと思っています。
オランダにわたったマラノは英国との関係を強化し、スペインの覇権を打ち倒します。
フランスでも、コルベルソやマラノが司法・財務の要職に就きさらには法服貴族へと成り上がってゆき、三部会の第三身分(市民)を占めるようになります。かれらこそが「フランス革命」を推進した中心勢力です。(モンテスキュー、デカルトなどは法服貴族)
旧ポルトガル領のブラジルは、カソリック国家のように見られていますが、ポルトガルとオランダのマラノが形成した国と考えたほうがいいと思っています。17世紀のブラジルではカソリック聖堂でユダヤ教の礼拝が公然と行われていたそうです。(オランダと英国が覇権を握る過程で、ポルトガルは英国の従属国のようになっていきます)
「大航海時代」が近代の黎明期だとすれば、それを主導したスペインとポルトガルの歴史はきわめて重要だと言えます。
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