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(回答先: バサエフ司令官が犯行声明 ロ襲撃でチェチェン独立派(共同通信) 投稿者 熊野孤道 日時 2005 年 10 月 18 日 01:17:18)
以下引用
投稿者 : Chiaki (元のメッセージ) 投稿日時 : 2005/10/16 11:50
ロシア側の報道と、チェチェン側の報道では、ナリチク襲撃事件での死傷者の数に大きな
相違が存在する。日本の大新聞が、ロシア側の発表を真に受けて書いている数字が本当
なら、チェチェン抵抗運動は、2000年春のグローズヌイ包囲戦につぐ大打撃を受けて、再起
に当分時間がかかり、プーチン指導部は当分、枕を高くして寝られるはずだ。しかし、そんな
戯言を信じるのは、世界中で日本の「マスコミ」くらいなものだ。
ロシア、シロビキの手先達はパニックを起こしてめったやたらに撃ちまくり、その犠牲となる
一般住民が紛争地ではあとを絶たない。ナリチクでもそれが起こった。そして犠牲者達は、
いとも簡単にゲリラ、武装分子に偽装させられる。
ナリチク市内で銃撃戦が始まった時に、多くの親たちは子どものいる学校へ駆けつけた。
ある2児の父は、先ず年上の子どものいる学校へ行き、子どもを自宅に連れ戻すと、年下の
子どものいる幼稚園に向かった。ところが、この父親は、幼稚園付近で、民警署員によって
我が子の目の前で射殺されてしまった。
目撃者を驚かせたのは、MVD(内務省)のならず者達がとった次の行動だった。射殺した
市民のベルトにピストルを差し込み、死体の手に手榴弾を握らせ、かたわらに自動小銃を
置いたのだった。何故に?という説明は不要だろう。
この死体は写真に撮られ、彼が抵抗運動戦士の一員だったという証拠にされた。テロリスト
の一員にされた彼の死体は、葬儀を出そうという親族に引き渡されなかった。この不幸にも
殺された男性は、ケンジェ村のアフメトフ通に暮らしてきたワディム・ジェカムーホフという
人物だ。
「カフカス・センター」2005.10.15.記事を中心に構成
参照:http://www.kavkazcenter.net/russ/content/2005/10/15/38512.shtml