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(回答先: バサエフ司令官が犯行声明 ロ襲撃でチェチェン独立派(共同通信) 投稿者 熊野孤道 日時 2005 年 10 月 18 日 01:17:18)
以下引用
投稿者 : Chiaki (元のメッセージ) 投稿日時 : 2005/10/18 0:30
10月17日の「カフカス・センター」は、チェチェン独立派の戦時最高指導部である国家防衛評議会
(GKO=MS)の軍事委員会議長であるシャミリ・バサーエフ司令官の10月13日ナリチク強襲作戦
の報告を、e-メールで受けたとして全文を省略無しで掲載した。国営通信社「チェチェンプレス」
はそれを直ちに転載した。http://kavkazcenter.com/russ/content/2005/10/17/38543.shtml
バサーエフの文章は、「慈愛あまねく、全能の神の御名において」からはじまるイスラムの雅語
が散りばめられているが、ここではそれら決まり文句やコーランの引用を省略して、作戦部分に
ついてのみ紹介する。
強襲作戦には217名のイスラム戦士が参加し、9時14分を期して、カバルディノ・バルカリア
共和国の15箇所の軍・治安機構施設を攻撃した。連邦保安局(FSB)、「T」センター、市地区
内務部本部、地区戦闘作戦部、内務省、民警第1、第2、第3署、PPS連隊、民警特別部隊
(OMON)、GUIN特殊部隊、国境警備隊、空港、国防省中隊、国内軍(VV)大隊である。
狩猟銃器店を襲ったのは、我々の関知しないグループの仕業である。カノーコフ(カバルディノ・
バルカリア共和国大統領)に対して攻撃をしなかったのは、彼が最近イスラム寺院の再開を
命令するなどしてきたことに配慮したためで、この行為が事実上彼を生きながらえさせることと
なった。
強襲作戦の過程で、300名以上の異教徒と背教者が死傷した。(戦死者約140名、負傷者160名
以上)で、大部分は外部から送り込まれた特殊部隊員たちである。ヘリコプター3機、数台の
装甲戦闘車両を壊滅し、銃器を戦利品とした。
丁度2時間で強襲作戦は終了し、11時15分に基幹部隊は街を退去し基地に戻った。
わが方の損失は 41名である。神の思し召しである(インシャ・アッラー)。彼らは、強襲作戦の
過程で負傷し、移動が不可能となったイスラム戦士達であった。それゆえ彼らは街に残って
最後まで戦うという道を選んだ。
この損失は、我々にとって大きなものである。これが何故起こったかというなら、この作戦の
決行5日前に、深刻な情報の漏洩があった。この結果、ナズラニに異教徒どもは、1000名を
超す追加の特殊部隊員を航空機、列車、トラックで運び込んでいた。10月11/12日には、ナリ
チクの街に戦車や歩兵戦闘車(BMP)まで配備された。しかし、10月11日に開催されたマジリス
(司令官会議)は、作戦の延期案を否決して、13日朝の2時間限定強襲作戦「二つの良きこと
の一つを」(勝利か天国か)が決行されることとなった。
作戦の指揮はコーカサス戦線カバルディノ・バルカリア戦区のセイフーラ司令官が執った。私は
作戦全体の管理を受け持った。我々には、戦区司令官が自分の受持戦区での作戦は指揮し、
作戦に加わった上席司令官達も、作戦実施中は、その指揮下に行動するという作戦原則が
あるのである。
FSB庁舎強襲にあたっては、私の作戦担当副官(ナイブ)であり、イングーシ・ジャマート
司令官、イリヤス・ゴルチハーノフが殉教者となった。彼は「中央」強襲グループを指揮して
いた。オセチア戦区、クラスノダル戦区の司令官達も軽傷を負った。
コーカサス戦線司令官は、強襲作戦には参加しなかった。彼は別の作戦の準備にかかって
いるためで、私が彼を外したのである。
この作戦の特殊性は、初めてこの規模での包囲下ではない純粋な強襲作戦が決行された
ということにあるだろう。敵勢力の急激な質・量双方の変化と深刻な武器の不足、そして作戦
自体の変更・中止も可能という中で、敢えて決行されたのである。
わが方にも大きな損失が有ったにもかかわらず、この作戦は大成功であった。神の思し召し
によりわが戦没者には天国が、彼らの死者には地獄が待っている。
ナリチクに散ったわが兄弟達の類無き勇気とヒロイズムは、われわれに最後の勝利まで
戦い続ける確信と決意を与えてくれている。
勝利か天国か! 神は偉大なり。
軍司令官アブダラッフ・シャミリ・アブ−イドリス