★阿修羅♪ > 戦争75 > 619.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 天木直人・メディアを創る ( 10/17) 弁護士、芝昭彦氏に乾杯 投稿者 天木ファン 日時 2005 年 10 月 17 日 17:46:29)
弁護士 梓澤和幸のホームページ
http://www.azusawa.jp/
「ハンセン氏病と市民の責任」
昨年、司法の分野でおこった最大の事件は5月11日の熊本地裁判決である。
判決はハンセン氏病患者に隔離を強いたらい病予防法を憲法違反とした。法律を放置し、患者さんに終審隔離を強いた行政の責任、そして立法府の責任を明らかにし、原告一人当たり1400万円の損害賠償を支払うよう命じた。
らい予防法とは恐るべき悪法だった。ハンセン氏病にかかっていることがわかると、家族から無理やり引き離して、療養所に収容した。12才の少年、40代の母親、30代の一家の大黒柱の他、何万人もの患者さんたちが家族から引き離され、時には貨物列車で運ばれた。
収容されると、名前を奪われ、園名を与えられた。逃亡防止のため、所持金は没収され、園内の貨幣を与えられた。
外出にもいちいち所長の許可を必要とした。結婚する者は、法律で断種手術を強要された。(1700の手術例が確認されている。)
退所の規定はなかった。終身の別離が強制された。
プロミンという特効薬が1947年に輸入され、ハンセン氏病が治る病気になってからも、悪法は廃止されず、隔離と断種は続いた。社会では、恐ろしい伝染病として差別が続き、法をかいくぐって出所しても、病を告白すれば就職は出来なかった。肉親の葬儀、結婚式にも参列は拒まれた。
命を失った人々は故郷の墓に戻れず、療養所の中の納骨堂に入った。
全国で20000柱、東村山の多摩全生園だけでも3916柱が、園内の納骨堂に眠っている。
患者さんたちは立ち上がった。そのため戦前、極寒の草津の懲罰房で22名の人たちが命を奪われた。1952年〜53年には、ハンガーストライキを含む逃走があったが、法は廃止されなかった。処遇改善の為の国会決議があっただけである。
国の責任を追及するため、患者さんは3年前に訴訟に立ち上がった。九州弁護士連合会に書いた手紙がきっかけで、正義感の強い弁護士達が呼応し、熊本・岡山・東京で700名の原告が提訴した。
判決は、患者さんたちの苦痛に満ちた被害と、人間の尊厳を回復する闘いの結果であった。
しかし、私たち司法の現状を知る者から言えば、この判決は、川が自然に流れるようにもたらされたものではなかった。
特に、法を廃止しなかった国会の責任を指摘した箇所は驚きだった。
マスコミなどでは余り言われなかったが、まれにみる裁判官の良心と勇気が省みられるべきだ。違憲判決を書けば、世の中は上を下への騒ぎになるだろう。しかし、この人権侵害を放置することは、おのれの良心が許さない。想像を絶する内面の葛藤があったはずである。こうした苦悩は、多くの法廷の現場ではみられない。
今の裁判はひどい。警察が捕まえ、検察官が起訴したら、有力な無罪の証拠があってもほとんど有罪だ。行政の非をつくための国家賠償訴訟など勝訴は困難だ。ある法律を憲法違反と断ずることなどはまずは望めない。
裁判官の転勤と給与を決める100人ほどの裁判官の地位をもった役人がいて、末端の1000人ほどの裁判官に目を光らせている。
純粋で、公平で、正義感があって、良心のある裁判官は、判決を書けない場所に島ながしにされ、上ばっかりみる俗物、事なかれ主義者が優遇される。だから、ごく当然の判決が期待できないのだ。
そんな中で、熊本地裁の判決は、燦然とした輝きを放つ。
ある晴れた冬の朝、年金者組合の人たちと一緒に、東村山多摩全生園の資料館を訪ねた。森に囲まれた園の中の広い道を歩きながら、中山喜一郎さんに聞かれた。「なぜ日本で波高なんですかねえ。こんなひどいことが・・・・・。」
私なりに答はある。この国では、多数が納得しさえすれば少数者がいかに悲惨をみようともかえりみない。人権という思想が定着していない。そして、それを救済する実効的な仕組みがないのだ。
ドイツのように行政や立法の人権侵害をごく当然に憲法違反とする裁判所があってそれを頼みに出来れば、ハンセンの患者さんたちは、もっと早く人間の尊厳を回復できたはずである。
この悲劇を繰り返さない、それも絶対に繰り返さないことは、わたしたち自立した市民の責任である。そのために、いますすんでいる司法改革や国から独立した人権救済機構の設立がどの方向に進むのか大いに関心を寄せて欲しい。