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現に暴力によって苦しめられている人たちがいる。平和的解決の望みが少ない。けれど、彼らを攻撃すればやはり無関係な人たちが大勢死ぬ…。人道的介入と呼ばれる武力行使は、多くの人たちの心を常に悩ませて来ました。そんな人にこそ読んで欲しい一冊です。
本書にはヒトラーによるチェコ侵攻からNATOのユーゴ空爆まで、多くの「人道的介入」を名目に起こされた戦争が登場し、その偽善性も示されますが、かといって「だから人道のための戦争などあり得ない」といった乱暴な議論は行いません。
むしろ、上記のような例で見られる「加害者への懲罰」が人道的介入の本質なのでは無いと説きます。
この本で最も特徴的なのは、こうした「単独か少数の国による武力行使」という「狭義の人道的介入」とは別に、国連その他の文民組織や、NGO等の民間団体による、非人道的行為の被害者に対する介入を含めた「広義の人道的介入」として分類がなされ、人道的介入の多様さが示されている点でしょう。読んでいて「あ、なるほどねー」と思いましたよ。
(武力行使としての人道的介入を認めるからといって即座にユーゴ空爆を認めなければならないこともないし、ユーゴ空爆が不当であったからといって即座に人道的介入を否定する必要もない、という考えてみればもっともな記述もありましたが、意外とこういう単純な発想に陥りやすくて怖い)
「人道的介入」の失敗例はその後も続きます。強引で過剰だったソマリア介入、放置されたルワンダ、空爆後に報復が連鎖したコソボ…こうしたエピソードを読むのは非常に辛いですが、そこに介入のための国連組織の重要性が浮き上がります。
こうした議論をふまえ、本書の最も重要な箇所で、著者は「人道的介入」における武力行使は以下のようであるべきだと規定しています。
もし加害者への攻撃が許されるとすれば、それは現に虐殺がおき(ようとし)ており、かつ、加害者に攻撃を加える以外に手段がない場合に限られる。それも国々が勝手な判断でおこなうのではなく、国連のような世界的機関の集団的な判断に基づく、集団的な措置でなければならない
また、そうした場合でも、行われる武力行使は、ユーゴ空爆のような「懲罰的攻撃」ではなく、難民の保護や文民組織による救援活動の警護、それによる武力衝突の抑止、そしてそれでも衝突が発生した場合の武力行使など、限定的かつ純粋に「救うため」に使用されなければならない、という理性的な主張は画期的と言えるでしょう。
「人道的介入」をユーゴ空爆のイメージで捉えていた私に、人道的介入としてのユーゴ空爆の歪みと、真の意味での人道的介入の可能性が見えた一冊。オススメです。
しかし、イラク攻撃後、大量破壊兵器やテロの脅威が存在しなかったとなったあとに出てきた「フセインがいなくなってイラクは平和になったじゃないか」というブッシュ政権の詭弁を見ていると、「人道的介入」には本書で指摘されているようなこととは別の危険性が潜んでいるのでは、とも思えます。本書を参考にするまでもなく、どう考えてもイラク攻撃を「人道的介入」とは呼べませんが、「安全保障を口実に戦争始めて大義が崩れた人道的問題に切り替える」などというとんでもない行為を現実に行ってしまったわけですから…。
投稿者:ゲーナ at 00:03