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10月3日(月)夕方6時から、旭川一条クリニック会議室にて、「命に国境はない」と題した報告会が行われた。国際ボランティアとして活躍し続けている高遠菜穂子さんを講師に招き、イラクの現状を紹介する。当病院の「友の会」会員、医師、看護師、介護師など293名が出席した。
3日前に帰国したばかりという高遠さんは、今はヨルダンからイラクに対する支援活動を行なっている。冒頭、高遠さんは「イラクは、戦争が終って本当の戦争が始まりました。今のイラクは全土が悪い方向に向いています。北部は米軍が悪化しており、バクダットなどは政府軍やイラク軍が悪化している。南部は外国人が流入しておりイラン人とか別のグループが入ってきています」と話した。また、日本に限らず現在のイラクの報道は、全体に数が減っており中身も決して公平ではないと指摘した。
今回の話の前半は、今年3月旭川市で行なわれた講演会(※注)とほぼ同じものだったが、講演会後半の質疑応答での話に興味を引かれたので紹介したい。
◇
戦争と人種差別について
――A医師: 戦争と言うものは大変なことで、特に海外に侵略する時は、相手が子どもであれ、爺ちゃんであれ、ばあちゃんであれ、敵なのか見方なのかさっぱり分からないわけですから、どうしても見境なく殺してしまうわけです。
中国への侵略における日本兵の非道さだとか、ベトナム戦争の時の米兵の暴行だとか、イラクでもそうだと思います。ベトナム戦争の時には、アメリカ人イギリス人を除く人たちは、とりわけ黒人だとか黄色人種、アジアの日本人やベトナム人を含めてそれらは、どうしようもないやつなんだと、人間以下なんだと徹底して教え込まれてきたと言われています。
ベトナム戦争から30年過ぎた今、米軍は相手も人間だと反省しているのかと思っていたのですが、現実は30年前と変わっていないんではないかと。13歳(のイラク人子ども)でも戦闘員として考えられる。イラクを見ていて米軍はイラク人を蔑視をもって見ているのではと思うのですが、その点どう感じていますか。ベトナム戦争の時も女こども関係なく村の人を全部殺したといわれて、共通性があって同じではないかなと。
こういう人種差別は医療に携わるものにとっても、相手を人間ではないと教え込まれていたら医療はできない、大変なことだと思っています。医療に携わる我われに何か伝えたいことがあったら、お話しいただきたのですが
――高遠菜穂子さん: 今日の話の中で帰還兵が苦しんでいると言いましたが、要するに良心というものがそういう症状になるんだと思うんです。イラクにいる米兵は敵が見えていないんです。米国に戻ってきた帰還兵が言うのは、初めて会ったイラク人が無邪気な子供たちだったと言うんですね。イラクには敵がいる、イラクに行くのは「9・11の報復」だと信じている米兵が殆どです。
彼らは拍子抜けするんですが、それでも命令が入ってきて、何マイル先に目がけて撃て撃てと命令が入る、どんどん撃っていく、で、やり続けていきますが敵が見えない。自分が見たイラク人は、老人と子どもたち。不信を持ち始める。進んでいくと、そこには子どもや民間人のお爺さんが白目をむいて倒れている、死んでいるのを見るわけです。
昔の戦争のように国家間の戦争と違って今の戦争はテロとの戦いで、軍服を着ていようがなんであろうが、女だろうと子どもだろうが、そこにいるのを全部殺したというのが現状だと思います。現場にいる時は、相手が人間だと思ったらああいうはできないと思います。
その映像もちゃんと検証したりしていればお見せできるのですが、まだ準備不足なので今日のところはお見せできません。それは、医療関係者には、じっくり見て頂きたい映像です。
いくら相手がテロリストとの戦いだといっても、人間には変わりはなく、仕事の中身は人殺しです。そして、生き延びたとしても心が傷つく、米国へ行ったときに知ったのですが、帰還兵が米国に戻ってもあまりケアを受けていないんです。劣化ウランのことがよく言われていますけれど、言われているよりもっと多い。畸形の問題もありますし、心が病んでいる人もいます。PTSDと診断された人はほとんど就職できていない。特に有色人種である黒人やヒスパニックの人は殆どです。人種差別が起きています。
ニュースなどで、米軍の死者数が2000人を超えたと言われていますが、私は実際にはもっと多いと思っています。なぜなら、今イラクへ14万人の傭兵が送り込まれています。戦死して棺に国旗を掛けて送還してもらえるのは、米国籍を持っている人たちです。米国国籍を持っていないで傭兵の状態で米国からイラクに来て、任務を終えたら国籍をあげるよといわれて行ってきる人がたくさんいます。そして、これは1年もたっていないのですが、傭兵の状態でイラクで戦死した場合、その家族にグリーンカードが出ると、そういったことが戦後になって、ごくごく最近なって米国で起きています。
先ほどの写真で黒いボディーバッグがありましたが、あれが砂漠にたくさん埋められています。ベドウインという羊飼いの貧しいジプシーがいるのですが、そういう人たちが砂漠でそれを多数発見しています。
米国のヘリコプターが砂漠の真ん中にぼとぼとと落としていくわけです。米軍に所属していると言えばもっといるのではないかと思っています。それは傭兵としてここに来て戦死した人だろうと地元では言われています。バクダッドにいる時もすごい騒ぎになったんですね。イラクの現地の人がそれを見て始めは不思議に思ったと言っています。なぜアメリカ人は自分の国の人間を砂漠に捨てるんだと、どうして粗末に扱うんだと。
民間支援のありかた
――B事務局員: 今年の12月に日本の自衛隊が引き上げるかどうかという問題があります。米国の軍隊をイラクから撤退させるために、どう世論を作れるかだと思っています。憲法9条改正が加速度的なスピードで進んでいますが、孫やその世代が、ここから一気に強制的に徴兵制に引かれていくような感がしています。イラクと自衛隊のことについてお考えを聞かせて頂きたいのですが。
昨年、アサード医師が来て頂いて講演会を開きました。その後、私たちはイラクへ医療器具を無事送ることができました。そういう人たちと私どもがこれからも民間のレベルでどうすれば支援できるかきるのか、その方法があれば教えて頂きたいのですが。
――高遠菜穂子さん: 憲法に関してとか、自衛隊のイラク派遣に関してとか、さまざまな意見はあると思うのですが、自衛隊のイラク派遣反対派と思われているみたいですが、私は派遣反対とは言っていなかったんです。来るんならこうやってほしいとは言っていました。しかし来ないほうがいいと。軍服を着て銃を持ってきたら占領軍と一緒に見なすと言われていました。じゃ、ジャージ着て銃ではなくてドライバーでも下げてヘルメットでもかぶって来てくれたらと思っていたら、そうすればそのときすごく忙しかったし、スペシャルな道具や技術があるのなら是非ここにきてやってくれ、そのときはもう現実に自衛隊は来ることになっていたのでそう訴えていたのです。
イラクは今めまぐるしく変わりました。今南部は一気に悪くなりました。私は千歳の生まれですし、同級生も自衛官と結婚している人が多いです。私にとっては、自衛隊員も友達だし、イラク人も友達、どっちにも一線を越えてほしくない。殺してもほしくないし、殺されてもほしくない。帰ってきてほしいというのが個人的な感情ではあります。
私の近所の人たちは、私の母親に、高遠さんがやっていることは分からなくはないけれど、今イラクは危険だから、武装して行かなければいけないよね、という論理になっているそうです。でも私が現場で思ったのは、あの戦場の中で、赤ん坊から老人まで全員明日は死ぬかもしれないという所で、唯一身を守れるのは丸腰だなと思いました。
取材する方もみんな丸腰です。ビデオを回していて銃で撃たれて死んでしまいましたけど、戦場だからしょうがないんですけど、理不尽で納得いきませんけど丸腰でした。それでも、非武装で行くと交渉の余地ができる。唯一身を守れるのは銃ではなくて丸腰だなと思っています。
拘束された時に、私が開放された理由は、話す時間を与えてくれたからだと思います。それは、私が丸腰だったからです。同じ時期につかまったイタリア人の3人がいますけど、1人は護衛にために銃を持っていましたがすぐ殺されました。不信感をもたれて殺されました。丸腰の2人は生き残りました。勿論丸腰でも殺されることはあります。でも銃を持っていたら必ず殺されます。
銃というのは非人道だから、非人道の武器を持って人道支援はできないなと思いました。実際に私が学校にいる時に米軍の装甲車がきました。先生と生徒は一斉に逃げました。私と通訳だけが残ってどうしようと言っている時米兵が降りてきました。どうしたんですかと聞いたら「毛布を持ってきたんだよね」と言うのです。人道支援の活動だったんですが銃をもっていたんですね、しかし受けるほうはそうは思わない。みんな恐がって逃げたんです。病院でもそうでしたし、皆が恐がっています。
拘束されている時に、武装勢力と同じようにムジャヒリンの格好をさせられたんです。車に乗せられたときには目無し帽を被っていたんです。すると人が色いろ聞いてくるんです、ものすごく恐がっているんです。みんな恐いんです。ということは子どもであろうが大人であろうが銃を持っている人は恐いんです。
非人道な格好で人道支援はできないというのを体現したいと思っています。それが、私が今やっている体現プロジェクトの大きな目的です。今学校を3つ再建しました。またファルージャの村に診療所を建てました。先月には、インターネットセンターを創りました。それは、100%民間の日本人の募金と、現地イラクの友人の協力で出来ました。
こういう小さいですけど草の根を増やしていって、銃を持って人道支援はできないことを体で表したいと思っています。そうしないと現地の人は信じてくれないのです。
いま、銃に頼ろうとしている人が多いし、米国の人もそうだし日本にいる人にもいるかも知れませんけど、それをわんわん言っても、こういう状況がイラクで起きていることを知っている人は殆どいないし、そういう人に銃が危険だと訴えても受け入れてくれない。銃で武装することを絶対的に信じている、安全だと。そうではないと証明するためには体現しないと。それをやっていきたいと思っています。
◇
高遠さんは話し足りなかった様子だったが、時間も迫っていたので、ここで講演会を終えた。
講演会に出席して思うのは、冒頭で高遠さんが訴えていたように、マスコミのイラク戦争の取り扱いである。全てが終ったかのように、情報が激減している。12月に撤退の期限が近づいてきて、やっと話題になる程度だ。
民主党の前原誠司代表は、自衛隊の派遣にあたって、当時政権与党に「国会での事後承諾」のお墨付きを与えたことを今国会で拭い去ろうと予算委員会で訴えているが、巨大化した与党が相手では、すでに遅すぎる。新聞ですら「郵政法案」に隠れて、大きな見出しにはなってはいない。
多くの国民が先を読んで、自衛隊の派遣には反対していた。武力では解決できないことを知っていた。そういう国民の声を理解できないようでは、政治家としての力量が疑われる。それらの反省も無く、リベラルを標榜しながら改憲を説こうとする。矛盾を感じないところに、危険を感じる。
イラクではテロが毎日のように起きており、そのつど何人もの命が奪われている。当時「自己責任」を唱えていた人から、イラクの話を殆ど聞かなくなった。「自己責任」を唱えた自己責任を感じてのことなのだろうか。
日本の国民は、もう一度イラクに目を向け、一日も早く自衛隊の撤退に向け世論を高めてほしい。
※参考:フアルージャで何があったのか 高遠菜穂子さんの講演会(1)〜(6)
http://www.janjan.jp/culture/0504/0504065445/1.php
(岩崎信二)