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□「世界共同体機構」を論ずるために [ル・モンド・ディプロマティーク]
http://www.diplo.jp/articles05/0509.html
「世界共同体機構」を論ずるために
モニク・シュミリエ=ジャンドロー(Monique Chemillier-Gendreau)
パリ第七大学国際法学教授
訳・三浦礼恒
国連改革はかなり聞き飽きた感のただよう話題の一つだ(1)。年々膨れ上がった国連の官僚機構は効率が悪いとされている。平和維持を担う主要機関である安全保障理事会は、第二次世界大戦の戦勝国に支配されており、その任務を果たしていない。紛争を増えるにまかせ、介入するかどうかは恣意的に決定する。冷戦の終結とともに予告された「平和の配当」は幻想でしかなく、武器の売却は再び活発になった。強大な諸国が自国経済の軍事化を選択したからだ。国連の平和維持活動(PKO)は指数関数的に増大し、しばしば派手な大失敗に終わった(2)。ブッシュ大統領の一方的決定による対イラク作戦は、この国を独裁体制から解放した後に混沌と暴力の中に突き落とし、国連の無力さを改めて示した。
国連改革の気運は、脅威・課題・変革に関する専門家報告が2004年末にアナン事務総長に提出され、2005年3月21日に事務総長報告(3)が公表されたことで再び高まった。そこでは「変革期にある世界の課題」として、国家間の戦争、国家内での暴力、貧困、感染症、環境破壊、核・放射線兵器や生物・化学兵器、テロリズム、組織犯罪が分析されている。この見地から予防策が強調され、平和維持はそれが実現できるような環境づくりと結びつけられる。
アナン事務総長は専門家報告の詳細な提案、すなわち武器の規制に関しては軽火器の刻印と所在追跡、保有武器の透明化を謳い、テロリズムの定義に関しては「文民または非戦闘員の死亡または重大な傷害を引き起こす意図の下に行われる(・・・)行為であり、その性質上または状況上、住民を威嚇し、または政府もしくは国際機関に対して、ある行為を行うこともしくは行わないことを強要することを目的とする全ての行為」とする提案を踏襲した。
平和に関しては、紛争を脱した国が破綻状態に陥ることへの危惧から、平和構築委員会の創設が提案された。さらに、文民の保護や、様々な側面からの武装解除に関する多数の条約、とりわけ国際刑事裁判所に権限を与えるローマ規程の、全ての国連加盟国による調印と批准が求められている。しかし、あらゆる改革の大枠があくまで国際法にあり、国際法の下で各国がどのような義務を負うかは完全に主権国家の自由である以上、この提案もしょせんは実効性のないお題目ではなかろうか。過去数年にわたり、力に酔いしれ、あらゆる法規を超越していることを誇示してきた諸国に対して、事務総長のこの勧告がいかなるインパクトを与えるものだろうか。
平和維持のメカニズムが展開できるような環境の構築に関し、このように大がかりな考察が示されたからといって、国連の提案内容のうちに、ある中心的な問題に関わる限界があることは隠しきれない。それは国連の制度改革の問題である。事務総長はこの問題の根幹に踏み込むことを避けている。5カ国が第二次世界大戦の戦勝国であったという正統性の源がもはや衰えているにもかかわらず、常任理事国という存在の見直しは提案されていない。
アナン提案の限界
「安保理の民主化」という言い方は、その現在の構成が理事国間にあると謳われる平等と実際には隔絶していることの告白でもあるが、この期待したくもなる言い方に反して、諸国民間の関係の民主的制度の面にはいかなる前進も見られない。常任理事国の地位と拒否権は、他にいかなる根拠も示されないまま、立場の強さとして維持されている。だが、こうした権力を享受する国々が半世紀にわたって行ってきたことを見れば、現在の制度にけりをつける必要性があるのは明らかだ。常任理事国が法的に責任を問われず、その力をさらに強化し、世界の軍事化を進めてきたという事実は、彼らの特権の見直しを待ったなしで要請する。ドイツ、日本、ブラジル、インドのG4諸国は、この特権的な地位への立候補を公にしており、他にも多くの志願国がいる。
つまり、本質的に一時的なものであるはずの国力が恒久化されるという考えに、ここではいかなる異論も挟まれていない。今日の大国だからという理由でこのクラブへの新規加入が認められれば、さらに強力な明日の大国がその数を倍増させることになるだろう。国力が、責任ある立場に就かせるための基準とされてきたことに対して、第一に異議を申し立てなければならない。民主制の歴史は、最も裕福な者や最も強い者による権力の簒奪に対する闘争から成り立ってきた。安保理は、今回の修正案によっても依然として、平等を本義とする民主制とは隔絶した貴族政治の機関であり続ける。「安保理の民主化」の提唱は見かけ倒しのものにすぎない。
拒否権については、激しい議論の的となっている。常任理事国入りを狙うG4諸国は、大国サークルに迎えてもらう代償として、最初の15年間は拒否権を持たないことを受け入れた。だが、この案にアフリカ諸国は反発した。9月に予定されている攻防の行方はアフリカの出方に大きく左右される。いかなる修正案も国連総会で三分の二以上の賛成を得なければ通過しないからだ。さらに、その修正案の発効には、常任理事国5カ国を含む全加盟国の三分の二による批准が必要となる。
修正案の中で、国連総会に関わる部分はごくわずかである。現在の人権委員会に替えて人権理事会を設置するという案については、少しは改善になるという程度で、新たな機構の役割も権限も明確にされていない。この分野で、多数の人権被害者が待ち望み、人権保護の実効性をもたらすことになる唯一の改革は、国際人権裁判所の創設だ。国際協定に定められた様々な権利を管轄し、個人による提訴も一定の条件の下で可能とする裁判所である。ヨーロッパは、1959年にストラスブールに設置された欧州人権裁判所の形でこのメカニズムを備えており、人権面で他の大陸よりもずっと先を進んでいる。この格差を急いで埋める必要がある。国連で提案されている人権理事会では充分とは言えない。
さらに、国連の報告書は世界の治安悪化の原因を真剣に分析していながら、それを世界的な政治共同体における公共の福祉の定義という問題と関連付けてはいない。現代の主要な課題はここにこそあるが、国連で提案されている対策には二つの阻害要因がある。1945年に権力を簒奪した国々が維持している覇権、そして共産主義が瓦解して以来、世界的に広がっている超自由主義である。このままでは我々は皆、何も得るところがない。
中心的な課題は人々の公共の福祉
今とは異なる世界機構システムを思い描くためには、我々がどんな世界に生きたいか、どんな世界に向かって進みたいのかをまず自問する必要がある。1945年の国連構想を支配していた思想は集団安全保障だが、そこで考えられていた脅威とは国家と国家、軍隊と軍隊の対決だった。国連の筆頭幹部が強調しているように、脅威の性質は変化した。通常兵器や核兵器の拡散も、初歩的な手段を使ったテロリズムや、大鉈による大量虐殺も、国家の境界を越え、国家の枠組みに収まらない暴力だ。その原因は何か。飢餓、発展度のとんでもない格差、気候変動をはじめとする自然災害を前にした際の不平等、大国が後押しする武器の売却や様々な密売、そして人種主義と差別を助長するイデオロギーだ(多くのヨーロッパ諸国とロシアのネオナチ集団、コートジヴォワールを揺さぶる「生粋のイヴォワール人」なる主張、イスラエルのアラブ系住民を差別し、パレスチナの和平を拒絶するシオニズム、攻撃的なイスラム主義)。
人間が暴力に直面する状況がなくなることはない。しかしグローバリゼーションを通して広がる暴力は、排除され、取り残された人々の数を次々に増やしている。そのことが新しい形の暴力を生み、テロリズムの裾野を広げることになる。
となると、アナン提案を加味した修正版にせよ、国連の回答ではまったく不充分に見える。そこでは国際社会の複雑さが無視されている。国連が(とても弱い形で)国家間の関係を管理するのに対し、国家の統制の及ばないところで、人々は強い関係を直接的に構築している。そして後者は純然たる力関係の中で展開され、広く認められているはずの人権がないがしろにされる。生きるために必要なもの(水、エネルギー、知識、医薬品、等々)を守り、公平に分配する仕組みを急いで作らなければならないが、この点については国連開発計画(UNDP)が警告を発してきたにもかかわらず、国連としての取り組みはない。
もし国連が修正不可能であることが明らかになり、大国が自国の権限を少しも譲ろうとせず、世界の資源の大半をかっさらい続けるようならば、「世界共同体機構」の考案を緊急に行う必要がある。グローバリゼーションに最も苦しめられている国々は、自国の必要に見合った別の組織をただちに創設するために、国連からの離脱を考えるのが賢明だろう。
自由に着想を広げるならば、この機構はどのようなものになるだろうか。西洋諸国を中心とはしないことの象徴として、本部はレジス・ドゥブレが提案するようにエルサレムに、あるいはアフリカかラテンアメリカに設置する。基盤を新たにした世界組織として、目的は世界的な政治共同体の構築におく。国家間の関係と個人間の関係が入り乱れた社会の複雑さに応えるよう、この共同体は諸国の共同体に取って代わるのではなく、それを補完するものとなる。中心的な課題は、人々の公共の福祉の定義と保護にある。この機構の下での平和維持事業は、これまでのように遅きに失し、たいていは悪あがき的な対症療法とは違うものにできるだろう。
二つの総会と二つの理事会
この論理に即して、機構的には主に四つの政治機関をおく。国々の代表機関となる総会に加え、人々を代表する第二総会を設ける。後者の代表性の確保は極めて難しい。直接選挙ではいけない。ありとあらゆる裏工作に道を開くことになるからだ。非政府組織(NGO)を介した市民社会の専用機関にするのもいけない。NGOの正統性は自己調達されたものであり、地理的にも極めて不均等に分布しているからだ。少なくとも今のところ、受け入れ可能な解決法は、第二総会を各国の議員によって構成することである。各国議会は人口に比例した人数を第二総会に送り込む。ただし、それが過剰あるいは不充分にならないように調整する。たとえば極小国家はまとめて一つの代表団とする。第一総会については維持される極小国家に有利な「1国1票」制度が修正できる点からも、こうした調整は望ましい。
この二つの総会は協力して、二院制議会にならった委員会方式で、政治だけでなく、経済や社会、軍事、文化に関わる世界規模の問題に取り組む。総会の決議文書には拘束力を持たせる。それは現在のような「ソフト・ロー」ではない。経済社会理事会は信託統治理事会と同様に廃止する(4)。
この二つの総会と対をなす二つの理事会をおく。一つは(非軍事的な)予防活動を担い、もう一つは平和が破壊された場合の介入を担う。前者の理事(25人)は、第二総会の議員の互選で選出された者のみで構成する。理事は全員が同等で、任期も一律に同じとする。この理事会は、特に公共の福祉のために世界共同体機構が採るべき措置を実施する任務を負う。
安全保障を担当する第二の理事会は、二つの総会が合同で選出した25カ国の代表から構成する。理事の任期も決定に関わる権限も同一とし、常任理事国の地位と拒否権は廃止する。しかし、戦争することに利益を見出すような国々に平和への責任を託すことになるかもしれないという矛盾を、いかにして解決するかを考える必要がある。理事国の欠格条項を設け、社会支出に比べて法外な軍事予算を計上している国家や、選挙前の2年間に侵略行為を行ったことが確認された国家の選出を阻止しなければならない。
その他の主要機関として、活動に関して二つの総会に責任を負う事務総長をおく。国際司法裁判所は規程の変更を通じて国際刑事裁判所と合併させ、両裁判所に由来する管轄権を強制的なものとする(5)。この司法機構を国際人権裁判所によってさらに補完する。
こうした方向の議論は、各国政府サークルの外側では活発に行われている(6)。以上の提案は、さらに議論を深めるためのものだ。だが、ここで表明した三つの要請、すなわち民主的制度(特定の国家を利する全ての特権の廃止)、正統性(総会の権限の強化)、そして司法(国際裁判所の強制管轄権)の必要は、もはや長きにわたって無視することはできない。
(1) たとえば以下の950ページにも達する著作を参照。Joachim Muller, Reforming the United Nations, Kluwer Law International, The Hague, 2001.
(2) モーリス・ベルトラン『国連の可能性と限界』(横田洋三・大久保亜樹訳、国際書院、1995年)参照。
(3) 国連文書A/59/2005(http://www.un.org/largerfreedom/)
(4) 国連の主要機関の一つである信託統治理事会は、信託統治地域の施政を行う加盟国とその他の加盟国によって構成されており(国連憲章第86条)、信託統治領の行政を監視する任を負っている。最後の信託統治領だったパラオの独立とともに、信託統治理事会は1994年11月1日をもってその活動を停止することを公式に決定した。
(5) 国際司法裁判所(ICJ)は国家間の紛争を裁く機関である。国際刑事裁判所(ICC)は、一定の条件下で、特定の国際犯罪の容疑者個人を裁く機関である。アンヌ=セシル・ロベール「政治と法が交錯する国際司法」(ル・モンド・ディプロマティーク2003年5月号)参照。
(6) See Daniele Archibugi and David Held (eds.), Cosmopolitan Democracy. An Agenda for a New World Order, Policy Press, Cambridge, 1995.
(2005年9月号)