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特集WORLD:自衛隊イラク撤退のタイミングは 「状況見て」では先送り続く
◇本格政権樹立、年末か/治安業務移管、来年半ばか
いったい、自衛隊はいつまでイラクに駐留するのか−−。米英豪などが撤退という「出口戦略」を探るなか、小泉純一郎首相は「現地の状況を見極めた上で」といった、あいまいな説明を繰り返している。既に撤退した国々の対応を振り返りつつ、大野元裕・中東調査会上席研究員とともに撤退へのロードマップを探ってみた。【太田阿利佐】
●マイナス10プラス4
イラクでは新憲法草案の是非を問う国民投票(15日)を前に、イスラム教徒の宗教心が盛り上がるラマダン(断食月)が始まり、緊張が高まっている。5日も26人が死亡するテロが発生した。基本計画によれば、自衛隊イラク派遣の期限切れは12月14日。政府は再延長する方針だが、自衛隊のいるサマワの治安維持を担当する英豪軍は来年5月ごろの撤退を検討しており、治安悪化も懸念される。
これまでにイラクに部隊を派遣した国は米英を含め延べ40カ国。外務省安全保障政策課によると9月20日現在、28カ国・約16万1000人が駐留する。自衛隊が派遣された03年12月時点(毎日新聞把握分)と比較すると、オランダ、スペイン、タイなど10カ国が既に完全撤退。ウクライナ、ブルガリア、ノルウェーも年内の撤退を表明した。ポーランドは駐留軍を大幅削減している。逆に大幅増員したのは韓国、オーストラリア、グルジアの3カ国。新たに派兵したのはアルメニア、ボスニア、シンガポール、フィジーの4カ国だ。
●冷戦後の写し絵
撤退事情を振り返ってみる。スペインの撤退は04年5月。イラクでの情報部員7人の死亡や、200人の死者を出したマドリードの列車同時テロ事件(04年3月)により、「米国に追従し、テロも防げなかった」との批判が高まり、政権が交代したためだ。同7月には、人質事件をきっかけにフィリピンが撤退。中東地域で働く約135万人の出稼ぎ労働者の安全を優先する判断だった。同9月にはタイが、イラク暫定政府への主権移譲(同6月末)を機に撤退。派遣当初から「主権移譲まで」を期限にしていた。オランダは、サマワ情勢悪化などを受け、04年6月に「05年1月30日の移行国民議会選挙後」の撤退を決定、05年3月に撤退している。
「そもそも派遣国は地域的に集中している。それは冷戦後の世界を反映している」と、大野さんは指摘する。03年12月時点での派遣国は、米英を除けば3グループに大別できる。(1)欧州・中南米の親米国(2)旧東側陣営(3)太平洋とアジアの国々、だ。「冷戦終結で米国が西側に常に君臨する必然も消えた。仏独不参加など、西欧諸国の対応に差があるのはその反映であり、(1)のグループは状況に応じて撤退を進めてきた。(2)の国々は米国支持を鮮明にするため、派兵といういわば踏み絵を踏まされた。踏むことに意味があり、踏んだら撤退・削減している。一方、冷戦後に逆に緊張が高まっているのは東アジア。(3)に属していてもフィリピン、タイなど東アジアの脅威から遠い国は撤退・削減し、韓国や日本はそれができないでいる」と分析する。
●時機と材料
既に撤退・削減した国々に共通していることがある。撤退を求める世論の高まりや議会圧力はもちろんだ。あらかじめ主権移譲などの政治日程に沿った撤退のめどを設定していた国も多い。
「撤退した国のうち、米国との関係が悪化したのは実はスペインぐらい。ほかはタイミングをはかり、米国とうまく取引している。例えばフィリピン軍は撤退したものの、現在イラク内の米軍基地で働く民間フィリピン人は約1万人といわれる。英軍はおそらくアフガニスタンに兵員を集中することを材料に交渉するでしょう」(大野さん)
日本はどうか。米国との主な取引材料は、海上自衛隊がインド洋で洋上補給を行うためのテロ対策特措法の延長ぐらいだが、あっさり閣議決定された。小泉自民党圧勝後の今国会では、審議も簡単に済まされそうだ。
タイミングも難しい。15日のイラクの国民投票で賛成多数なら新憲法が成立し、12月の選挙で本格政権が誕生する。だが、今回は少数意見尊重のため、全18県のうち3県で3分の2以上の反対票があれば憲法草案は否決される。この場合、議会を解散し、新たな選挙で選ばれた議員が再び草案を作る。つまり、今年の1月時点に戻ってしまうわけだ。
大野さんは「予想されるシナリオの一つは、憲法草案に反対しているスンニ派の多いアンバル県、サラハディン県に加え、草案反対のサドル師派(シーア派)の働きかけでもう1県で反対が3分の2に上り、否決される。もう一つは、可決はするが各派に不満が残り、テロが激化する。最後の一つは各派が納得して可決し、国民融和の道を進む。このうち最も望ましい3番目の可能性は低く、否決の可能性は一定程度ある。いずれにしろ、これほど不安定な状況では、『状況を見て』判断するのではなく、あらかじめ時期を設定しておかないと撤退が先送りされ続ける可能性がある」と話す。
そもそも、自衛隊のイラク派遣は、復興支援、日米協調、国際協力の3本柱のうち、日米協調の観点が最も重視されてきた。復興支援では、既に給水活動は給水設備の供与で今年2月に打ち切られ、医療支援も限定的。住民約1000人を雇用しての復旧工事は、雇用創出の面で歓迎されているが、逆に撤退の際には失業を生む。「自衛隊はこれをやりにイラクに来た」というはっきりした目的が地元に見えないから、期待ばかりが膨らみ、自衛隊も「これを達成したから撤退する」と地元に示せない。最悪の場合、「復興支援は形だけで、日米協調のためにダラダラ駐留し、守ってくれる英豪軍がいなくなったから帰った」という印象を与えかねないのだ。
「撤退のタイミングは、年末の本格政権樹立と、多国籍軍からイラクに治安維持業務が移管されるであろう06年半ばの二つでしょう。基本計画を延長するなら、自衛隊の活動内容も見直し、自衛隊の存在意義を明確にしないと、危険の中で活動する隊員がかわいそうです」(大野さん)
毎日新聞 2005年10月6日 東京夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/