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民主主義の二重基準 小松浩(欧州総局)
核兵器への野心を疑われる国の肩を持つつもりはないが、イランにすれば「君たちには言われたくない」という心境だったのではないか。
国際原子力機関(IAEA)が先月採択したイラン非難決議で、インドが米英に同調して賛成に回った。イランからの天然ガス供給計画と、米国に約束してもらった原子力発電技術協力をてんびんにかけ、後者を選んだのではという観測がもっぱらだ。
インドは核拡散防止条約(NPT)に未加盟のまま、パキスタンとともに核保有国になった。いったん「核クラブ」入りした国は原子力の平和利用を手助けし、仲間扱いする。そして一緒になってよその国の核開発にケシカランと文句を言わせる。それなら自分たちも核兵器を持ちたい、と考える国が出てくるのはあたりまえだろう。
強大国のこうした二重基準は核問題だけではない。「フォーリン・アフェアーズ」誌の最近号に米国の大学教授が「世論を反映し民主的に選ばれたアラブの政府は反米的になる。米国はアラブ諸国の早期選挙実施を断念すべきだ」と書いている。かつて米国はイランに対抗するためイラクのフセイン独裁体制を支援した。民主主義は口実で、親米政権をつくるのがイラク戦争の目的なら、それは民主主義の二重基準である。
19世紀の英国首相パーマストンは「永遠の同盟はない。あるのは永遠の国益のみ」と言った。核や中東をめぐる現下の情勢は、大国の、いやあらゆる国家の行動原理が植民地主義の昔から何も変わっていないことを、改めて感じさせる。(欧州総局)
毎日新聞 2005年10月6日 0時05分
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/