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市民記者新聞JANJAN より 柴田忠 氏の投稿を 転載
改めて問う、「百人斬り」は真実か 2005/10/05
http://www.janjan.jp/world/0510/0510033324/1.php
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本年8月、僕は、本紙に改めて問う、「百人斬り」は真実か http://www.janjan.jp/media/0508/0508291648/1.php という記事を投稿し、掲載された。
その記事の動機となったのは、8月24日、産経新聞の「『百人斬り』判決 史実の誤り広げかねない」という社説であり、僕はその中で、自分なりの意見として、
1.この「百人斬り」の話を浅海記者に持ちかけたのは、両少尉ではないだろうか。
2.ただ、その「百人斬り」が真実か否か、という点について見れば、これも佐藤カメラマンが言う通り「嘘っぱちを上手く書いたな」というのが、真相ではないか。
という2点を挙げ、結論として、「今後は、裁判所の形式的な判断ではなく、『百人斬り』の真実が明かされることに期待したい」と書いた。
また、その中で、人民網日文版にあった本多勝一氏の「これを突破口として南京大虐殺を全面的に否認し、さらには日本による中国侵略をも否認しようとするものだ」というコメントに対して、
「常軌を逸した拡大解釈のように見えてならない」
と感想を述べた。
ただ、実は、その段階では、僕は、その裁判の判決文に目を通していた訳ではない。僕自身、裁判の全体像が分かっていないことを、実は大変、気にしていたのだが、先月になって、インターネットのいくつかのサイトで、その時の判決文がネット公開されるに至った。その1つが、読める判決「百人斬り」- Hypertext 東京地裁判決(8/23) http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/file-list.htm だ。
この裁判の詳細については、こうしたサイトに詳しく書かれているので、そちらを参照してもらいたい。ここでは、そのサイトを紹介すると共に、今回、僕が新たに判決文を眺めた上での感想を、簡単に述べたいと思う。
判決文を読んで、改めて思った第1点は、こうした意見は実はネットでも数多く見られるものだが、遺族側が裁判のやり方として、昭和12年当時の東京日日新聞、現毎日新聞が掲載した4回にわたる新聞記事を、いわゆる「虚偽報道」として、それによる「報道被害」という形での裁判を行ったことは、やはり間違いではなかったかと言うことである。
前回の指摘でも、この「百人斬り」の話を浅海記者に持ちかけたのは、両少尉ではないだろうか、と書いたが、判決文を読めば読むほど、2人の少尉の言葉には矛盾が多いし、原告側の出した証拠も否定されている。「報道被害」「冤罪」という裁判の進め方には無理があるように思うのは、僕だけではないだろう。
また、第2点目は、この裁判によって明らかにされた「百人斬り」の実像である。
本多氏は「私のすべての報道は事実に基づいて書かれている」と語り、この「百人斬り」は、白兵戦での「百人斬り」ではなく、「通常、軍刀等を用いて座している者等を斬ることを意味する」「据えもの百人斬り」であるとする。一方、最初の記事である東京日日新聞には、「据えもの百人斬り」とは書かれていない。それを含めると、可能性は3つある。
1つは、この報道自体が「ホラ話」という場合だ。この「ホラ話」の中にも2つあり、1つは、「記者の創作」の場合。そして、もう1つが、「2人が創作したホラ話」の場合である。
2つ目は、この記事の「百人斬り」=「白兵戦での百人斬り」が真実である場合だ。この可能性も捨てることはできない。
最後、3つ目が、この「百人斬り」が「据えもの百人斬り」である場合だが、僕は、この「据えもの百人斬り」にも、少なくとも3つの可能性があると考える。その1は、戦場で戦う意志のない敵兵を斬った場合、その2は、戦場で戦闘終了後の捕虜を文字通り「据えもの百人斬り」をした場合。残りの1つは、戦場で捕虜や近隣の非戦闘員も集めて虐殺的に「据えもの斬り」を行った場合だ。
僕が何故、こうした可能性をわざわざ述べるのかと言えば、この裁判の中には、いくつかの重要証言がある。それらを読むと、いろいろな可能性が考えられる。
例えば、東京日日新聞の鈴木記者。
「本人たちから"向って来るヤツだけ斬った。決して逃げる敵は斬らなかった"という話を直接聞き、信頼して後方に送ったわけですよ」
前述の佐藤カメラマン。
「"あんた方、斬った、斬ったというが、誰がそれを勘定するのか"と聞きましたよ。そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているんだ、という話だった」
H氏証言。
「(野田少尉談)あの話は創作ですよ。中国ではこの話を証拠とするでしょうが、私はやっていないことはやっていないと言います。私に責任があれば、その責任は立派に果たします」
六車政次郎証言。
「出合い頭に銃剣を構えた敵兵とぶつかる。中には軍服を脱ぎ捨てて逃げようとする敵兵や、降伏のそぶりをしながら隙をみて反撃してくる敵兵もある。そんな時には頭で考える前に軍刀を振り降ろしていた」
さらに、志々目彰証言。
「(戦後の野田少尉の弁)実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片つばしから斬る……百人斬りと評判になったけれども,本当はこうして斬ったものが殆んどだ」
望月五三郎証言。
「その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。両少尉は涙を流して助けを求める農民を無惨にも切り捨てた。支那兵を戦斗中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を聨隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである」
鵜野晋太郎証言。
「進撃中の作戦地区では正に『斬り捨てご免』で、立ち小便勝手放題にも似た『気儘な殺人』を両少尉が『満喫』したであろうことは容易に首肯ける」
証言によりニュアンスも異なり、これらの証言があいまいであるとか、否定する意見もあるが、この裁判では、こうした証言を元にして、本多氏の著作を「記載のとおりの事実を摘示し、又は論評を表明したものである」と認めた。つまり、本多氏の著作を「一見して明白に虚偽であるとまでは認めるに足りない」と判断したのである。
では、「百人斬り」の真実とは何だったのか。ここからは僕の勝手な想像だが、2人の少尉が百人斬りを目指したことは事実ではないか、と考えるに至った。そして、占領のスピード、さらに当時の中国軍が敗走を続けていたことを考えると、その数の真否は別として、戦場で逃げ遅れた中国兵を次々と殺傷して行ったのが、いわゆる「百人斬り」ではないだろうか。そして、おそらく2人の少尉にとっては、それは純然たる戦闘行為であって、捕虜の虐殺でも、ましてや住民虐殺でもなかっただろう、というのが僕の推測だ。
また注目すべきは、これも判決文で紹介された、南京軍事法廷での2少尉に死刑判決を与えた理由である。
「向井敏明及び野田厳(「即野田穀」と表記されている)は、紫金山麓に於て殺人の多寡を以て娯楽として競争し各々刺刀を以て老幼を問わず人を見れば之を斬殺し、その結果、野田厳は105名、向井敏明は106名を斬殺し勝を制せり」
とあり、何故か、ここでは、その場所が「紫金山麓」に限定されている。また、その証拠は、東京日日新聞の記事と、
「其の時我方の俘虜にされたる軍民にて集団的殺戮及び焚屍滅跡されたるものは19万人に上り彼方此方に於て惨殺され慈善団体に依りて其の屍骸を収容されたるもののみにてもその数は15万人以上に達しありたり」
という、そこにあった屍骸である。
そして南京軍事法廷では、その「百人斬り」の動機を、「花嫁募集」と「殺人競争」であると指摘している。
おそらく、2少尉にとっては、自分の命がけの戦争での体験を、「花嫁募集」と「殺人競争」という理由で評価されたことが、心残りだったに違いない。
仮に「百人斬り」の事実が、純然たる「据えもの百人斬り」であるなら、東京日日新聞の記事は、明らかに虚報だろう。ただ、当時の記者たちが、そこに誇張表現や戦意高揚の気分を認めるにしろ、その後においても、その記事を正しかったと言うのであれば、その時点で、記者が矛盾に感じるような違法行為はなかったのではと思うのは、僕だけだろうか。そして、それが「据えもの百人斬り」だとしても、単純に残虐行為とは断言できない、いろいろな可能性が考えられるのではないだろうか。
19万人にも及ぶ犠牲者の責任を、100数名を惨殺したとされる2人の少尉が、死をもって償った。さらに、彼らは兵士である。純然たる戦闘行為で敵兵を殺すことが、彼らの役目であって、だからこそ、当時の日本は彼らを英雄として扱った。敗戦によって、日本の価値観が変わったにしろ、彼らが日本のために戦場へ行き、成果を上げた、という事実には変わりはない。
僕は、2人の少尉を日本の残虐性の象徴とする捉え方には疑問を感じる。僕には、2人が、戦場で大多数の兵士と同じように戦争に従事したにもかかわらず、戦後、いきなり南京軍事法廷に連れ出され、大いに迷った、悲しい日本人のように見えてならない。そして、中国への責任問題は別として、それが理解できるのは、日本人しかいないのではないだろうか。
戦争の総括を中国のためや他国のためだけに行っても、意味はない。数々の証言をそのまま紹介した今回の判決は、僕らに今一度、日本の戦争の真実を考える機会を提供しようとするものではないかと思う。
(柴田忠)