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□バリ島テロ事件はジェマイスラミア説が有力 別の新興組織説も [アルジャジーラ]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1423623/detail
バリ島テロ事件はジェマイスラミア説が有力 別の新興組織説も
(アルジャジーラ3日特約)同じ所に落雷はないという安全の理屈を信じて、数千人の観光客がインドネシアのリゾートの島、バリに戻って来ていたが、島は再び、テロに遭遇した。二〇〇二年に起きたナイトクラブ爆破テロ事件から間もなく三年になろうという時、バリ島は再び二十六人死亡、負傷者多数を出すテロに見舞われた。ほぼ時間を同じくする爆弾テロが島の観光の中心を襲い、またもトップニュースになったのである。
インドネシア政府の対テロ活動責任者のアンサヤード・ムバイ将軍はアルジャジーラの取材に対して、「もちろん、犯人たちはメッセージを送ろうとしていたのだ。今回のは象徴的な攻撃だ。人々を脅し、震え上がらせようというのだ」と語った。同将軍は、二〇〇二年にバリ島で二つのナイトクラブを襲うテロ事件を起こした汎東南アジアのテロ組織、「ジェマイスラミア(JI)」が事件の背後にあるとして、「犯行の手口からみて、警察は同じ組織が背後にいると考えている」と語った。二〇〇二年の事件と同じように、同時多発攻撃だったことに加えて、バリ島の観光シーズンたけなわな時機を狙ったことがJIの仕業を物語っているというのである。
二〇〇二年以降、バリ島の治安対策は強化され、観光客が戻っていた。昨年、事件の二周年に当たるころ、多くのバリ訪問者が「もうテロはないだろう」と語っていた。二〇〇三年八月のJWマリオット・ホテル爆破事件、二〇〇四年九月のオーストラリア大使館爆破事件と、テロはジャカルタに移っていたのだ。首都ではホテル、レストラン、外国大使館、外国企業などが特段の安全対策をとるようになった。
ジャカルタで活動する安全対策コンサルタント、マーチン・ヒューズ氏は「ジャカルタは攻撃しにくくなった」と指摘、「それにジャカルタには街路がいこいの場となる『街頭文化』がなく、バリ島にはあって攻撃しやすい」と語った。バリ島の盛り場地区、クタは一日中、国籍の違う外国人観光客があふれ、数百のバーやディスコ、レストランがあり、ショッピング客らでごった返す。多くのレストランやカフェはこの島の熱帯の気候を活用して歩道やビーチまで店を広げており、テロ攻撃を防ぐのはほとんど不可能だという。
ムバイ将軍は、テロリストたちはできるだけ多くの外国人に危害を加えたいので、バリ島が標的になると言う。テロリストたちはヒンズー教の島であるバリを狙うことによって、イスラム教徒の犠牲をできるだけ少なくし、外国人の被害をできるだけ多くしようとしたようだ。
国際的シンクタンク「インターナショナル・クライム・グループ(ICG)」のシドニー・ジョーンズ女史によれば、オーストラリア大使館事件では、ほとんどがイスラム教徒のインドネシア人十一人が犠牲になり、マリオット・ホテル事件では、インドネシア人十一人、オランダ人一人が犠牲になった。このため、テロは同情や支援を集めるどころか、非難の的になった。インドネシアで最大のイスラム教徒組織である「ナフタトール・ウラマ」の上級指導者、マスダル・ファリド・マスーディ氏は「あの事件はたちが悪く、卑怯で、非人道的だ」と非難した。
同女史によると、このような非難を受けて、JIはそれらの暴力的犯行が有効だったかどうかで分裂した。しかし、それはバリ島にとっては何の慰めにもならなかった。
ムバイ将軍を含め、ほとんどの対テロ専門家は、国際的に手配されているマレーシア人、爆弾専門家のアザハリ・フシン、ヌールディン・ムハマッド・トプの二人を容疑者とみている。いずれもJI軍事部門に所属していて、二〇〇二年以降にインドネシアで起きた爆弾テロ事件の三件いずれにも関わったとみられている。
しかし、インドネシア警察がクタとシンバランの二カ所で自爆テロを実行したとする三人のテロリストがJIの工作員だったかどうかは不詳である。
ジョーンズ女史は、自爆テロ実行者はJIとは別ではないかという見方を示している。というのは、過去三年間でJIは明らかに無力化されたというのだ。二〇〇二年のバリ爆弾テロ事件で数十人に上る構成員が身柄を拘束され、警察がJIのアジトを襲って、武器や爆弾を押収したからである。
ジョーンズ女史は、もしかすると「コンパク」の仕業ではないかと言う。ジャカルタ当方の島嶼(しょ)部での宗教紛争にからんだ私兵集団で、アンボン島での爆弾事件、最近のテンテナでの爆破事件を起こしたといわれる。同女史は「それとも、JIのようになりたがっている連中が(JIを)そっくりまねした犯行かもしれない」とも語った。(翻訳・ベリタ通信=日比野 孟)
2005年10月04日20時09分