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http://www.jcp.or.jp/jcp/22taikai/22th_ketugi_201125.html
かっこいい捨てゼリフは、簡単に言える、しかし、戦争=エネルギー確保という現実になんも現実に向き合っていない共産党さんは、絵に描いたもちをひたすら主張しているにすぎない。われわれ日本国民は湾岸戦争の際、サウジアラビア政府から「資源を持たざる国」のレッテルを貼られ、無理難題の要求を突きつけられたことを忘れてはならないし、石油を確保しなくてはならないという気持ちが、1兆円近いお金以外に、海上自衛隊派遣に結びついたことを忘れてはならない。過去、日本は、資源を持たざる国として、世界から2度も屈辱的に扱われたのである。イラクへの派遣も延長もサウジアラビアの顔色伺いであることを忘れてはならない。そして、石油が一番グローバルな経済構築を行っていおり、日本の国益も海外に依存している点で、中立・非同盟は非現実的なのである。
これらは根本的に間違っている戦略と知っている人が多いために共産党の得票率が伸びないという点に帰着できれば面白いとおもう。
――エネルギー……政府は、二十一世紀のエネルギーを、原子力発電所の大増設と、プルトニウムをくりかえし利用する路線に頼り切るという政策をとっている。このようなエネルギー政策をとっている国は主要国では日本だけである。欧米の主要国のほとんどが、原発建設計画をもたず、プルトニウム循環方式からも撤退しているなかで、日本のエネルギー政策の異常さはきわだっている。世界の主要国で放棄された政策にしがみつく政府の姿勢は、この問題でも国民の未来を危険にさらす。
昨年スウェーデンが原発の閉鎖に足を踏みだしたのにつづいて、ドイツが二〇二〇年代初めまでに原発を全廃することを決定した。原発大増設とプルトニウム循環方式という危険きわまりない政策を中止し、低エネルギー社会の実現、再生可能エネルギーの開発をすすめながら、原発からの段階的撤退をめざすべきである。
(11)二つの世界秩序の衝突──干渉と侵略か、平和秩序か
(1)昨年つくられた、日米安保ガイドライン・戦争法と、NATO(北大西洋条約機構)の「新戦略概念」は、アメリカを中心とする軍事同盟体制の危険を、新しい段階に高めるものとなった。
第一に、これまで軍事同盟が大義名分にしていた「侵略にたいする共同防衛」という建前をかなぐりすてて、干渉と介入の戦争に同盟国を動員する軍事同盟へと、公然とした変質をとげたということである。
日米安保条約は、第六条で「極東の平和と安全のために行動する米軍」に基地を提供する義務をおわせているが、日米が共同で軍事行動をおこなうのは「日本への武力攻撃」にたいする対処にかぎられていた(第五条)。ところがガイドライン・戦争法は、「日本への武力攻撃」がなくても、アジア・太平洋地域で「周辺事態」への対応として米軍が干渉や介入の戦争をはじめたら、日本がその戦争に参戦するというものである。
NATOも、もともとの建前は、NATOの加盟国が武力攻撃を受けたさいに、共同で防衛にあたるというものだった(NATO条約第五条)。しかし「新戦略概念」では、NATOの加盟国が攻撃を受けていなくても、「欧州・大西洋地域とその周辺」で「地域危機」がおこったら、それが他国の内政にかかわる問題であっても、干渉と介入のための共同の軍事行動をおこなうことを宣言した。昨年のユーゴにたいする空爆は、その最初の実験だった。
第二に、アメリカを中心とする軍事同盟が、他国にたいする武力攻撃を、国連の決定なしで、国連を無視してでもおこなうことを、公然と宣言していることである。
アメリカは、九〇年代中ごろから、アメリカに都合のよいように国連を利用できるときには利用するが、いざというときには国連を無視した単独の軍事行動をためらわないという戦略を明瞭にしてきた。九六年のイラク攻撃、九八年のアフガン・スーダン攻撃、九八年から九九年にかけてのイラク攻撃、九九年のユーゴ空爆など、国連を無視した武力攻撃をくりかえしてきた。
米軍が国連を無視した無法な軍事行動に出た場合でも、ガイドライン・戦争法を発動するのか、というわが党の国会での追及にたいして、政府は否定しなかった。NATOが「新戦略概念」をうちだすにあたって、アメリカ政府高官は“NATOは国連の下にはたたない”として、NATOが国連を無視して行動することを事実上宣言した。
こうした軍事同盟の変質は、国連憲章が定めた世界平和の秩序――各国の内政には干渉しない、国際的な武力の行使は国連の決定による、各国の勝手な軍事行動は侵略への自衛反撃以外は認められない――を根底からくつがえして、アメリカの横暴勝手な覇権主義を、世界の新しい原理にすえ、それに同盟国を動員しようとする、きわめて危険なくわだてである。ここに、二十一世紀の世界平和を脅かす最大の脅威があることを、私たちは正面からとらえなければならない。
(2)同時に、こうした覇権主義と干渉主義が、世界の民主的世論のなかで、孤立を深めていることが重要である。ユーゴ空爆は、「人道的介入」の名のもとにおこなわれたが、この暴挙にたいして世界中から批判の声がわきおこった。
世界人口の圧倒的な多数をしめる非同盟諸国は、昨年九月の閣僚会議で「国連憲章にも国際法の一般原則にも法的基礎をもたないいわゆる人道的介入権を拒否する」という確固とした立場を宣言している。わが党代表団が、昨年九月に東南アジア諸国を訪問したさいにも、アメリカの覇権主義と、「人道」の名による干渉主義に反対する、共通の立場が確認された。
国連総会の場でも、ユーゴ空爆にたいして、中国、ロシアからのきびしい批判はもとより、フランス、ドイツなどNATO諸国からも、あのような空爆をくりかえしてはならないとする懸念が表明された。最近公表されたイギリスの下院外交委員会の報告書では、空爆を支持する立場にたちながらも、空爆が国連憲章に反した違法なものであるということを認めざるをえなかった。
アメリカは、ソ連崩壊後の世界戦略として、自分の意にそわない一連の国々を「ならず者国家」として、これらの国々への一方的な経済制裁、軍事制裁が許されるとする横暴勝手な戦略をとってきた。しかし、アメリカが、キューバ、リビア、イランなどへのさまざまな制裁措置を、同盟国にも強制したうえ、それに参加しない同盟国やその企業への罰則を適用するという一方的なやり方をとったことは、アメリカと同盟国との矛盾と対立を、拡大することになった。朝鮮半島での南北首脳会談によって、アメリカがこれまで「ならず者国家」としてきた国が、新しい平和の流れの一方の当事国となるという変化もおこった。
こうしたなかで、アメリカ政府は、「ならず者国家」という概念を公式に放棄し、「懸念国家」という一般的な概念におきかえざるをえなくなった。アメリカは、覇権主義と干渉主義の戦略をいささかも見直してはいないが、その戦略が深い矛盾と破たんにおちいっていることを、これらの経過はしめしている。
二十一世紀の世界のあり方として、二つの国際秩序が衝突している。アメリカが横暴をほしいままにする戦争と抑圧の国際秩序か、国連憲章にもとづく平和の国際秩序か――この選択がいま、人類に問われている。戦争の違法化という二十世紀の世界史の流れを逆転させようとする方向には、けっして未来はない。日本共産党は、平和の国際秩序をきずくための国際的連帯を、世界に広げるために、力をつくすものである。
(12)核兵器問題をめぐる本流と逆流
(1)この間、核兵器廃絶にむけて、国際社会には、大きな前進がつくられた。
アメリカを先頭とする核兵器大国は、九五年に、核不拡散条約(NPT)の無期限延長を強行したが、世界を、少数の「核兵器を持つことが許される国」と、圧倒的多数の「持つことを許されない国」に差別する体制の矛盾は、激しくなるばかりである。とくに九八年のインド、パキスタン両国の核実験強行は、核兵器独占体制には、核拡散を阻止する道理も力もないことを明らかにし、この体制の破たんを露呈するものとなった。世界は、今後とも矛盾に満ちた核兵器独占体制をつづけるか、それとも核兵器廃絶の実現にむかうかのどちらかしかないことが、これまで以上に鋭く問われることとなった。
こうした状況のもとで開かれた今年五月のNPT再検討会議では、最終文書に、「核兵器保有国は、自国の核兵器の完全な廃絶を達成」することを「明確に約束」するということが明記され、核保有国をふくむ合意となった。
重要なことは、この最終文書での合意が、アメリカなど核保有国が主張した「核兵器の究極的廃絶」という、核廃絶の永久先送り論を打ち破ってつくられたということである。非同盟諸国や、「新アジェンダ連合」という核兵器廃絶をめざす国家連合は、この「究極的廃絶」論にたいして、「核兵器の全面廃絶は義務であり、優先課題であって、究極的目標ではない」という鋭い核心をついた批判をおこなった。国際的批判が広がるもとで、孤立を恐れたアメリカが、「究極的」の言葉をとることに同意し、最終文書での合意がつくられたのである。
これは、核兵器廃絶を緊急・中心課題とするわが国の原水爆禁止運動の追求してきた方向が、世界の世論と運動のなかでも、さらに国際政治の場でも、たしかな流れとなって広がっていることをしめした、歴史的成果であった。現代における最悪の軍事力である核兵器も、“道理にたった外交と運動の力”を広げるならば、二十一世紀にその廃絶への道を開きうることを、この動きはしめした。
(2)もちろん核廃絶か核独占かの二つの道の対決に、決着がついたわけではない。NPT再検討会議の最終文書にもられた核軍縮措置には、期限や具体的段取りが明記されておらず、これだけでは実効あるものにはならない。
アメリカは、いまも核戦力の絶対的優位確保と、核先制使用戦略をひきつづき追求している。相手のミサイルを無力化するNMD(全米ミサイル防衛)構想やTMD(戦域ミサイル防衛)構想に固執し、核先制使用戦略を強めようとしている。包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准せず、未臨界核実験をくりかえし、核兵器の開発・強化をつづけている。こうした態度は、世界中に不安を広げ、国際世論はもとより他の核保有国、同盟諸国からも批判をうけている。
このなかで、日本政府のとっている態度は、まったく異常なものである。毎年の国連総会で非同盟諸国が提出している「期限をきった核兵器廃絶」をもとめる決議に棄権し、NPT再検討会議でも「核兵器の究極廃絶」を、「われわれの共通の旗」だとして支持をもとめてきた。さらに今年の国連総会には、「究極的核廃絶」論が破たんしたにもかかわらず、「究極的」を「最終段階」に言い換えただけの決議案を提出し、被爆国政府として恥ずべき姿勢をさらけだした。世界の流れにさからう自民党政治のゆきづまりは、ここでも鮮やかである。
二十一世紀を、核兵器のない世紀にしていくために、核廃絶をかかげた各国政府、自治体、NGO(非政府組織)、平和運動が、互いに協力しあって、草の根からの運動を広げていくことは、いよいよ重要である。そのなかで半世紀におよぶわが国の原水爆禁止運動が、さらに大きく成長し、日本政府の核兵器固執政策を打ち破っていくことが、強くもとめられている。