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投稿者:miyadai 投稿日時:2006-03-02 - 22:25:32
援助交際ブームのピークから十年。元援交少女の作家たち3人と、座談会をしました
■世の中には二種類の人間がいる。「内在系」と「超越系」だ。毎日平穏無事に生きられれば満足するのが「内在系」。日常だけでは窒息するのが「超越系」。どの世代にも「超越系」がいて、独自の「非日常ゲーム」を見つけようとしてきた。
■援助交際は「超越系」お嬢様の「非日常ゲーム」として始まった。それが第一世代。だが、このゲームの問題点は「女子高生ブームの間」「自分が女子高生の間」しか続かないこと。現に続かなくなって、彼女らは自傷系やオクスリ系と化した。
■当事者の中山さんが言う。第一世代は万能感があった。だが虚妄の万能感ゆえに逆に社会に居場所をなくしたと。確かに第一世代はチヤホヤされた。街を歩けば「五万でどう?」。「援交元締め」や「女子高生仕出し屋」の子もいて、世の中を動かしていると実感できた。
■でも、社会には彼女らの万能感を維持できる座席はなかった。彼女らにはそれに対処する将来構想もなかった。だから彼女らは、万能感を知る分、かえって窒息感に苦しむようになる。かくて援交は「生きにくい系」の自意識調整ツールに変じた。
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■第二世代は、幾らでも日常を楽しめる時代なのに日常を楽しめないのは、ダサいことだと考え始める。だから援交がカッコ悪くなった。援交は「生きにくい系」の象徴で、しかも「生きにくい=日常を楽しめない」のはカッコ悪いことだからだ。
■当事者の山崎さんが話す。自分らはノリノリで生きていることを互いに示し合おうとした。場を盛り上げるべく気を遣い、キャラを演じた。それがとりわけ「超越系」の子らに窒息感を与えた。役割演技の窒息感が援交を動機づけたが、カッコ悪いので、誰にも明かせぬ「こっそり援交」だった。
■第三世代にとって援交はどうでもいい日常になる。だから常習援交が減る代わりに臨時援交が増えた。携帯代が払えない時、消費者金融の門をくぐるより、援交の方が周りに迷惑をかけずリスクも少ないという感覚が一般化した。一度でも援交や風俗体験入店の経験がある若い子らが激増した。
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■第一世代にとって援交は非日常の祭りだった。第二世代にとって非日常の追求は「生きにくい系」の証なので、非日常の援交は人目を忍んだ。第三世代は臨時援交が「日常の財布」になると同時に、自分や社会の将来を考える真面目さが追求され始める。象徴的なのがギャルも巻き込むNPOイベントブームだ。援交拡散化と真面目化が平行する。
■中山さんや大泉さんは言う。NPOイベントブームが非日常的な祭り志向の埋め合せなのは本人にも見え見えで、飼い慣らされた枠組の偽善ぶりに悶々とする子もいると。むろん日常的に拡散した援交は非日常への出口にならない。
■皮肉な話だと思う。反社会的な身振りをした昔の女子高生。社会的な身振りをする今の女子高生。虚妄の全能感にせよ、昔の方がずっとずっと幸せに見えた。その事実が今の社会を映し出す。
参照:
中山美里『16歳だった—私の援助交際記』幻冬舎
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344007387/503-0362389-7206372
大泉りか『ファック・ミー・テンダー』講談社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062120313/503-0362389-7206372
山崎優子『謳う、援交少女』ミリオン出版
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4813020313/503-0362389-7206372