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2006年1月16日(月)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-01-16/2006011602_03_1.html
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政府は二〇〇七年度から、小学六年生と中学三年生の全員を対象に、全国学力調査(学力テスト)をおこなおうとしています。
全国学力テスト(学テ)復活は二〇○四年、就任した中山成彬文部科学相(当時)によって打ち出されました。「今までの教育に欠けていたものがあるとすれば競い合う心」、「全国学力テストをやって競い合う教育を」――当時の中山文科相の語録を読めば、競争で学力世界一に返り咲こうという狙いは明らかです。
■財界が旗ふり役
かつて失敗して中止した学テの復活が決まった背景には、いまの日本の「気分」――競争万能の新自由主義があります。
その旗ふり役は財界。「学校間はもとより教員間の競争原理を働かせれば、二十一世紀に必要とされる人材育成が可能となろう」(日本経団連の教育提言、○五年一月)とのべるなど、“もっと競争原理を”の大合唱をしています。
しかし、日本でひろがる「競争主義」も、世界から見ると克服の対象です。
そもそも、日本が一位になろうという、現代的な国際学力調査自体が、競争的な学力への疑問を出発点にしています。OECD(経済協力開発機構)発行の『人生への準備は万全?』は、OECDがPISAという学力調査をはじめた経過説明をこう始めています。
「(日本や韓国等の学力の)成功は、他の重要な面、すなわち生徒の間における創造性、批判的思考、自信といったものの犠牲の上になされているのではないか」
日本型の学力は二十一世紀には通用しないだろう、というのがOECDの大局観です。
だから、PISAの問題は「一階は表玄関と店舗、その上にマンションが二十階あるビルは何メートル?」など、暗記した公式の当てはめでは解けないものが少なくありません。五十〜九十メートルの範囲なら「正答」。回答者は一階はエントランスだから十メートルなど想像しながら解きます。日本の子どもはこうした問題に手をつけない傾向が強くあります。
■連帯尊ぶ人間を
競争では到達しづらい学力が世界で探究されているときに、競争復活というのは、あまりの方向違いというしかありません。「学力世界一」のフィンランドは、日本の間違った方向をただすうえで一つの参考材料です。次の三点が注目されます。
第一に教育条件。フィンランドは一学級二十四人です。日本の四十人学級では、一人ひとりの学習のつまずきをみることは困難すぎます。
第二に教師の地位。フィンランドで教師は専門家として尊重され、責任をもって自由に授業をおこないます。日本では多くの学校でそうした自由が奪われ、授業の魅力が失われています。管理と雑務におわれ、教材研究の時間もない実態も深刻です。
第三は学力の中身。フィンランドの文部大臣は講演で、「私たちの教育は福祉国家に欠かせない。学習で競争より共同を重視するのも、連帯を尊ぶ人間に育てたいから」とのべていたことは印象的です。
格差か平等か、暴力か平和か、多様性の拡大、ネット社会の光と影。そんな中で生きていく子どもを支える学力の中身が語り合われるべき時です。競争をのりこえ、主権者に必要な学力の形成へ、さまざまな人々の協力が必要です。その手がかりは、世界と日本に無数にあります。(松本俊男)