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特報
2006.01.16
医療観察法の闇
「アブナイ人間は閉じこめておけ」。一昨年十一月の奈良に始まり、昨年暮れの広島、栃木と連鎖した女児殺害事件を受け、そんな社会防衛論が再び高まっている。そうした論調を反映した法律が昨年七月、施行された。心神喪失者医療観察法がそれだ。施行前「保安処分になりかねない」という反対派の懸念は情緒的な世論に押し流された。だが、施行後、こうした懸念は現実となりつつある。 (田原拓治)
医療観察法ができたきっかけは、児童八人が殺害された二〇〇一年六月の大阪・池田小事件だった。
その直後、関東地方に住む四十代の男性Aさんは長く勤めていた塾の講師を辞めた。「自分のかばんを子供たちが開けて、薬や診察券を見つけ、保護者に伝えられたら、騒動になりかねない」と心配したからだ。Aさんは学生時代から、統合失調症を患ってきた。
「当時、通院していた人で、アパートに住民が押しかけ『早く入院しちまえ』となじられた人もいた」
療養中なのに毎朝、スーツ姿で家を出る人もいるという。「いい年をして、ぶらぶらしている」という近隣住民の視線を恐れてだ。Aさんは「こんな(女児殺害)事件が起きると、また世間の風当たりが厳しくなる」と声を落とした。
同法の成立は〇三年七月。国会で三会期にわたってもめ、日本弁護士連合会や日本精神神経学会も反対したが、最後は強行採決された。論議の根幹は、この法律が刑罰とは別の「長期の予防拘禁」(実態としての保安処分)を可能にするという点にあった。
このため、政府は法の狙いを「丁寧な治療と社会復帰」と強調。だが、「危険な人物が野放し」「被害者はやられ損」といった社会感情が背景にあったのは事実で、施行前夜には「いまは障害者福祉の時代ではない。治安の時代だ」と口にした自民党議員もいた。
では実際、精神障害者による犯罪は多いのか。重大な犯罪を再び起こす確率は高いのか。さらに、この法律の対象の要件である再犯の予測は可能なのか。
こうした点は成立過程でも問われた。まず、厚労省の〇二年度の調査を基にすると、うつなども含む精神障害を持つ人の割合は国民の約2%。一方、交通事故などを除く一般刑法犯のうち、精神障害者の割合は0・7%にすぎない。
さらに殺人の再犯率は一般犯罪者が28%なのに対して、精神障害者は6・8%で、放火でも前者が34%に対し、9%にとどまっているというデータがある。
再犯予測については、犯行直後の責任能力を判定している以上、可能という見方がある。だが、医療刑務所にも勤務経験がある精神科医の中島直氏は「一週間先ならいざしらず、二年先の予測など現在の医療レベルでは不可能」とみる。
中島氏が問題視するのは「擬陽性」の可能性だ。これは実際には事件を繰り返さなくても、再犯予測が可能という前提で、拘禁されてしまう人々の確率だ。一種の冤罪(えんざい)だ。同氏は「最も少なく見積もっても、拘禁者のうち63%は再犯を起こさない人」と試算する。
「野放し」論はどうなのか。「これも精神障害者への偏見で、実態はまったく違う」と当事者団体、「全国『精神病』者集団」の長野英子事務局長は訴える。
「(心神喪失などで)不起訴になっても、大きな事件を起こせば、“無罪放免”で、社会には出られるはずがない。大半は精神保健福祉法に基づく措置入院の形で拘禁されている」
弁護士たちの間では、医療観察法によって「刑事裁判は死んだ」という声が漏れている。検察官が適用を申し立てた後、入院などを決める判断が警察や検察が作成した調書を基本に下されるためだ。弁護士(付添人)に意見陳述権はなく、もちろん黙秘権も存在しない。
この問題に取り組んできた池原毅和弁護士(東京)は最近、強制わいせつ容疑で、医療観察法が適用された事件を担当した。
「(自分の存在が社会に迷惑をかけているとの幻聴に悩む)容疑者は、自分が事件で恥をかけば、世の中が救われると思ったと動機を話した。しかし、警察の調書では性欲が動機で、本人が被害者にわいせつな言葉で迫ったとあった。その言葉を被害者自身も聞いていない。強制わいせつの成立には、性的な意図が不可欠。警察がつくり上げた疑いがあった。だが、判断する医師は一般に調書を疑うことを知らない。結局、警察の言い分が通ってしまった」
被害者が無傷だった殺人未遂容疑事件でも、適用があった。「このケースでは殺意があやふやで、裁判になれば悪くても執行猶予が付いたと思う。だが、医療観察法の適用を受け、拘禁されてしまった」(池原氏)
この法律には「重大な事件」のみ対象にするという前提があったが、全治五日間や一週間の軽い傷害事件での適用例も報告されている。このため、「政治的な意図で乱用され、長期拘禁されかねない」という“考えすぎ”を無視できない状況が生まれている。
最高裁によると、昨年七月の同法施行以降、十二月末現在で、同法の申立件数は全国で百四十一件。判断が出たもののうち、入院が四十一件、通院が十七件、治療が不必要と判断されたケースが五件、却下が一件となっている。
一方、収容先の医療施設は当初、施行までに新病棟(予備を含め三十三床)を国立で八カ所、都道府県立病院で十六カ所整備する計画だった。だが、地域住民の反対や人手不足から新病棟ができたのは、国立武蔵病院(東京都小平市)と独立行政法人・花巻病院(岩手)、二月開設予定の同北陸病院(富山)のみ。
このため、既存病棟を改修、ベッド数も十五床に半減する形で、昨年十二月に独立行政法人・東尾張病院(名古屋)、一月に同肥前精神医療センター(佐賀)に施設を開いた。都道府県立病院分では「病室単位で十四床以下にする」という計画縮小を強いられた。
厚労省側は「人員配置の基準に変更はなく、手厚い看護は確保できる」としているが、反対派は「治安ではなく医療優先、という建前すら崩れた」と批判を強めている。実際、岡山で申し立てられたケースでは、東京の武蔵病院への収容が「地域での社会復帰を妨げる」と退けられた。
京都での塾講師による小六女児殺害事件後、講師の「通院歴」調べを徹底する学習塾も出てきた。前出の長野氏は「安全管理の風潮の中で、安心して病人になれない現実がある。病気以上に、差別の苦しさは耐え難い」と指摘する。
精神科医療史研究会の世話人で、半世紀にわたり、精神科医を務めてきた岡田靖雄氏はこう話す。
「医療には限界がある。危険性を完全に除きたいのなら、心当たりのある人間を全員閉じこめたらいい。でも、そんな世界に私たちは暮らせるだろうか」
<メモ>心神喪失者医療観察法
殺人や放火、強盗、強かん、強制わいせつとこれらの未遂、さらに傷害容疑で逮捕された容疑者のうち、検察官が心神喪失もしくは心神耗弱とみて、不起訴か起訴猶予とした者、あるいは裁判で同じ理由から、無罪もしくは執行猶予となった者が対象。
検察官の申し立てに基づき、裁判官と精神科医各一人の合議で鑑定入院の結果に基づいて、入院、通院、治療なしの処遇を判断。厚労相が指定する医療機関で、社会復帰に必要な治療を受けさせるとしている。
入院は一年半が基本で、通院は最長五年。ただ、入院には期限がなく、「長期に対象者を閉じこめる」危険性が指摘されている。
<メモ>措置入院
精神保健福祉法に基づいて、「自傷他害」の恐れがあると精神科医二人に判断された場合、本人や家族の意思と関係なく、都道府県知事の権限で強制入院措置が執られる。入院期間に制限はない。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060116/mng_____tokuho__000.shtml