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(回答先: 異端の肖像2006 「怒り」なき時代に <1> シンガーソングファイター 【東京新聞】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 1 月 01 日 08:45:06)
異端の肖像2006 「怒り」なき時代に<3>
シンガーソング ライター松山千春(50)
昨年夏、北海道から捲土(けんど)重来を果たすべく、鈴木宗男が「新党大地」を旗揚げした。その隣には松山千春がいた。政治的な言動は芸能人にはタブーだ。だが彼は躊躇(ちゅうちょ)なく、小泉政権への怒り、地方切り捨てへの怒りを叫び続けた。
「俺(おれ)、いつも冗談半分で言うんだけど、日本から東京がなくなっても、日本は何も困りません。けど、北海道や九州がなくなったら、すごい困ります。冗談半分ですよ、でも半分以上本気なんですよ」
「地方」が提供する食糧、労働力、エネルギーを吸い続けなければ死んでしまう。それが大都会の宿命だから、地方がなくなると困るんだと松山は力説する。
「人、金、情報が都会に集まるのは当然なんだけど、あまりにも一極集中になりすぎている。夢は、どんな地域にいても見て構わないのに、今はそれすら見られない。金や夢や欲や、そんなものが全部、東京にあると思っている。小泉さん(首相)が政権とってから四年の間に、すっかり勝ち組、負け組に色分けされてしまった」
かつて、地方の人間は生活のために都会へ向かい、都会は「乾ききった紙のように」労働力を吸い上げた。でも都会が飽和状態なのに、さらに人が集まるから「これ以上吸いきれなくて、ポタポタッと水滴になって落ちるしかない」。そして「自分はポタッと落ちた人間じゃないと思いながら必死で頑張っている」のが、今の日本だと指摘する。
松山の故郷・足寄町の人は、まず帯広を目指し、次が札幌、その先が東京だった。今は一足飛びに東京へ向かう。中間都市の衰退こそが、地方が疲弊している証拠だという。地方から声を上げるなら地域政党しかないと考えてきた。
「選挙で、どこの候補者も必ず言うでしょ。この土地から日本を変えましょうって。でも、その先生、東京に住んでるんですよね。小泉さんの手足になって、ハイハイと言っているだけ。それで、どこが変わるっての? 本当に変えるなら、北海道や北陸からローカル政党が出てきて、そいつらが新しい政策集団つくればいい。それで初めて『この土地から』って演説が本物になるんです」
均衡ある国土の発展が、この国のスローガンだった。政治家は地元に公共工事を持ってきて、中小企業に金が落ちた。日本経済が行き詰まった途端、このシステムは否定されたが、「人が多い所だけインフラを充実させるのは政治じゃない」と訴える。
「政治家は『あるもん』と『ないもん』の橋渡しをする人たち。当然、そこには利権が絡むし、汚い駆け引きも出てくるよ。まさに、その生贄(いけにえ)にされたのが鈴木宗男ですからね。それは否定しないけど、権力のある人間、ない人間、健常者と障害者、若いやつと年寄り、そのバランスを取るのが政治だと俺は思うんですよ。金ないやつはガタガタ言うな、地方はどうせ人が減るんだから、そんなの要らないってのは、そりゃ、政治じゃないって」
一九九七年の北海道拓殖銀行破綻(はたん)以来、北海道はまだ不況を脱し切れていない。昨年十二月発表の「平成十五年度道民経済計算」によると、道民所得は一人当たりの年収二百五十四万五千円で七年連続で減少、全国平均との格差は三十四万円に広がった。全市町村の75%が過疎市町村(二〇〇四年北海道経済要覧)で、完全失業率5・7%(〇四年)は、全国平均を1ポイント上回る。
先の選挙で鈴木宗男が勝ったのも、北海道が疲弊しきっているからだと言い切る。特に厳しいといわれる留萌、稚内といった漁村から「なんで?と思うほど票が出てきた」。
「どう考えてもね、疲れきって栄養剤飲むなら、町村(信孝、北海道5区)や中川(昭一、同11区)や武部(勤、同12区)よりも、鈴木ドリンク飲みますよ。鈴木宗男は毒はあるけど、薬でもあるんですよ。鈴木ドリンク一回飲んだら、もう武部ドリンクには戻れませんよ。彼こそ、権力保持のためなら小泉さんに全身全霊かける権力の権化みたいなもんですからね」
松山と鈴木が出会ったのは約二十五年前。鈴木が秘書をしていた故・中川一郎元農相が引き合わした。だが、本当に深く鈴木を知ったのは八三年、当時他殺説も流れた中川の死の一部始終を見てからだと振り返る。
「宗男さんが『これで自分の人生終わった。足寄に帰るか』って言った、その時だな、この人、なんて潔いんだろうと思ったのは。周りから『人殺し』と言われても、先生の名誉を傷つけたくないからと、一言も反論しなかった」
反骨のシンガーを自称しながら、与党の実力者である鈴木を支持することに矛盾はなかったのかと問うと、「全然なかった。彼が強引なやり方をするといわれようが、最終的に北海道が良くなればいいと思っていた」と、きっぱり答えた。
ただ「権力に近付きすぎるんじゃないよ」と常に言ってきたと明かす。不安は的中し、鈴木は転落。ムネオハウスから始まったバッシングの嵐の中で、松山は彼を擁護した。世論を敵に回すむなしい戦いに見られたし、批判もあったが、後悔していない。
「そりゃ、松山千春の人生の打算からいえば、黙っているか、一緒に攻撃する方がやりやすかった。でも俺は、宗男さんが、やましいことしたとは思ってないし、彼が好きだから、彼への屈辱や罵声(ばせい)を少しでも受け止めてあげたかった」
「新党大地」は松山の命名で、理念は「大地に還(かえ)り、大地に学ぶ」。地方が切り捨てられるのも、弱者が顧みられないのも、勝ち馬に乗ろうとするのも、元凶は、日本人が生活感を失い、足元を見失い、社会全体が浮足立っているからで、政治もメディアも大衆迎合主義に陥っていると容赦なく批判する。
「小泉さんが、自民党を追われた人に傲慢(ごうまん)な態度を取れるのも、彼に生活感がないからですよ。マスコミはといえば、金になるなら誰でも出す。小学一年の女の子を殺した犯人も杉村太蔵も、テレビや活字からは同じようにしか流れてこない」
彼の目に、都会はビニールハウスに映る。旬を失った野菜のように「人生の旬」を知らない人が増えている。それが分からないと、自分が何者で、何をすべきか分からない。だから、インターネットやテレビから、自分のポジションを探るしかなくなるのだ、と。
足寄には生活のにおいが強く漂う。そこから車で札幌に向かい、街が見えてくると、最北の大地に、これほどの都会を造り上げたことに感動するのだという。
時には口の悪さをのぞかせ、よどみなく話していた松山が、静かに丁寧に、こう語った。
「都会に住んでらっしゃる方には、わからないかもしれないけど、北海道みたいな山の中で、やせた土地を開拓しながらね、牛を飼って、冬はマイナス三〇度の寒さの中で、それでも幸せになることはできるんですから。だからね、もう一度足元見つめ直しましょうよ。自分たちが、やらなきゃいけないことが分かってくるんじゃないですか」 (敬称略 宮崎美紀子)
まつやま・ちはる 1955年生まれ、北海道足寄(あしょろ)町出身。鈴木宗男衆院議員は、足寄高校の先輩にあたる。77年「旅立ち」でデビューし、翌年の「季節の中で」が大ヒット。主なヒット曲に「長い夜」「恋」など。北海道を離れず、音楽活動を続ける。2005年、鈴木氏が代表をつとめる「新党大地」の結成に協力した。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060104/mng_____tokuho__000.shtml