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奈良女児誘拐殺人死体遺棄事件
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投稿者 デラシネ 日時 2005 年 12 月 09 日 06:32:03: uiUTTMWMO8Vq6
 

奈良女児誘拐殺人死体遺棄事件

2004.12.31ついに奈良県の楓ちゃん誘拐殺人事件の犯人が逮捕されました。学校帰りの小学2年生の少女を言葉巧みに誘って誘拐するという犯行は、幼い子供を持つ親を震撼させました。楓ちゃんのご冥福をお祈りしてやみません。
さて、逮捕された男性の特徴や情報を各記事から抜粋して整理しました。

〔情報1〕


〔情報2〕

〔前科・経歴・生立ち〕

〔記事から抜粋〕
小林容疑者は「誘拐するのは誰でもよかった」と供述している。小走りで追い越しながら帰宅する女児に「送ってあげると声をかけた」ところ、女児は走りすぎた後戻ってきて助手席に自ら乗り込んだ。

その後走り始めるとすぐに女児の携帯の電源を切り、「おっちゃんの家、ちょっと遠いけど回らせて」と自宅ワンルームマンションに直行した。電話の電源を切ったのは、家人からの電話を恐れたためらしい。

自宅では長時間過ごし、一緒に風呂に入って浴槽に顔を沈めて殺害。殺害後、「歯を抜いた。歯は捨てた」と話しているという。

こうした犯罪と呼べる行為は、"反社会性"というパーソナリティに支えられていることと、その人を取り巻く環境が合算されて起きていると考えてよい。

よく思うのですが、子供に限らず大人でも初対面の印象はとても重要ですね。私は子供からとても好かれやすいのですが、反対に子供から嫌われる大人の典型像もあります。それは"自分に怒気をぶつけてくる大人""自分に危害を加える怖れを感じさせる大人"ということになりますが、子供は弱い立場に立っていますから目の前の大人が自分に優しいかどうかを一瞬で見抜く能力を持っていると感じることが少なくありません。

楓ちゃんが小林容疑者の車にわざわざ戻ってきたのは、小林容疑者の誘いかけが(急いでいる楓ちゃんにとって)言葉巧みであったことと、優しそうな笑顔や声のトーンなどにも気を遣ったからでしょう。逆の方向から見れば楓ちゃんにとって小林容疑者は"嫌な大人だ"とは思わない大人であったようです。

また、こうした犯罪に限らず人間の行動は何重にも合理性の糸で結ばれているものですから、ひとつの行為がいくつかの複数の目的を有しているわけです。次の記事ではこんなことが書かれてあります。

〔記事から抜粋〕
楓ちゃんの母親に犯行声明ともとれるメールや写真画像を送信した理由について、「同じ年ごろの子供を持った知人女性への仕返しのつもりで、(メール送信を)やった」などと供述しているという。

小林容疑者は「昔つきあっていた女性に同じ年ごろの子供がいた。その女性に恨みがあり、メールを送りつけたのは仕返しのつもりだった」などと供述しているという。

小林容疑者を知る人は、「冗舌に話すかと思うと、突然、激高することがあった」と話す。販売所の近くで飼っていた犬の腹を、力任せにけっている姿も目撃されている。
小林容疑者が通った私立高校の当時の担任によると、「極めておとなしく目立たなかった」という。「いじめを受けていたことを覚えている。クラスでいじめないよう指導した」

〔テレビの報道から〕
学生時代を知る同級生は、「小林容疑者は強い者へは絶対服従で、弱い者をいじめていた。だから、当時のそうした面と今回の事件は重なるところがありますよ。」と語った。
いじめは集団へのネガティブな気持ちで起こります。このネガティブな気持ちは回避や反発などであることが多いようで、大人しい生徒でも心の中にはこだわりや、わだかまりがあるものです。

そしてこの"いじめ"は、家庭環境の悪さと生来の気質が大いに関与していることは間違いありません。このプロセスはこうです。まず、生来の気質に閉鎖的、内向的な傾向があります。そして両親の愛情の与え方に偏りがあります。

子供が望む願望に対して両親が与える様式が大きく異なった場合です。こうしたことに従順に順応するのは、社会への適応因子を沢山持っている子供ですが、遺伝的にあるいは器質的にそうした因子が少ない子供は、個人性を重視しすぎてしまい集団に溶け込んで行かなくなります。

そして両親の愛情のかけ方で失敗に繋がりやすいのは、子供の願望を正視しないということだと言えます。子供が自主的に発する理想や願望を受け止めようとせず、大人側の理想や願望を与え続けることが子供の長期間のフラストレーションを累積させ、その鬱憤が違う形となって現れ、結果的に間接的な親への反発となって返って行く図式です。

さて上の記事ではわいせつ目的ということ以外に、元付き合っていた女性への復讐という目的があったことがわかります。犯罪に限りませんが、人間の行動にはいくつかの目的遂行が同時に行われる性格を持っています。

この元付き合っていた女性にも同じ年頃の子供がいたから、その女性への仕返しとして、メールを送り続けたというわけです。こうした心理は普通の人には理解できないものです。本来なら元付き合っていた女性への不満は、その本人へぶつけるなりして解決するものだからです。

それなのに小林容疑者は元つきあっていた女性と楓ちゃんのお母さんを同一視していました。社会へ適応する力の弱い人は、体験を納得するために同類項にまとめて記憶するということをします。

ある女性が痴漢の被害に遭うと「男は皆変態だ」と思い込む心理と同じです。男が皆変態だと思ってしまうと、現実にはとても不便なことになるのにも関わらず、その相手を個人的に否定することが出来ないためにあえて苦肉の策として男全体とか、女全体のせいにしてしまうわけです。

これは、その相手と何かをラップさせてしまい、同一視しているためだと考えられます。つまり例としての痴漢のシーンでは痴漢を体験する前にある特定の男性との間で印象的(嫌悪・憎悪・回避・蔑視など)な体験があり、既にその特定の人物を"男性"でひとくくりにしているというわけです。

それでは小林容疑者の場合では、既に女性でひとくくりにした同一視の源は何でしょう?

〔記事から抜粋〕
小林容疑者は「やっぱり大人の女性がいいが、金がかかる」「女児を見ると、変な気分になる」と供述している。

約1か月後、再び家族に画像つきメールを送った理由については、「家族に再度、精神的なショックを与えたかった」と自供している。

この記事を見ると、本当は大人の女性を愛したかったのに経済的な理由からやむなく女児を性的なターゲットにしたととれる。しかし、それなら道行く女児を見ると変な気分(欲情か)になるというところが合わない。

つまり小林容疑者は大人の女性にも性的な欲情をするが、一方で少女にも欲情するタイプだということです。

私は小林容疑者の生立ちで、既に亡くなっている母親の記事を探したが見つからない。そこでこれは憶測ということになってしまいますが、恐らく小林容疑者にとっての幼女、少女とは幼い頃の自分自身だったのではないか。

母親の死亡とも関係して、自分自身を自己否定することを続けてきた人生がこうした女児誘拐殺人事件と言う形で現れてしまったのではないかという気がしてなりません。

〔各識者コメント&ユアサ〕
▼作家の高村薫さんは「ポルノの雑誌、ビデオが簡単に手に入るようになり、社会に対する距離感、うっぷんを晴らすツールが身近になった時代。変質者でなくとも、特殊な刺激にさらされる機会が飛躍的に増え、今も加速している。そういう中で出てきた人で、強い時代性を感じる」と指摘。

「写真付き携帯電話は操作も簡単、値段も安い。この新しいツールは、犯罪を表現するハードルを低くしている。容疑者はたとえ携帯メールがなくても事件を起こしただろうが、携帯で写真が送れなければ、表現する方法は限られていた。犯罪の表現方法が簡単になることで、誰でも犯罪者になりうる危うさを感じる」と話した。

また、野田正彰・関西学院大教授(精神病理学)は「携帯電話という道具立てが特徴的だった」とし「社会的に引きこもり、深い人間関係が持てない人格と携帯電話は親和性がある。容疑者は携帯中毒状態で、使わざるを得ない心理が、遺族をいたぶることになってしまった」と分析した。(記事抜粋)

〔ユアサ〕
■携帯が普及したことで携帯での声明、携帯での脅迫という特徴的な事件となりました。しかし携帯が事件の動機にはなりません。携帯よりも容疑者のパーソナリティと不遇な環境(生立ち含)などに目を向けたいところ。

▼容疑者の自宅からは女児のランドセルや携帯電話、ジャンパーなどが見つかった。「被害者の持ち物を自室に持っていたのは、フェティシズム的で、被害者のことなどを思い出すためだろう。カメラ付き携帯電話で遺体を撮影したのも、親に送るためだけではなく、後で自分で見る目的もあったのではないか」。福島章・上智大名誉教授(犯罪心理学)はこう話す。

〔ユアサ〕
■フェチの人は物をそばに置くことで安心するから、手触りや匂いなどまた色なども当時の記憶を鮮明なまま保存することができる。当然携帯に取り込まれた画像は何度も見て楽しんだことに違いない。

▼被害者の家族に携帯でメールや写真を送ったことについて、高村さんは「動機面など、捜査が進むのを待ちたいが、社会に認められない孤独を感じ、存在を誇示したかったのだろう」と推測。

〔ユアサ〕
■この件は既に自供済み。元彼女へのはらいせに行った。ただ、誰でもこのように解釈してしまいます。また、自分を顕示するというよりも、マスコミを通じて報道され、元彼女がそれを見ることに期待したのでしょう。心理的な理由、柱となったトラウマを記事内容から解明したいと思い更に記事を追って見ます。

犯罪者の多くは恵まれない幼少期を過ごすと言われますが、この小林容疑者の少年期もまた暗いものだったようです。判断が記事の情報に限られるために、どうしても推測、憶測を避けることは出来ませんが、あえて憶測を入れることで私はもう少しメスを入れたいと考えました。

〔記事から〕
彼の少年時代の家庭環境に恵まれていたわけではなかった。大阪市内で育ち、3人兄弟の長男。4年生だった78年7月、母親は難産で若くして帰らぬ人となった。この時生まれた10歳下の弟には重い障害が残り、父親は子育てに苦労した。

同居していた祖母も弟につきっきりで小林容疑者はあまりかまってもらえず、自らの視力の悪さも気にしていたという。また、小学生の時から新聞配達をしていたという。2年後。母親を亡くしたつらさと寂しさを小学校の卒業文集に「ぼくは、五時間以上ないた」とつづった。タイトルは「悲しかったこと」。わきには涙を流す自分のイラスト。「いつか、お母さんのいる天国へ。お母さんとこんどあうときは人をいじめないようになってあおうと思う」と書いた。

中学校の卒業アルバム。大勢の級友が楽しそうに描かれたイラストの中で、学生服のズボンのポケットに両手を突っ込み、やや硬い表情で一人だけ離れて立っている。当時の担任の「目立たない子だった。友達が少なかった」というイメージと重なる。

社会的に順応する原理とは、社会を愛していることだ。そしてこの社会とは言うなれば「自分を取り巻く環境全体」のこと。金魚で言えば水槽や金魚蜂のこと。

大人になると社会が水槽であり金魚蜂ですが、子供の頃は家庭が水槽です。この「家庭」の内側で良い思いを繰り返してきた人は、大人になっても社会に嫌気が差さず自分のいる社会を信じて頑張ることが出来ます。

ところが家庭環境=当時の社会=が、我慢することがあまりに多く、悲しみに充満したものだと大人になっても本当の社会を信じることがなかなか出来なくなってしまいます。
そうしたことは人の生きる意欲に直結することが多く、所得が下がったり、重労働な職業を転職することにも繋がります。そしてその経験が蓄積することで悪循環が増大し、より一層反社会性も増します。

こんなに不幸で苦しいのに、国や県の(窓口や担当者)態度は硬く冷たいし、福祉制度もあるにはあるが認定されてもほんの少しだ。誰が助けてくれるわけでもない。お気楽に公金を搾取・横領・収賄する報道も数限りない。

反社会性はまず生立ちの中で形成され、そして成人後起きた出来事によって増減を繰り返して行きます。
少年が性的な欲求を沢山持っていたという仮説は、もはやこの事件から見ても仮説どころではありません。こうした過剰性欲は小学生の頃から発現しはじめることが多いものです。小学2年生にもなると、自分の性器に興味を持つ児童は俄然増えてきます。
さわるとかすかに気持ち良い部分を特別視しはじめるのは、高フラストレーションと密接な関係があります。何度触っても気持ちよい性器は、そうした落胆した気持ちを相殺させる原始的で自然な器官だからです。

〔事件の中で特徴的な要素〕