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(回答先: 孤独を感じるは遺伝子のせい、社交性の欠如にあらず 投稿者 kokopon 日時 2005 年 11 月 13 日 11:37:44)
まさに信憑性のある話です。
Kokoponさんがココロの問題に興味がおありになるかどうかわかりませんが、
分裂病と我々が狩猟採集をしていた頃の記憶とは関連性ありとする説がありますのでご紹介しておきます。
氷河が次第にその厚さを増していた。狩りの対象となる生き物は日々、減っていった。
狩猟採集に生きる人類にとって危機の時代だった。
生き物が発するかすかな兆候を読む能力を持つ者だけが生き残ることができた。
氷河時代についてのこんなイメージは、精神医学者の中井久夫さんの著書
「分裂病と人類」(東京大学出版会)からの想像である。
外界の兆候を読む能力・・・中井さんは狩猟民たちが持っていたこの力が、
精神分裂病と深い係わりがあると考えた。
太古の狩猟民の末裔はほんの少し前までアフリカ大陸に生きていた。
彼らは乾いた石の上でも3日前に通ったカモシカの足跡を認識できた。
風が運ぶかすかな香りから生き物の存在を感知した。
農耕が生業となるとともに、この力は役に立たなくなった。
中井さんの説に便乗して言えば、兆候を読む能力の大半は人々の中に埋め込まれて
しまったのである。ただし、その力をかなり残した人たちもいた。
この人たちは外界のかすかな兆候に敏感に反応する。
それがコントロールを失ったとき、幻聴や幻覚が生じる。分裂病の発病である。
日本精神神経学会の評議員会が精神分裂病の呼称を統合失調症に変えることを決めた。
精神分裂病は「分離した精神」を意味するドイツ語schizophrenieの訳である。
医学界以外でも一般的に広く使われてきた。
だが、病気に対する誤ったイメージを作ってきたことも確かだろう。
患者の精神が分裂しているわけではないし、不治の病でもないのだから。
世界中どこでも人口の1%前後は分裂病にかかる。
太古の狩猟民の感性が現代に生きている。そう考えると、いささか気が遠くなる。
今度の「改名」がこの感性の延命に役立つものであってほしい。
このコラムは神戸大学中井久夫教授の著書「分裂病と人類」をよく要約されています、
分裂病の名称は、
早発性痴呆症→精神分裂病→統合失調症
と移り変わっています、このことはなにを物語っているのでしょうね、
コラムには「感性」とありますが・・・
この「感性」こそこの病んだ現代を救う何かが秘められてる、と僕は信じてます。
神戸大学中井教授の著書「分裂病と人類」を読み。僕なりに
勉強、研究しているのですが、僕なりの解釈です
どうぞ読んでくださいね。
人が、たとえば蛇口を開きコップに水をメイッパイに満たそうとする時
コップに水が満ちあふれる寸前で閉めていては溢れこぼれてしまう事は
経験で知っています、
だから、ある程度溜まっているのを見計ってバルブを閉めて
ちょうどメイッパイぐらいにします。
コップに水が満ちてからバルブを閉めていては溢れてこぼれてしまう事を
理解している事は過去の経験からの蓄積であり
積分回路的認知といえるだろう、
そして頃合を見計ってバルブを閉める行動は近未来を蓋然性(高い確率)
で予想する微分的行動(微分回路的認知)といえるだろう、
言い換えるならば、経験で得た帰納法から演繹により仮設を立て
行動したと言えるだろう。
(経験で得た知識にもとづき推測により近未来を予想する行動)
この様な行動は誰もが無意識の内にしているのだが
S親和者はこの様な行動がスルドい、若しくはスルドすぎるのであろう
(S親和者(分裂病になりやすい者、分裂病親和者))
S親和者はかすかな兆候を読み取って微分回路が働くのだが
これはあくまでも蓋然性であるので必ずしも的中する訳ではない、
S親和者は対人関係において言葉、声色、表情などを
微分的思考回路で兆候を読み取ってしまうのだが
それが往々にして「思い過ごし」になってしまうのであろう、
しかしながら、その兆候がかなりの確率で的中することもまた事実であろう
S親和者がコントロールを失うのは、精神的、身体的に極限の状態に陥ったときだろう。
上記は中井教授の著作「分裂病と人類」の冒頭部分を自分なりに分かりやすく
書き換えたつもりです、これを読んで誤解されたく無い事ですが
精神病もしくは精神病になりやすい人(親和者)は決して精神力が弱い訳では無い、
中井教授によると「S親和者」は「不屈の精神」(タフネスマインド)
の持ち主でもあり、生存競争力(異性への魅力も含めて)
も強く、だからこそ人類史上において
「S親和者」が自然淘汰されず、いまだ人類の多数を占めているのであろう。
「狩猟採集民族とS親和者」
現代においても、狩猟採集を生業としている民族がいる、
たとえばブッシュマンであるが
彼らは長年にわたり農耕牧畜民の圧迫をこうむり次第に肥えた平地から駆逐され
さらに近代国家により「自然保護地区」から実力によって
排除され絶滅に瀕しており、かつて人類の主流であった面影が今はない・・
それでもなお彼らが三日前に通ったカモシカの足跡を
乾いた石の上に認知し、かすかな草の乱れや風のはこぶ、
かすかな香りから狩の対象の存在を認知することは驚くべきことである。
むろん、その能力は狩猟に用いられたが、彼らは狩る以上に
猛獣により狩られる対象である方が多く
危険を予兆、予知し生き延びるために必須であった。
外界のかすかな兆候をよむ能力をもつ太古の民族の末裔といえよう、
彼らは無文字社会により意思の伝達、知識の後継をおこなってきた
無文字社会であるが、いや無文字社会であればこそ
築き上げることができた文明といえよう。
一方、我々は近代科学にもとづく合理的民族の末裔である
ゆえに得た物も多いが、失われた事も数々あろう
無文字社会には失われた文明があったのであろう
現代においても、一定の割合でその能力をかなり残した人々がいる。
ここに興味深い事例がある
「百匹目の猿」
この話は宮崎県の石波湾にある小さな島・幸島に住む野生の日本猿が主役である。
地元の人人は昔からここの猿を神の使いと信じていたという。
サツマイモや麦を与えていたところ、
1953年に一匹の若い猿が海で洗って食べることを考え付いた
(これは、砂が落ちて適度に塩味がついておいしくなるためという)
やがてコロニー内の猿たちも、次第にその行動を真似するようになった。
もう少し正確に言うと、まずその猿の兄弟姉妹や親、親戚の順に広がり、
やがて他のコロニーでも同じ行動をするものが現れた。
そして、ちょうど幸島で百匹目の猿が芋を洗い始めたとき、
他の島々のコロニーはおろか全国各地に同じ行動をする猿が自然発生した。
概略はこのようなものです。
コロニー内にいる猿たちは肉眼でその情報を入手できるので、
なんら不思議はないわけです。
しかし、遥か遠方にいる猿のコロニーにどのようにして情報が伝わったかは
うまく説明がつきません。
そこで、登場するのがユングの唱える集合的無意識と言われるものです。
この場合は猿の世界の集合的無意識と言うことになりますが、
簡単に言うと各々の猿は顕在意識(表に現れる意識)を持ち、
その深い部分に潜在意識(無意識)を持っており、
その無意識のさらに深い部分に猿の社会に共通、
すなわち各々の猿につながった無意識(集合的無意識)があるとするものです。
この報告では幸島の猿の集合的無意識が強くなり(表現は不適切?)
さらに深い集合的無意識を通して遥か遠方の猿の無意識から意識へと
情報が送られたと考えるわけです。
人間の世界でも集合的無意識を証明する実験はいくつも行われているそうで、
なかなか興味深い結果が出ているそうです。
・・猿=古代狩猟採集民族と考えるのは少々乱暴ですが・・
閑話休題
分裂病親和者(分裂病になりやすい人)の特性は、先どり的思考能力である
それが災いしておうおうにして発病に至るが、
しかし、人人は時に盲目的な集団行動におちいる
たとえるならば、知らず知らずに集団自殺をおこなうレミング同様のことを
我々人類も踏襲していることは、現代の地球汚染、核問題等をみれば否めないだろう。
先どり的思考回路、いや感性をもつ者が歴史の警鐘を打ち鳴らすことを
見殺しにしてはいけない!
なにほどか、ご意見ご感想、お問い合わせ等、ありましたら、お便り頂けたら幸いです。