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新潟の少女監禁事件、京都の小学生殺害事件、佐賀のバスジャック事件などの犯人はいずれも定職をもたなかったり、学校にかよったりせず、家にひきこもっている状態にあった。現在そうした人はざっと数十万人いる、といわれている。しかも、それはいわゆる特殊な「病気」ではない。とすれば、誰もが陥る可能性がある落とし穴、かもしれないのだ。
共感能力の欠如、プライドを守るための“鎧”
--ひきこもりについてはまだ厳密な学問的定義もされていないようですが。
斎藤●「要するに社会参加をしていない状態のことですよ。それにはさまざまな様態があって、単に自分の部屋から出てこない状態だけに限定すると、定義が狭くなってしまう。実際、新潟の事件の被告にしても、働いてはいないけど、馬券は買いに行っていたわけだから。家族としか接触がない場合もあれば、家族がいちばん会いたくない相手である場合もあります。」
--そもそも人はなぜひきこもってしまうのでしょうか。
斎藤●「精神科医は分裂病などの病気が原因だと考えたがるけれど、そういう人は全ひきこもりの1%か2%でしょう。ほとんどは健康な頭と体を持った人ですよ。個別に聞いてみれば、それぞれひきこもりたくなる理由はあるんだけど、共通しているのはプライドの高さです。それこそ会社で嘱望されるエリートとかメディアに登場する有名人じゃないといやだ、なんて思っている。なかにはその可能性に絶望して、社会は敵だ、社会に復讐してやる、と思っている子もいる。他人の痛み、悲しみに対する共感能力が欠如しているんですね。自分の被害体験ばかりよく覚えていて、自分が人を傷つけていることには鈍感なんです。いまはそういう共感能力のない男が学歴ばかりを身に付けようとして、同じ学歴信仰の女と結婚する。そこから生まれる次の世代はよけいに共感能力が乏しくなりますよ。そういう子がイジメにでもあってドロップアウトすれば、ひきこもるしかないでしょう。」
--つまり、そういう家族のあり方がひこもりを生んでいる根本的な原因である、というわけですね。
斎藤●「親はなくても子は育つという言葉があるけれど、いまは親代わりになるような地域のコミュニケーションも崩壊してしまったし、幼稚園からずっと年齢輪切りのつきあいしかないから、共感能力が育ちにくいんです。」
--ひきこもりはやはり男に多いんでしょうか。
斎藤●「いや、そんなことはないですよ。女の子の場合だって、摂食障害になり、なぜ私を生んだんだとお母さんに恨み言を言いながら部屋に閉じこもって自傷行為をしたり、親を奴隷のようにこき使ったりすることが多いんです。」
--ひきこもりと性の問題は関係があるのでしょうか。好きな異性がいたり、セックスしたければ外に出ていくと思うのですが。
斎藤●「ひきこもりの人は自分がどの程度の人物か社会に査定されるのが怖いわけですけど、男にとっては女性がもっとも手強い審査官みたいなものでしょう。どの程度の男か値踏みされるわけですから。本当は生身の女性との接触はひきこもり解消に力がありますけれど、自分がドロップアウトしていて相手の女性が大学生だったりすると、自分が憐れまれたりする。プライドが高いからそういう視線が怖くて仕方がない。で、強がって、自分から相手を切っていくということが多いんですよ。」
--とすると、性的な欲望もひきこもりから抜け出す力にはならないわけですか。
斎藤●「オナニズムと性的ファンタジーが精一杯で、ひきこもり的なセックスになっちゃう。多いのは昼夜逆転の生活をして夜間に徘徊し、ゴミ箱漁り。目をつけた女性の家から出たゴミ袋を漁って、アドレスとか写真の切れ端とか、運が良ければパンティーとかを見つけ出す。そうやって性的なエネルギーが解消されてしまっているんです。そのエネルギーはひきこもり解放するためではなく、維持するものとして働いてしまうわけです。性的交渉とは結局人間関係のことですけれど、そういうものが貧弱なんです」
--ひきこもる人、社会適応者、真に病むのは… --とすると、ひきこもりから抜け出すのは難しいですよね。
斎藤●「ひきこませたままにしておけばいいんですよ。犯罪を起こす可能性なんて一般の人より低いんだから。だって、世間が怖いと言ってひきこもっているわけだから(笑)。そんな人がいきなり外に出されたら、裸で寒風にさらされるようなものですよ。なぜこういう人が多くなったかといえば、世の中が豊かになったからですよ。昔はこういう人は働かなくてすむ貴族にしかいなかった。マルセル・プルースト(20世紀文学に大きな影響を与えたフランスの作家。1871〜1922)を見てごらんなさい。彼は貴族ではなく資本家階級の人だけど、40歳まではほとんど家にひきこもって何もしていない。で、母親が死んでからあの大長編『失われた時を求めて』を書いた。なぜ彼が母親が死ぬまで無為に過ごしたかといえば、少年時代から自覚していた自分の同性愛に対する罪悪感からですよ。いいじゃないか、同性愛だってと思うけれど、プルーストの時代における同性愛の杜会的位置づけはいまとはぜんぜん違いますからね。なぜ私がプルーストの話を出すかといえば、いまのひきこもりの人とそっくりだからですよ。奥深いところで性に対する劣等感とか、女性に対する恐怖心とか、何らかのセクシュアリティーの問題を抱えている。父性の欠如、父性への憧憬という点も共通している。いまの日本には無数のプルーストがいるんです。いまは新潟の事件の被告のようにお母さんが保険の外交員をやってくれるだけで貴族的な生活ができる」
--いまひきこもっている人のなかから、現代のプルーストが出てくる可能性があるということですか。
斎藤●「幻想的、怪奇的な作風で知られる作家も出てくるでしょうね。いまは出版社を通さなくてもネット上で自分の文章を発信できるわけですから。天才的なプログラマーも出てくるかもしれない。ひきこもりの人のなかには、犯罪者がいるのと同じ割合で天才もいるでしょうね。神戸の事件の少年Aが文才があると言われているけれど、あれは直感像素質者といって、パッと目に入ったものをそのまま像として記憶する特殊な能力があって、そうやって目に入った文章をつぎはぎしただけです。しかし、その才能が猟奇殺人などに向かわないで、大きな資産を人類文化に与える人がこれから出てくる可能性はありますよ」
--つまり先生は、ひきこもりを「病気」のようにとらえて強引に解消させても意味がない、彼らをある意味で肯定的にとらえ、ひきこもりを詐容するような社会のほうがいいと考えているわけですね。
斎藤●「その通りですよ。以前も言ったように、親の期待に応えるために"いい子"を続けたり、毎日毎日決まった時間に雷軍に乗って決まった時間に出社して、企業という疑似家族関係の中で個性を埋没させているなんて、過剰適応もいいところです。日本の場合、その横並び的な健全志向そのもの、そして、それにかされて過剰適応していること自体がもう"病気"なんです」
--ひきこもりをしている人は、この社会はおかしいよ、僕は苦しくて適応できないよ、というサインを出し、社会に対して無言のうちに問題提起をしている、とも解釈できるわけですね。
斎藤●「そうです。ただ、彼らが他人に対する共感能力を欠いているという点は困りますけれどね。プルーストだって、同性愛であることを恥じなくなってからどんどん外に出るようになったし、他人に対する共感能力も出てきた。だから、あの大作が書けたわけです」
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ひきこもりの根底には父性の欠如、母親との支配・被支配の倒錯した関係、共感能力の欠如、性の貧弱さなど、今の日本の家族と社会が抱えている多くの問題がある。そうしたことまで考えずに、「横並び的な健全志向」にもとづいて、ただ学校に行け、就職しろと言っても無意味なのだ。そして、大量のひきこもり者の存在は「健全に」生きていると思い込んでいる我々の「病理性」を突きつけている。だとすれば、本当に考えなければならないのは、我々が抱えている問題ではないだろうか。(以下次号)
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