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ミスター・ビーンの戦い 小松浩
03年の英国映画「ジョニー・イングリッシュ」に、喜劇俳優のローワン・アトキンソンふんする英諜報(ちょうほう)部員がカンタベリー大主教の裸のお尻を衆目にさらすシーンが出てくる。大主教は英国国教会の最高権威だが、許しがたいシーンだと騒動になった話は聞かない。
権威を笑い飛ばすのが伝統の英国で、本当に偉いのは笑い飛ばされる方である。政治家にも王室にも目をつり上げて反論する無粋な人はいないから、笑いの毒は一瞬で消え去り、モノ言える社会のむしろ清涼剤となる。自分をからかいの対象にできるかどうかは、人でも社会でも未熟と成熟の分かれ目だろう。
その成熟社会・英国の足元が揺れている。反テロ法案とは別に、宗教を理由に「脅迫、侮辱、からかいで憎悪をあおる言動」を罰する法案の審議が大詰めだ。7月のテロ後にイスラム教徒へのいやがらせが増え、賛成派を後押しする。
反対派の中心は、ミスター・ビーン役でも知られるアトキンソンだ。彼は言う。「人種は自分で選べないから侮辱は不条理だ。しかし宗教は自分で選べるものであり、人種とは一線を画すべきだ」。ケアリー前カンタベリー大主教も「何かを口にできないような社会をつくるべきではない」とビーン援軍に回った。
あざける側に健全な批判精神がなければ、からかいの勧めも「キリスト世界の余裕」としか映らないかもしれない。だが批判に対する寛容さを失い、政治家や警察が「いい冗談」「悪い冗談」を判別する社会は息が詰まる。笑いは結局、その社会の鏡である。(欧州総局)
毎日新聞 2005年11月10日 0時10分
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/news/20051110ddm002070009000c.html