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法人化から1年半 国立大学の今
http://www.bund.org/opinion/20051115-2.htm
国立大学が法人化されてから1年半が経過した。文部科学省の一機関から独立して「経営体」となった国立大学は今年9月、法人化第1年度の財務諸表を公表。法人化で何が変わったのか。
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大学は誰のニーズにこたえるべきか
金沢大学法学部教授 仲正昌樹
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なかまさ・まさき
1963年生まれ。社会思想史・比較文学。著書に『モデルネの葛藤』『「みんな」のバカ!』『正義と不自由』『お金に「正しさ」はあるのか』『日本とドイツ二つの戦後思想』『デリダの遺言』ほか。
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正直言って、勤務先の大学が独立行政法人化して、私の身分がもはや国家公務員(文部科学教官)ではなくなったといっても、それほど急激な変化は実感していない。
依然として公務員宿舎に住んでいるし、文部科学教官だった時と同じ――毎年同じ率であがっていく――俸給表に従って、毎月月給をもらっている。
強いて言えば、大学内での公的文書や掲示で「教員」という名称を使うようになったので、大学全体で「左翼」をやっているかのような妙な感覚にしばしばなることくらいだろう。
ただし、法人化の数年前から進行していた「市場原理」に合わせた「効率化」傾向は、様々な面で更に加速されている。 私は根がそれほど「左翼」ではないので、「市場原理」や「効率化」それ自体が悪だとは思っていない。
「国立大学」という組織が国から特別会計を通して投入されている運営交付金を非効率的に消費し、(旧)道路公団などの特殊法人や国直轄の公共事業等と同じ意味で「税金の無駄遣い」し続けており、大学の自主性に任せていては埒があかないというのであれば、効率化のために民間企業と同じような手法を導入するのもやむを得ないと思う。
共産党系の組合を中心に盛り上がっていた――そして、いつのまにか雲散霧消してしまった――反対運動のように、「労働者としての教職員」の身分や収入保障を前面に掲げていたら、一般国民の支持を得られるはずはない、と感じていた。
無論、「効率化が必要である」といっても、何をもって「効率化」というかは結構難しい。「国民の血税の投入を少なくするよう、人件費を中心とする諸経費をできるだけ節約する」ことが「効率化」であると安易に考えている人がいるかもしれないが、それは、ワンフレーズ・ポリティクスに頼る小泉改革と同類の短絡的発想である。
国が財政投融資によって行なうべき事業というのは、採算面でのリスクが大きすぎて私企業がなかなか手を出せない、場合によっては赤字になるのが確実であるが、長期的な視点から見て国の発展に必要とされるようなものに限られる。短期間に採算が取れるような分野であれば、民間に任せればいい。それが原則である。
そうした各事業ごとの公共性を考慮に入れないで、公務員や特殊法人職員に対するやっかみだけで、「これだけ赤字が出ているからには、職員があまっていて、余計なところに金を使っているに違いない」と即断すれば、国にとっての損失は一層大きくなる。
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各種の国の事業の中でも、教育・研究というのは、恐らく一番評価しにくい分野である。最も「金になる」と思われがちの工学部での実用的研究でさえ、研究成果がすぐに特許になって、利益が大学に入ってくるということは滅多にない。実用化すれば利益の上がりそうな研究でも、その成果をきちんと評価するまでには、かなりの期間が必要である。
にもかかわらず、速やかに成果≠出さなければ、それが大学内の学長主導による予算配分――以前は文部(科学)省から直接、学部や研究所などの各部局に対して予算が割り当てられていた――や、外部資金の獲得に反映してくるので、最近ニュースでも話題になっているように、データを偽造してまで目に見える成果≠作ろうとする人々も出てくる。
医学部はかなり昔から、薬の開発に関連した臨床試験などを介して、製薬会社との関わりが深いことが指摘されている。 インフォームド・コンセントなしに付属病院の入院患者を被験者にしたり、薬の効かなかった被験者のデータを記録から抹消するなどといった倫理的にだけでなく、法律的にも問題がある行為が行われてきた。現在最高裁で争われている金沢大学の産婦人科での卵巣癌の抗癌剤(中外製薬)の無断臨床試験をめぐる訴訟は、その最たる例であろう。
しかし、金沢大学の執行部も医学部も、無断での臨床試験は問題であったという立場を明確に表明していない。過去の清算をしないまま、獲得に邁進すれば、倫理的にも科学的にも問題がある臨床研究が増える恐れがある。
率直に言って、後ろめたいところのある企業ほど、東大や京大ではなく金大のような地方二流大学に、研究費を渡して、怪しい製品に御墨付きを得ようとする傾向がある。
教育に関しても、「どのような学生を育てたか」ではなく、「どのような学生を育てる計画だったら文部科学省や外部評価機関が満足してくれるか」を尺度にして、やたらに教育組織やカリキュラムをいじったり、教育改革≠フためのプロジェクトをうまく作文した部局にご褒美を与えるなどの転倒した傾向が見られる。
金沢大学では、従来の8学部を3つの学域に再編するという計画が進められている。文学、法学、経済、教育の4学部が人間社会学域というものに統合される。その学域の中で、旧4学部は「学類」という単位に格下げされ、そこに「国際」と「地域創造」という名の何をするのかよく分からない学類が追加されることになっている。
大学執行部は全てを「学生の多様なニーズに応えるためだ。大学の教員は変わらねばならない」という小泉改革のような美辞麗句によって押し切ろうとしているが、これから大学で学ぶことになる高校生や、卒業後の学生の受入れ先となる企業の意見は全然聞いていない。
少し変わったことをやって文部科学省などから予算を引き出そうとする浅はかな発想がみえみえだ。ついでに、教授会の権限を削いで執行部の意向でリストラしやすい組織に変えたいのかもしれない。
「大学への市場原理の導入」が、文部官僚や学内の行政屋たちの権益を増大させるための組織いじりに終わってはならない。金沢大学の6人の副学長の内、2人は文部官僚出身である。こうした改革≠フ実情について関心を持って頂きたい。
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24時間営業のコンビニが東大キャンパスに出現
東京大学大学院生 長岡美智緒
今、東京大学には次々と商業化の嵐が吹き荒れている。すべて国立大学の法人化の煽りを受けたものだ。
佐々木毅前東京大学総長は法人化を機に、東大内の2箇所にコンビニを誘致する事を決定。昨年の10月から公募を行い、今年の3月31日、東京大学の安田講堂裏側に大手コンビニ「ローソン」の東京大学安田講堂店がオープンした。店舗は1937年に建てられた人事課の倉庫を改装して作られ、国立大学初の24時間営業の店となっている。
続いて9月20日には、安田講堂裏手の理学部新1号館1階に「ドトールコーヒー」がオープン。これら一連の出来事は、去年の4月27日、東京大学医学部付属病院の構内にタリーズコーヒージャパン(TCJ)が新店舗をオープンしたことから始まる。
学費が1万5千円値上がりした
昨年4月、国立大学は国立大学法人に改組され、事実上国とは独立した組織になった。社会では大きく騒がれたが、その内実を知る人は少ないであろう。
今までの国立大学は文部科学省の省令に則って運用され、研究費や学内の資金運用も文部科学省の許可をもらわなければ自由には使えなかった。だが改正に伴い、資金運用も学内の決定で自由に使用することが出来るようになった。コンビニの設置も法人化の一環として実験的に行われたものである。
大学側に言わせれば、「東京大学が進める学生・教職員の福利厚生向上策の一環」ということらしい。佐々木毅前総長は、ローソンのオープン式典のあいさつで「キャンパスでは24時間、多くの教職員が活動しており、店の貢献に期待している」と述べている。
こうしたなかで、学生は法人化に対してどういう印象を持っているのか。はっきり言って、多くの学生にとって法人化の前後で何かが大きく変わったわけではない。あるとすれば、年間の学費が今年から1万5千円程度値上がりしたことぐらいだ。これも昨今の金銭豊かな東大生にはあまり関係がないようだ。学内に値上げ反対のビラなど貼ってあるが、寂しいものである。
むしろコンビニの設置やコーヒーショップのオープンなどで、多くの学生は喜んでいる。なかでも徹夜で実験をしたり、夜遅くまで論文を書くような大学院生や研究者には好評である。私も夜遅くにこのローソンを訪れたことがあるが、雑誌を立ち読みしたり、弁当を買う学生や職員の姿が多かった。これらのことを考えれば、大学側のコンビニ設置の趣旨であった「学生・教職員の福利厚生向上策の一環」というのはあながち嘘ではない。
しかし諸手を上げて喜んでばかりもいられない。問題なのは、決定の不透明さである。物事の決定が多くの学生や職員には事後報告になっている。ある日突然大学に行ってみたら、ドトールコーヒーができていたと驚く学生が実際ほとんどだろう。
総長と数人の理事たちの会議だけで、決定方式も不透明な決定事項をなし崩し的にトップダウンで学内に通知する。すでに決定してしまった事だからと、強引に物事を推し進める。法人化後に値上がりした学費を、どうでもいいような改革に実験的という名目でつぎ込んでいく。
もともと国立大学の法人化の趣旨は、「学内の決定事項を文部科学省の許可を得ることなく瞬時に実行に移し、資金運用を大学内で自由に行い、以って学問の自由や研究に支障をきたさないようにする」ということであった。「東大土産のチョコレート」や、「東大ロゴ入りのマグカップ」などが生協で売られているが、学生からかき集めた資金を大学内の商業化の資金に用いられては困るのだ。
法人化で教職員は自身の解雇や異動、給料が安くなることを危惧している。学生も授業料の値上げと学内の決定事項の不透明さをもっと危惧すべきである。
法人化のもっともよくないところは、以前より総長と一部の上層部の理事にだけ多大な決定権を与えることになることだ。末端の学生や教職員の意見を反映させ、決定を監視するシステムがないのはおかしなことではないだろうか。
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(2005年11月15日発行 『SENKI』 1195号6面から)
http://www.bund.org/opinion/20051115-2.htm