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12月15日―メディアを創る
日本政府はもっと米国と対等な関係を築くべきだ
これはニューズウイーク(日本語版)副編集長であるジェームズ・ワグナー氏の言葉である。
12月21日号の論評の中で、同氏は、日本が米国産牛肉輸入再開で米国に屈したことは大きな間違いであったと次のように述べている。
「・・・アメリカの議員たちは裕福な利益団体(牛肉生産者)への献身を恥ずかしげもなく露呈し・・・対日関係という国益を軽視した。米国政府の態度はまるでいじめ。友好同盟国との交渉にしては不適切なものだった・・・一方の日本は、対米関係のために国内の食品の安全性を保つシステムを犠牲にしてしまった・・・なぜ日本は降伏したのか。日本は現在、アメリカとの防衛関係を強化することを最優先にしている。その妨げになるものは、食品の安全も含め、すべて後回しになる・・・日本がアメリカとパートナーシップを結ぶのは賛成だ。しかし・・・一方的なパートナーシップなどありえない。アメリカにとっても日本との関係は重要だ。日本政府はそのことを過小評価する必要はない・・・これ(日米間の主従的関係)は両国にとって不健全な関係だ。日本政府は、米政府のおごった態度を許してはいけない。もっと対等な関係を築くべきだ」
誰が読んでもあたりまえの意見だ。そのあたりまえの意見を日本人が公言すれば組織から外されるところに今の日本の不健全性がある。米国人を通じてしか対米批判が出来ないところに日本の対米従属の本質があるのだ。
三代世襲は世界の笑いもの
少し前の新聞記事になるが、韓国の連合ニュースが、北朝鮮の金正日総書記が朝鮮労働党や軍の側近に後継者問題に一切言及しないよう指示した、と報じたことがあった。その理由として、世襲統治が自分の息子まで続けば三代世襲となり国際的イメージを悪化させるからだという。指示の徹底に向けて違反者には最高終身刑まで下せと命じたという。
このニュースは日本で殆ど報じられることはなかった。あれだけ何でも面白おかしく報じる日本の報道番組も、知ってか知らずか殆ど無視をしていた。そういえば小泉も安倍も鳩山も三代、四代世襲である。それを知って「三代世襲は世界の笑いもの」と日本の政治家にあてつけているとすれば、金正日総書記も相当な役者だ。この点については議論の余地なく彼は正しい。
言葉は人をあらわす
実に不快な記事を見つけた。15日の産経新聞に、埼玉県の上田清司知事が14日の県議会の本会議で、「(PRのために埼玉産米を女優の菊川怜さんに贈呈したことについて)効くか効かないかわからないが・・・餌付けしています・・・」と発言したと報じられていた。
このような発言が口をついて出てくるような上田という知事は、そのことだけで彼の品性を露呈してしまった。指摘を受けてその不適切さを認め議事録削除を求めたというが、取材に答えている次の言葉がいっそう不快感を強くさせる。
「・・・発言したことは覚えていない。本当なら失礼な話・・・お米を贈っておけば、埼玉のために何かやってくれるかな、という下心があったからかもしれない・・・」
いっそ議事録に永久にこの餌付け発言を残しておくべきだ。
近衛文麿の評価
15日の産経新聞「正論」で鳥居民という研究史家が興味深い記事を寄せている。彼は公家政治家近衛文麿の歴史的評価の低さについて、近衛の命日(12月16日)に因んで一言弁護している。
戦前、戦後の混迷期の一時期に首相を務めた近衛文麿は、日中事変の拡大、三国同盟の締結、日米交渉の失敗と日本を敗北のふちに陥れ、戦局が悪化すると終戦工作に走り、敗れると早速「憲法改正」に乗りだし、最後はマッカーサーに裏切られて戦犯に指名され、東京裁判に出廷し抗弁することなく服毒自殺をするという、およそ不名誉な政治家とされている。
私の知識はその程度だ。しかし、鳥居が書いている近衛は、吉田茂の老獪さと比べて、あまりにも愚直であったということなのではないか。いつの世も歴史の評価はさまざまな角度からなされなければならないということである。それにしても史実を学ぶことは、正しい認識をするために不可欠であるということだ。
「・・・政治家の北岡伸一氏はコラムニストの田勢康弘氏との対談の中で『近衛文麿はしょうがないです』と言い、田勢氏もそれに同意している・・・粕谷一希氏が吉田茂に向かって、『近衛文麿公は(最後の将軍)徳川慶喜と似ていないだろうか』と問うたのに対し、吉田は『慶喜公は立派な方で比較にもならない』とにべもなかった・・・吉田はアメリカとの戦争を回避しようとした時、また、アメリカとの戦争を一日も早く終わらせようとした時、いずれの場合も彼は近衛の協力者として行動した・・・吉田と近衛がやったことは、いずれの場合も陸軍を敵とするものだった。近衛はアメリカとの戦争の回避を主張して、陸軍大臣、東条英機と対立した揚句、内閣総辞職に追い込まれたのだし、吉田は戦争終結工作をして陸軍に捕らえられることになった。
だが、近衛と吉田は、(本当は)陸軍と対立、衝突したのではなかった。二回とも内大臣、木戸幸一の反対に直面したのである。内大臣は天皇に『常侍輔弼』(全面的に従い責任を負う)の責任を負っていた。
吉田茂は、憲兵に捉えられた話を雄弁に語っているがなぜ捕らえられたかについては語っていない。なぜ吉田は戦争終結のための努力の一部始終を語らなかったのか。彼が徳川慶喜を褒めて、近衛を『比較にもならない』と言い切ったのは、近衛が話題となってその後の会話が続くのを避けようとしてのことだったと私は思っている・・・一連の内幕が天皇批判の材料に使われるのを恐れたからこそ、近衛とともにやったことを自分の口から語るのを避けたのだ・・・敗戦の後、誰もが天皇を是が非でも守り抜こうとした。そのためにこそ、死を選んだのが近衛である。近衛は、『しようがない』人物では決してなかった。明日がその文麿公の60年忌となる・・・」
我々にとって重要なことは少しでも多くの史実を知る努力をすることである。
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