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戦後60年間日本は平和であった。韓国・台湾のような徴兵制もなく、中国や北朝鮮のような政治弾圧もなく、スーダンやユーゴスラビアやアフガニスタンのような内戦もなかった。その点はすごく感謝しているし、感謝していいと思う。ただ個人の心が平和だったかどうかは分からない。一見天国に見えるような東京の風景に地獄を見、平和な風景に戦争を見る心も必要かと思う。
時代は変わった。教育もこれまでは文部省と日教組のボスの言うことさえ聞いていれば良かったが、今や教育現場は完全に様変わりした。確かに行政のファシストによる政治弾圧による指導力不足認定もあるかも知れない。いじめのような研修もあるかも知れない。しかし、教員の精神疾患の原因はそれだけではないだろう。本当に指導力不足の教員もあると思う。昔みたいに大人が大人としてしっかりし、子供が子供として無邪気であまり知識がない時代と違い、今は子供の方がしっかりして知識が豊富なことが多いはずだ。教員のカウンセリングの会というか、心のケアをする会が必要だ。本来、子供のカウンセラーであるはずの教員こそがカウンセリングが必要になっている。これまでの日教組は対文部省、「平和教育」の普及機関でしかなかったのではないか?そういう建前の機関ではなく、教員同士が指導方針について率直に悩みを打ち明ける機関が必要だ。
これまでは一方に自民党・文部省、他方に社会党・日教組があって、親方日の丸的指導で日本は動いていた気がする。これがもう通用しなくなってきたと思う。もっと自分の悩みを率直に言える機関が必要なのだ。文部省の方針も最近コロコロコロコロ変わるでしょ?その都度現場は混乱する。じゃあ、文部省の官僚は教員経験者がなるのかというと、違うのね。指導力不足認定する機関自体が教員になった経験のない奴がなる訳でしょ。それも彼ら自身が現場で実際に子供達を指導する訳ではない。これはおかしいと思うんです。文部省や教育委員には、絶対教員経験者がなるべきで、指導方針も教育現場に実際に触れた上で立てるべきだ。決して机上の思い込みだけで建ててはいけないと思うんです。
今、日本に必要なのはありきたりの建前的な平和教育じゃなくて、生徒一人一人の人生の悩みに応える教師なのです。ひとりひとりが違う人間なのだから。私自身の学生時代は学校はテストで丸暗記をする所であり、そんなに多くは望まなかったが、ニートやフリーターの問題が深刻化してくると、教育もただ丸暗記をするだけの機関でいいとは思えなくなってきた。マニュアル的な暗記テスト重視ではなく、修身・行儀見習いのような人間づくりを重視する方向に方針を変えねばならないなと思う。
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