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憲法13条すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。とあります。今の小泉首相と自民党は、憲法は、押付けだから、読む必要がないと思っているのかと疑念に感ずるほど、次々と憲法に違背する行為や発言を繰り返す。一体、憲法のどの条項に天皇は日本の中心という言葉があるか、まったく呆れるばかりである。小泉自民党が、憲法から消したがっているのが、実質的な国民主権であることは、ますます明らかである。はっきり言おう。天皇は、日本の身分と世襲の化石であると。しかし、戦後憲法が開いた、国民主権と身分、世襲の廃止を自民党は、自分等の地盤、看板を身分と世襲にする為、既に化石となっている天皇制を生かし、日本をジュラシックパークにしようとしている。憲法はいう、社会的身分または門地により、政治的、経済的、社会的関係において、差別されないと。日本は、憲法の御蔭で、戦中、戦前のように、政治的、経済的、社会的な面で、差別を受けることは、少なくなったといえるかもしれない。その代わりに、陰湿に現れているのが、精神的な差別。顕著なのは、小泉政権になって続く中、高年の自殺。自殺する人は、公共の福祉に反したから、このような冷たい処遇を受けるのだろうか。自殺は、憲法が命じてのことだろうか。すべての人は、個人として尊重されるという憲法を無視し、踏みにじる首相の諸行によるものだろうか。それとも、天皇を中心に置かない罰のせいなのか。自民党はそういいかねない。首相のように、自分の責任かと。
小泉首相と自民党が、使いたがるのが、自己責任という言葉である。この言葉ほど嫌なものはない、これは、封建時代及び専制君主時代の押付けである。一体現在の憲法のどこに、国民の自己責任を問う条項があるかお聞きしたい。また、政治家に国民の自己責任を問う権利を誰が与えたかをお聞きしたい。むしろ、小泉氏と自由党は、憲法上の国民に対する責任を全く果たしていない。国民主権を無視し、足蹴にしている。彼らは、国民の自己責任などいって、国民に対する自分等の責任をさぼり、国民の上に立って物を言い始めているが、憲法は、それを認めていない。彼らには、憲法上の地位は認められているが、身分、世襲は否定されていることを隠し、政治家が、一般国民の上に有るかのような振る舞いをしている。国民が知らなければならないことは、憲法以前の日本は身分と世襲による天皇と政治家の支配する人権無視の国であったということだ。それを解放したのが憲法。憲法は、国民主権を保障し、それをベースとして、自由、基本的人権等、個人の享受すべき権利を認め、保障する。
自民党の憲法草案では国民主権は、民主主義、自由主義等と同列に置いているが、これは、彼らの国民主権無視と軽視による、意識的なものと理解すべきである。国民主権というのは、国民の存在のベースとなる、権利で、この上に、自由、基本的人権等が確立されるのである。国民主権を獲得した国民が、それをベースとして、はじめて、他の権利が享受できるようになるのであって、国民が、主権を保有しないところでは、自由は、主権を保有する例えば天皇が授けるものであり、常に、上下関係と制約をともなったのであります。国民主権のもとで、本来、自由に制約を与えるのは、他の国民との相互的な権利関係であって政府でも、天皇でもない。戦後、憲法が発布された時は、確かに、平等といってもいいほど、日本人は、全員が戦争に負けて落ちぶれ果てていた。ところが、自民党が、社会党から、政権を奪い取るや議員としての収入や無料航空パスなどの特権を御手盛り、御手盛りで増やし、年金でも差をつけるなど、議員と一般国民との間に、格差をつけることに精を出し、学校では、自由や平等を教える教師を日本を駄目にするとばかり、圧力を加え、教育と教育現場を荒廃させ憲法の主権在民を敵視する政策をとった。
さて、議員が金銭や、生活上で差をつけ、二選、三選と繰り返し、繰り返し選挙で選ばれるようになると、地元の業者、大企業などと利権がらみの献金という形で結託するようになってきた。その結果、地盤、看板というものが、より強固なものとなり、生活が裕福になるにつれて、子供に贅沢をさせて甘やかせる、一方、世襲化を目指して、将来の跡取として政治家になる為の訓練を開始したのである。こうした子供の一人が、小泉氏というわけである。政治家の親は、一流の大学に入れようとする。小泉氏の例でもわかるように、次代の政治家という特権意識丸出した政治家の息子は、自分の身を削って働くことをしないから、人の痛みがまったくわからない。できのわるい奴は、仲間をつくって、まるで、政治家様になった調子で、仲間をふりまわし、お零れを授ける。このようにして、本来対等であるべき議員が真っ先に、特権階級をつくり、国民主権を無視し、踏みにじりはじめた。親が、子供の手本になって。
これに続いたのが、高級公務員の官庁に勤める官僚たち、自民党の族議員とつるんで、国の公共事業にからんで、リベートを取り懐を肥やし、国民との間に格差をつくることに政治家同様に精を出した。かくして、憲法では、身分、階級、世襲などない筈なのに、社会では、それに似たものが、形成された。これに拍車をかけたのが、大企業のサラリーマンであった。日本の国には、もともと、三井、住友、三菱、鴻池というように、武家と組んで大儲けした御用商人がいたが、維新後に明治政府と組んで、国家の炭坑事業、造船事業を払い下げを受け(民営化)あるいは、新規産業を興すなど、富国強兵などの波にのって政治家とつるんで大儲けしていた。一方、こうした、大企業のもとで、下請けする町工場で働く、中小零細工業が既に存在していた。
こうした戦時中の財閥は、戦後憲法のもとで、解体されたが、戦後は、国の復興事業に伴う需要を独占、息を吹き返し、復帰の機会をうかがっていた。彼等と政治家の間で旧知の関係が復活したのはいうまでもない。かっての、鹿島などの建設業も、住宅、ダム建設などの公共事業で、復活、大企業として、多くの労働者を抱えるようになった。同じく、大企業の下請けとして、自動車部品、金型の製造などで、中小企業も、増えていき、かなりの労働者を抱えるようになった。さて、こうした労働者の間では、賃金格差などがひろがり、大企業、下請けなど仕事上の上下関係が、両者間の上下意識をつくりだしていった。
このようにして、議員と国民との間で行われた意識的な格差の拡大に始まり、公務員と国民、さらに、大企業、中小企業、都市と農漁村というように国民間の経済的、社会的格差は、今や、大きく広がり、国民主権の示す、平等には、特に、階層が上であることを意識している国民はかなりの違和感や抵抗感を持つようになったと思われます。こういう中にあって、岩戸景気などと我が家の春を謳歌していた大企業、銀行などが、一気に不景気に叩きつけられた。今まで彼らに虐げられていた国民、特に、中小零細企業、中小農漁民の抵抗にあって、公的資金の注入が遅れ、回復も遅らせていた反自民政権が、倒れ、旧社会党の残党と組んでの自民党の復帰は、公的資金の導入などで銀行、大企業を一気に後押しし、三年寝太郎とばかり万を持いた小泉氏が、政権を握るや、痛みの知らないぼんぼんの遊び人、居そう候の冷血な本領を発揮し、倒産寸前にあった中小零細企業者を自殺に追いやったと言えまいか。憲法は、すべての人は、個人として尊重されると規定しているのに、それを全く無視して。これは、憲法違犯の人殺しといわなければならない。日本では、バブルの超好景気とはじけた後の超不景気のなかで、人為的に生み出された、冷血な差別とともに、憲法の国民主権や平等などが捨て去られ、主権など国民に有る筈がないという意識のコントロールが既に生活実感とともに国民におしつけられている。と感じるのは、今や私だけになってしまったか。こうして、一般国民に対して、散々、身分と世襲による格差を見せ付けておいて、日本の身分と世襲の最たるものである天皇を持ち出し、このように、身分と世襲は、国民には、手の届かない世界。主権在民とは、所詮、夢みたいなものという意識にさせる。
もし、主権が国民に有ることを宣言する憲法が発布された時に、国民主権を意識させることを目的とする日本語の大手術が行われていたら。やすやすとこんなことは、させなかったと思うと悔しい。その代表的なのが、お上である。憲法下の日本では、お上は存在しない。お上には逆らえないなどは、日本人が口にしてはならない言葉である。長いものに巻かれろ、出る杭は打たれる。寄らば大樹の陰という言葉は、無意識の内に国民に差別意識を植え付ける。よんどころなき身、天上人などという言葉は、身分、差別、世襲を黙認する言葉である。これらの言葉は、憲法の発布と同時に辞書から抹殺されるべきであった。身分、世襲を表す言葉は、専制、封建時代の名残として、自然に会話などを通じて規制もなく代よ受け継がれるが、主権在民の新しい時代には害になっても、益にはならない。言葉というものは、マインドコントロールの格好の道具となる。大袈裟な敬語も同様であります。このような、言葉の放置が、日本は天皇を中心としてなどという、発言を許すのではなかろうか。
国民主権を制度的に完璧にするには、法人税の全廃が望ましい。 憲法上の主権者は、日本国民であり、法人は、主権者ではないからであります。こうすることにより、法人の金銭による政治への介入が排除できる。法人税も日本に国民主権を定着させないための策謀ではなかったか。このようにみると、本気に日本を主権在民の国にしようと思ったのであろうか。疑問が残る。この点については、またの機会に。
投稿者:chaka at 18:59
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