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杉田聡『男権主義的セクシュアリティ』(青木書店、1999年)
熱望された著書の登場である。だれによってか。ポルノグラフィや買春によって傷つけられた人々、この強固なシステムが生み出す差別と暴力に日々苦しめられている人々、ポルノ・買春制度に問題を感じながら批判できないでいる人々、そしてそれに闘いを挑もうとするすべての人々によって、である。
日本社会では今日、かつて例をみないほどにポルノグラフィ・買春が蔓延している。そして「往年のフェミニスト」も含め、ますます多くの人々が女性の性的売買を擁護し、そうした議論ばかりが各種メディアで幅をきかせている。
この本は、このような現状に対して、ポルノや買春を「擁護する学者や理論家……を、批判するための本」であり、「現状をうれえる人たちに、現状を批判しつづける意思と論理をもってもらうための本」である。そのとおり、全編をとおして、多岐にわたる論点について体系的で、きわめて周到かつ説得的な論理が展開されている。ポルノグラフィが男性のセクシュアリティ形成に与える影響論(50頁以下)や、売春合法化の現実的帰結を具体的に論じた部分(200頁以下)だけでも必読である。
この本は、論争の書である。主に90年代以降の、ポルノグラフィがきわめて暴力的になると同時にその擁護者として登場したイデオローグを一人一人あげてその論を批判していく。それだけではない。「一部のフェミニスト」が、「すべてを差異に還元するポスト構造主義的な思考」をとりいれ「フェミニストの主張もただの多様性のひとつに還元」して、ポルノ・買春の擁護に回ったことを「バックラッシュ」と評価し、批判する。フーコーのセクシュアリティ論以来、「性と人格の結びつき」というセクシュアリティの「近代パラダイム」を批判する論調がフェミニズムのいわば「先端」となったが、本書はそれを「近代パラダイム」の「疎外態」とよび、それに対し、「性的侵害からの自由」を支える「理念」としての「性=人格」原則を、本書は、「『身体=人格』や『精神=人格』に勝るとも劣らない」「近代の重要な社会原則」と評価し、これを「フェミニストは断固として手放してはならない」とする立場をとる。その「性=人格」原則の「理解なしには……『近代パラダイム』[の疎外態]に対する批判も……成立しない」と、フェミニズムの「先端」を批判するくだりは本書の最大の成果のひとつであろう。今後の論争の発展が期待できる。
この本はまた、怒りの書である。現在「合法的」に出回っているアダルトビデオは、バクシーシ山下のビデオに典型的にみられるように、出演女性への「言語を絶する無法、暴力、陵辱、強姦」に満ちている。その山下のビデオを本紙で公然と擁護した社会学者・宮台真司氏の議論をめぐっては本紙上でも若干の論争があったが、その宮台氏の議論が本書では厳しく批判される。残虐な強姦実録ビデオの製作者たち、それを公然と擁護する学者・言論人、彼らを無批判に持ち上げるメディアへの、本書は仮借なき糾弾の書である。
この本は、そして希望の書である。出口がないようにみえたフェミニズムの「性と人格の結びつき」批判に対して本書が対置した「理念」としての「性=人格」原則は、性暴力批判への確固とした足場を与えてくれるし、法学の人権論や裁判実務とも接続可能な優れた立論である。またポルノ・買春という「行為によって構成・維持・強化される」男権主義的セクシュアリティは、「逆に行為によって切り崩され、弱体化され、変貌をとげうる」という指摘は、ポルノ・買春批判にとりくむ女性たちはもちろん、自らのセクシュアリティを問い直し、変革しようとするすべての男性たちにとって希望の言葉となるだろう。
(by NKST)
ポルノ・売春問題研究会
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