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[民主主義の危機]「イエスマンの愛国心」とフランス「共和国の愛国心」
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2005 年 12 月 06 日 19:08:44: YqqS.BdzuYk56
 

[民主主義の危機]「イエスマンの愛国心」とフランス「共和国の愛国心」

【画像】 
モネ、『印象・日の出』 Claude Monet、Impression:Sunrise 1873、Oil on canvas Musee Marmottan 、Paris [注]この画像は、以下のURLをクリックしてご覧ください。→http://www.abcgallery.com/M/monet/monet36.html

  「耐震偽造事件」が発覚したときに、自民党武部幹事長が述べた“この騒ぎが拡大し過ぎると日本の景気が悪くなりかねない”という主旨の発言が気がかりです。また、報道によると同じ人物が12月5日に水戸市内で開かれた山口武平・同党茨城県議(党県連会長)のパーティーであいさつし「日本は天皇中心の国だ。中心がしっかりし、同時にみんなで支える国柄だ」と述べ、その上で山口氏を茨城県政での天皇に例え、「茨城県政が隆々と発展しているのは、中心にある山口氏がすばらしく皆でもり立てている姿がそれ以上に素晴らしいためだ」と持ち上げたそうです。“豚もおだてりゃ木に登る”という訳です。自称「偉大なるイエスマン」の発言だけにコトあるごとにウロたえて自分の本心を述べたとは考えにくいので、このところの順風満帆への慢心(油断)から、小泉首相の本音が筆頭の愛弟子(=偉大なるイエスマン)の口を介して露呈しているのでしょう。

  これこそが“マフィア化した政党”が好むアメ(恫喝)とムチ(甘言)による恐怖政治の真髄です。本場シチリアやN.Y.のマフィアが統治するテリトリーでは、何事もその時代のボス(政権トップの意志)しだいであることは周知のとおりです。そして、この小泉首相と偉大なるイエスマン氏の篤い師弟愛(熱愛)の関係は、小泉政権が発足して間もない平成14年に武部氏が農林水産大臣であったときから始まっているようです。つまり、この時の輸入牛肉にまつわる狂牛病関連の武部氏の発言(『「狂牛病の感染源解明は、酪農家にとって、そんなに大きな問題なのかい?」』、参照『失言デパートの武部社長』http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/200510250001/)で窮地に立った「偉大なるイエスマン」氏は、辛うじて小泉首相に救われ九死に一生を得たという関係ができてしまったようです。この時に血の繋がりより濃厚な仁義の紐帯と「偉大なるイエスマン」が誕生していた訳です。

  一方、武部氏が「日本は天皇中心の国だ。中心がしっかりし、同時にみんなで支える国柄だ」と述べたことは、森元首相の「神の国発言」を連想させます(http://uchimurakorea.hp.infoseek.co.jp/zainichi/kan_sanjun/20000602_kaminokuni_hatsugen.htm)。そして、たまたま東京新聞が「自民党は二日、国民投票法案の「メディア規制条項」について、新聞などへの規制を撤廃し放送事業者のみを対象とする方向で民主、公明両党と調整する方針を固めた」ことを報じています(http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20051203/mng_____sei_____001.shtml )。このような国民投票関連のメディア規制発言は、恐らく次のような考えがあってのことかと思いますが、とても常識では理解できないことです。

(1)テレビは速報性が高く、国民への影響が大きい。

(2)だから、使い方次第で政府与党の広報に使えるし、国民の意志を誘導することも可能なので「小泉劇場」の再現が期待できる。

(3)また、テレビは新聞より脇が甘いので政治的な圧力をかけやすい。

(4)このメディア分断作戦で行けば対政府の批判力が弱まる。

  武部氏らが「神の国」発言の流れに拘り続けるのは、与党右派の中に靖国神社信仰と絡む「軍事国体論」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050419)と「愛国心」の復興を目論む意志があるからです。しかし、我われは、同じ「愛国心」でも市民革命の経験を経たフランス共和国のような「愛国心の形」があることも知っておくべきだと思います。

  1789年7月のバスティーユ監獄の襲撃に始まったフランス革命では、同年8月に「人権宣言」(人および市民の権利にかかわる宣言)が制定されています。これによって第一身分、第二身分、第三身分の身分制と諸特権が廃止され、自由で平等な市民による「市民社会」が誕生したのです(参照、ブログ記事『「暴動の炎」はフランス共和国への絶望と希望の相克[3]』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051124)。このような市民社会では、国民が同じ法の下に立つべきなので、法律を制定するプロセスへ市民が参加する権利、つまり「参政権」も平等に保障されなければならないのです。このように政治的、法律的に平等な市民の権利が保障されるのが「国民国家」です。これは決して自民党幹事長の武部氏らが主張するような「王や天皇中心の国家」ではあり得ないのです。

  このようなプロセスで成立したフランス共和国では、一市民(一人ひとりの国民)が直接的に国家と結びつく社会が理想とされており、このため「中央集権的な政治体制」が正当化されてきました。これを逆に見れば、国家を構成する単位としての地域(地方)が弱体化される傾向が続いてきたということです。この傾向は、近代国家フランスがライバルのイギリスと覇権を争う歴史の中で必然的に強められてきたものでもあります。フランス革命の流れの中で、一時、ナポレオン帝政が正当化されたのも、このような近代国家フランスの成立事情を知れば、ある程度は理解できるはずです。

  このようなフランス「共和派」の伝統が頂点を迎えるのが、1875年に成立した「第三共和制」です。この頃のフランスでは全国的に交通網が整備され、近代国家フランスの市場・経済空間もほぼ出来上がっていました。因みに、マネ(Edouard Manet/1832-1883)の名作『草上の食事』が官設サロンで落選したのが1863年であり、いわゆるこれらサロンの落選画家たちがメンバーとなり第一回「匿名芸術家協会展」がナダールの写真館で開催されたのが1874年で、これが「印象派絵画」の始まりとされていること、また、この展覧会に出品されたモネ(Claude Monet/1840-1926)の『印象、日の出』に因んだ出来事から「印象派絵画」の名が成立したことなどは広く知られているとおりです。

  このようにして近代国家の形が出来上がったため、フランス政府は次に精神面でフランス人を完成させようとする、いわゆる「国民統合」の仕事にとりかかります。そして、そのための手段として着想されたのが「教育制度」と「徴兵制度」の整備・充実です。1880年代に、フランスでは初等「公」教育に『義務教育、無料教育、宗教性排除』の原則が導入されます。これによってフランス全土で均質の教育が実施されるようになりました。しかし、このことに対しては、主に地方言語の存続問題などに絡んで反発の動きも芽生えていたのです。また、フランスでは革命いらい「徴兵制」が原則となってきましたが、これを徹底させることにしたのです。フランス国民が徴兵制を支持してきた根本には「自分たち(市民自ら)のことは自分(市民自らの力)で対応する」という「市民革命」を起こした市民たちの確固たる革命の精神が存在するのです。これが、いわゆるフランス共和国型の「愛国心」です。

  このようなフランス革命以後の歴史を歩んだフランス共和国の大きな特徴を一言で述べるとすれば、それは既述のとおり「中央集権的政治体制」であり、その基盤となるのが共和国の理念である「公共空間」の中で市民の平等を実現する「同化」政策です(参照、ブログ記事『「暴動の炎」はフランス共和国への絶望と希望の相克[3]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051124』)。しかし、今や、この「同化」政策が移民問題や地域言語問題などとの絡みで異民族や地域文化に対する「抑圧」であったり、異教徒に対する「弾圧」と映ったりすることで問題化しており、それが拡大化する傾向にあります。最近の移民ニ、三世の若者たちによる「暴動」もこの流れで起こったものです。そして、「地域主義の復興」については、1980年代から地域文化の多様性を積極的に評価しようとする動きが目立ち始めています。そこで行われているのが「寛容」と「共生」についてのフランス人自身による再定義です。移民ニ、三世の若者たちによる「暴動」についても、植民地時代のフランスを直視し、それを徹底的に反省することから取り組み直そうとする動きが芽生えています。

  筆者は、ここでフランス型の「愛国心」や「徴兵制」を猿真似しようなどと主張するつもりはありません。今まで概観したとおり、「フランス共和国の理念」に基づく政策といえども決して完璧なものではあり得ず、激動の歴史の流れの中で幾多の失敗と復興の繰り返しが続いてきたことが分かります。しかし、近代フランスの動向で評価すべき最大のポイントは、共和国の理念(世界における近代民主主義のモデル)の放棄への外圧(例えばアメリカ型の自由原理主義思想)に対しては梃子でも譲らず、きわめて困難で狭隘な臨界線で踏みこたえつつも流血と苦難の歴史を直視し、その過去から学んだ反省を勇気を奮い立たせて新たなタイプの民主主義(例えば、エマニュエル・トッドはフランス伝統の人種間結婚の未来に『人種のるつぼ型の新しい民主主義社会』(http://jn-jn.txt-nifty.com/fixing_a_hole/2005/11/e_7902.html)を見ており、レギュラシオン理論(http://learning.xrea.jp/%A5%EC%A5%AE%A5%E5%A5%E9%A5%B7%A5%AA%A5%F3%CD%FD%CF%C0.html)への賛同も広がりつつある)を実現する行動に結びつける知恵とバイタリティーが観察されることです。

  我われは、このような点がフランス人一般の「愛国心」の原点であることを理解し、それは日本の「偉大なるイエスマン」や政府与党右派の方々が、それで一般国民を洗脳するつもりでいる旧態依然とした軍事国体型の「愛国心」とは全く異次元に存在するものであることを学び取る必要があります。つまり、知識人やマスコミ人は、もっと真剣な態度で、自称“偉大なるイエスマン”らが想定する「愛国心」と民主主義の先進国であるフランス共和国の「愛国心」には“これほど大きな雲泥の違いがある”ことを一般国民へ正直に知らせるべきです。また、ここで特に留意すべき点があります。それは移民などについての「共存」政策を採るアメリカの人種差別などでよく使われる手法ですが、例えば「負け組みの黒人を差別するために勝ち組の黒人を使う」という卑劣な定石的手法があることです。この視点から見ると、現在の日本で、政府自らがカジノ経済(バブル志向経済)を煽り、勝ち組・負け組みの分裂を煽り、サヨ・ウヨの対立を煽り、主権者たる市民のための公共空間を軽視し、一般国民の生存権(社会保障)を制限するという愚劣な政策に傾いていることが懸念されます。これでは、日本国身の生命と財産が「宗主国アメリカ」によって好き放題に利用されるばかりです。

(参考URL)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051121

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