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「郵政民営化でブッシュとその仲間たちに何百兆ものおみやげをポン!と気前よくあげた・・・」と藤原新也氏も書いておられる。阿修羅を御覧になっているのかな(笑)。皆様方の声は確実に広がっている・・・。
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http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php
夜の9時、マンションの外階段の踊り場の方から女性のすすり泣く声が聞こえる。
物騒なこのご時世、なにか不穏なものを感じ、手近にあった何かの賞のときもらったブロンズの裸婦像をふところに物音を立てぬように数センチほど鉄扉を開いてみるとそこには20代後半くらいの女性。
どうやら一人泣きのようである。そのままそっと引き下がろうと思ったが、まさか性犯罪に巻きこまれたのではというあらぬ思いが脳裏を走り、扉をひらき「大丈夫?」と尋ねる。
半泣きの女性は私の顔を見るなり「すいません」と言う。
「何かあったの?」
バカヤロウめ!!
よりもよってまたあの食傷した姉歯(この字でよかったんだっけ)がこんなところで顔を出すとは。
彼女は2階の不動産会社の社員で土曜というのにこんなに遅くまで働いてそのあげく、同僚からイジメにあったらしい。くわしくは聞かなかったが彼女が何かの書類を外注に出したところが姉歯が関係しているところだったらしく、それを同僚たちからたしなめられ、こらえきれなくなって外階段をのぼりそこで泣いていたというわけだ。
「ただ上司に言われて持って行っただけなら君の責任じゃないので、まあ、しっかり泣いたら忘れて家に帰りなさい」
まあそれにしても今世間を騒がしている人間白アリどもの詐欺物語が俺のマンションの踊り場までヒタヒタと押しよせているこの不気味さはいったい何だ。私がそのことにちょっとでも関わろうとしたからそのことがわかったわけで、案外君たちが気づかないところでじわじわとその小さな返し波のようなヤツが日本国中津々浦々音もなく浸水している可能性がないとは言えない。
友達の友達はまたその友達の友達だということで、現にめでたく俺も姉歯のお友達になってしまったじゃないか。それも犬は姉歯だけじゃなく、ざっと数えただけでも10人はくだらない。そいつらがネズミ講のように誰かと誰かにつながり、そのまた誰かが誰かとつながり、ねずみ算のように増えたときのことを考えるとゾッとしないか。
それだけじゃない。ヒューザーとか木村建設とか総合なんとか研究所とかその他の詐欺集団会社の社員も子ネズミのようにちらかってあちこちで伝染性病原菌のクソをしてたわけであるから、これは冗談じゃなく、日本国中が青カビだらけになる可能性は否定できないわな。
とまあここまでは冗談口調だが、被害者にとって問題は至って深刻である。
生涯をかけて培った全財産を突然没収され、ローンだけが残ってこの師走の寒空の下に放り出される。おまけに家賃をも払わなければならない。
無間地獄である。
小泉は超法規的電撃的な手法で抵抗勢力を焼却処分してしまったように、超法規的に関わった会社の全財産を電撃的にまず押さえ(人間白アリどもがいま財産をせっせと巣穴に隠そうと躍起になっていることは明白だ)、その上で国家負担で過去と同等の生活に国民を戻してやるべきである。私がここであえて被害者を「国民」と呼ぶのは、いま起こっていることは国民が死に体になっているときに現政権は何をするだろうかという踏み絵シーンを私たちは見ていることに他ならないからだ。
バブルに踊って地揚げ三昧で大借金を作った銀行に膨大な公的資金を投入したその理由が、銀行がつぶれたらその被害が国民に及ぶという実に”国民思い”のうるわしいものだったことは記憶に新しい。
今まさにその銀行がつぶれてどうこうということを越えた「国民被害」が勃発しているわけではないか。あの国民思いの税金投入はウソだったのか本当だったのか、実は国民をダシにした銀行救済だったのか、国民は今回の事件を生きたケーススタディとしてそのなりゆきを見守る必要がある。というのはそれは自分に起こっても不思議のないことであり、国民全体の問題だからだ。
小泉さん、この場に及んではそれが人気とりの小泉劇場であっても小泉狂言であってもなんでもかまわない。郵政民営化でブッシュとその仲間たちに何百兆ものおみやげをポン!と気前よくあげたその心意気と気前よさを同民族の日本人にむかっても発揮してくれないだろうか。
そうは言いながら、ただ俺としてはふと魔が差すように過去のいまわしい亡霊のことを思い出さないでもない。日本が敗戦濃厚になって満州や黒竜江省などから命からがら逃げてくる女子供を置き去りにして、日本の軍隊は自分たちだけがその機動力を発揮していち早く日本に逃げ帰ったあのことを。
黒竜江省から列車の底にしがみついて帰ってきた親戚の老人の言葉を、この平成の無責任時代になぜかふと思い出すのである。
「あそこまで国家のために命を捧げるようにして働きながら、尽きるところ国家は国民を助けるためにあるのではない。そのことが身に染みてわかりました」
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