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(回答先: 【広島女児殺害】 またもや外国人狩りの始まりか?(反米嫌日戦線) 投稿者 片瀬テルミドール夏希 日時 2005 年 12 月 01 日 08:09:23)
久々にテレビを見たせいで、「ペルー人」という言葉を昨日までの人生の総計以上に聞かされてしまった気がする。例の広島の女児殺害事件だが、5年間にわたってフジモリ前大統領を匿ってきたこの国では、犯人よりも容疑者であることに対して重罪が宣告されるのかもしれない。
http://ch.kitaguni.tv/u/5028/%bb%e0%b7%ba%c0%a9%c5%d9%a4%c8%c8%c8%ba%e1%ca%f3%c6%bb/0000295563.html
2005 年5月、福岡一家殺害事件の被告であった中国人留学生に、死刑判決が下った。当日の国営放送は、「金銭目的に生命を簡単に奪い、良心の呵責さえ感じない。卑劣かつ残忍で、人間らしさは全く感じられない」という判決文に加えて、「死刑になったから喜んでくれ」と亡くなった孫に花を手向ける祖父の言葉を紹介していた。そこに注意深く隠されていたメッセージは以下のようなものだろう。
(1) 被告の死刑を喜んでいるのは遺族であって、当然ながら死んでしまった被害者その人ではあり得ない。被害者の心情を遺族が代弁し、遺族の心情にフツーの人々が便乗することは、一見死者を尊重しているようで実は冒涜しているのではないかという視点。
(2) 「金銭目的に生命を簡単に奪い、良心の呵責さえ感じない」政府や企業に対しては決して死刑に値する判決が下ることはなかったし、今後もないであろうということ。
(3) 仮に被告が「人間らしさは全く感じられない」人間であるなら、なぜ本国で前科を持っていなかったのか。彼を「非人間」にしたのは中国ではなく日本、日本人なのではないかという疑問。
(4) 言うまでもなく、たいていの留学生は日本人学生より真面目であるという事実。
(5) このニュースを見ているのは日本人だけではないという最低限の想像力。
外国人差別をあからさまに助長するこうした犯罪報道によって、死刑はますます日本人にとって「癒し」の様相を帯びていくのだろう。しかし、被害者でもないくせに被害者感情に便乗したがる人間こそ、真の意味での「偽善者」ではないだろうか。「死刑はあって当然」ではない。「死刑になって当然」。死刑の存続を疑いもせずに他者を断罪する言説がはびこっていく。
投稿者:kanti at 22:08
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