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アスベストを追う/16 削除と廃案
歴史に「もし」はないが、アスベスト被害を取材するにつけ、もし国が早期に対策を打ち出していれば大勢の患者が救われたはずなのにと残念でならない。
手元に、国際労働機関(ILO)が86年にジュネーブで採択した「石綿の使用における安全に関する条約」(石綿条約)の条文と議事録がある。現在、国内の石綿関連工場周辺の住民数十人が中皮腫(ちゅうひしゅ)を発症したことを考えると、見過ごせない内容を含む。
条文は、工場周辺住民らを念頭に「作業場から発散される石綿粉じんが一般の環境を汚染することを防止するために適当な措置をとる」と明記している。ところが、日本政府代表はこの条項案削除の修正案を提出した。そう記録にあるのだ。
その理由を問うと、厚生労働省は「労働分野を専門に扱うILOでの条約なので、環境一般の汚染を対象にすると、多くの国の批准が難しくなる可能性があった」などと回答した。
私は納得できなかった。当時、政府は既に石綿を発がん性物質とみなしており、労働省(当時)だけで手に負えない問題ならば、環境庁(同)と協議し、対応すればよかったはずである。何よりも、積極的に削除を求めたのは理解できない。
一方、労働組合や消費者団体などは石綿条約の先進的な内容を生かそうと、87年に「石綿対策全国連絡会議」を結成した。その政策提言は、石綿の原則使用禁止を定めたアスベスト規制法案として結実し、社会党(当時)が92年に国会に提出した。しかし、一度も審議されずに、廃案に追い込まれた。
同会議事務局長の古谷杉郎さん(49)は「未来の被害を防げたはずの野党の議員提案をまともに扱わなかった」と悔しがる。
石綿条約の日本の批准は今年8月だった。
クボタ旧神崎工場近くに住み中皮腫に罹(かか)った前田恵子さん(73)は私に言った。
「法案が無視されなければ、新薬開発に拍車がかかったはずです。もう私には間に合わない」
政治家や霞が関の役人に聞かせたい言葉である。<文・大島秀利/写真・小関勉>
毎日新聞 2005年11月30日 大阪夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/yukan/08/
11月30日 アスベストを追う/16 削除と廃案
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http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/yukan/
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