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blog TIAO
http://blog.readymade.jp/tiao/archives/001027.html
808衆議院解散〜911総選挙、ひと夏の間にこの国はなにものかに乗ったられてしまった。秋以降、そのことに気づいた人たちがネットの各所で声を上げているのだが、マスコミ・ジャーナリズムはそのクーデターの片棒を担いだだけでなく、その後も権力の番人ならぬ番犬として本来向ける矛先を取り違え、権力側へ尻尾を振るのに忙しい。
巷のニュースはスキャンダラスな事件や犯罪を一日中無定見に垂れ流している。その陰ではさまざまな社会改造の準備が着々と進んでいるのだが、恰も煙幕のようにその実態は隠されて民草の目にはふれないようにしているようだ。
今この国で進行しているクーデターの実相を糾弾するブログ記事は多いが、今日目にしたこの記事は核心をついている。
■小さな政府は、主権在民を殺す巨大秘密政府の樹立(chakaのチャンネル)
全く忌々しき事態なのだが、さてこれを阻止するにはぼくらはどうすればいいのかを考えないといけない。阿修羅などでは反小泉で共闘しようなどと声高に主張する人たちもいらっしゃるが、それって大丈夫なのか、と心配になる。
ただでさえ監視社会が厳しくなっている時に「運動」なんていう時代外れの危険な行為じゃないだろうか。
自分のブログにバナーを張るのも自ら標的になりますと宣言するようなものであまり賢いとはいえない。
僅か数%の差で衆議院は与党が絶対多数を占拠しているし、マスコミは萎縮して番犬に成り下がっている。この状況では敵失を待たなくては、街頭でデモをしようが、集会を開こうが、投書をしようが、ネットで批判記事を書こうがカエルの面にションベンで政権与党は痛くも痒くもなく、そうした声を上げるリーダーを芋づる式に締め上げていくだけだろう。
江戸時代ならば農民一揆が起きてもおかしくないのだが、分断統治されている家畜状態のサラリーマン都市住民にはその力もない。じゃ民草たるぼくたちはおとなしく家畜のように屠場へ引かれる順番を待つしかないのだろうか……。
反撃の狼煙を上げるには、先ずマスコミにジャーナリズムの大義を覚醒していただいて市民社会を擁護するという本来の立ち位置に戻ってもらう必要がある。権力の監視機構としての役割をかれらに思い出させるにはショック療法が必要だ。それは何か?
実はとても簡単なことなのだ。ぼくら民草が共闘や連帯して運動しなくてもかれらに危機感を与える方法はある。今回の選挙ではテレビの影響力の大きさを見せ付けられたが、テレビは企業広告で運営されているので民草がテレビを見ないぞと凄んでも相手には堪えない。だがテレビ会社の親会社は実は新聞社。新聞こそがこの国のマスコミの総元締めであるというのを思い出そう。
新聞は広告も収入源だが、その基盤は定期購読と宅配システムに支えられた発行部数である。
つまりぼくらがすることといえば朝日、読売、毎日など全国紙にターゲットを絞ってその購読を中止すればいいのだ。ニュースなどはテレビやネットで十分間にあうから、生活にはほとんど影響はないだろう。家のゴミが減って片付けが楽になるというメリットの方が大きい。どうしても新聞がない生活は耐えられないという人は全国紙を止めて地方紙へ切り替えればよい。
これを各自が自発的に静かに粛々と行なっていくだけで、実は大騒動が起こるのだ。数ヶ月で定期購読の解約が全国規模で自然発生して、それが10%以上になると数百万部という部数を誇っている全国紙といえども屋台骨が傾く。経営者には非常な危機感がつのるのは間違いない。20%以上の部数減少が起こればもう経営危機が叫ばれるだろう。原因は何だ、それへの対策の手を打て、と叱咤激励するに違いない。
原因を探っていくと読者は政権与党の番犬に成り下がったジャーナリズムに愛想を尽かしたということが判明する。つまり経営危機を脱するには本来のジャーナリズムとしての仕事をしないといけないということに気がつくはずだ。気がつかない新聞社は読者離れが止まらなくて倒産するだろう。それは自業自得というものだ。
こうしたことを誰かが音頭を取るのでもなく、声高に叫ぶのでもなく、新聞の講読者自身が自分の判断で静かに行動すればよい。そうすれば今の世相の流れを確実に止めることができるだろうし、マスコミがジャーナリズム本来の仕事を再開すれば政権与党とて好き勝手はできないし、枕を高くして安眠もできないはずだ。
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