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(回答先: その言葉は、特権階級にだけ許されたご都合主義の見本のように見えます。TORAさんへ 投稿者 yu-min-yu 日時 2005 年 11 月 29 日 10:46:38)
この根源は大東亜戦争における天皇の戦争責任の問題がありますが
官僚たちも結果的に責任を取らなかった。マスコミも朝日新聞をはじめ
潰されることもなく現在まで続いている。だから国民の間には一体誰が
戦争責任を取ったのか、東京裁判のA級戦犯だけにおっ被せて、官僚や
マスコミや一般国民たちは戦争の犠牲者であるかのような振る舞いを
している。そして多くは責任を取らぬままあの世に行ってしまった。
平和憲法も民主主義教育も盲目的に戦前と逆のことをやっているだけで
日本のエリート特権階級は責任も取らず何の自覚もなく戦前と逆のことを
やって反省したふりをしたままあの世にいってしまった。
だから本当の反省をしていないから、なにが間違っていたのか、あるいは
間違ってはおらず正しかったことも否定してしまった。
本当は日本は正しくて戦争に負けたことで間違ったこととされてしまった
のかもしれない。
責任を取るべきか取らざるべきか分からないままに取り残された日本国民は
失敗から何も学んではおらず、反省もなく反省したふりだけをしているのだ。
だから中国や韓国から批判されると盲目的に謝罪だけを繰り返す。
本当に責任を取って反省したのならば、堂々と反論が出来るはずだ。
戦前の日本のエリート特権階級は反論もしないままあの世に行ってしまった。
我々のような戦後世代に宿題が残されて大東亜戦争の反省を試みて
いるのですが、アジアの開放と言う目的は正しかった。しかし手段と方法は
間違っていた。だから負けてしまったのだ。だから平和憲法は二重の意味で
間違っている。正しかった日本を否定した形になっているからだ。
最初に戻って天皇の戦争責任は目的は正しかった。しかし手段と方法が
間違っていたから敗戦して多くの犠牲者が出た。その責任はエリート
特権階級は取るべきであったが、うやむやにしてしまった。
結論的に言えば日本のエリート特権階級は能力が無く、能力以上のことを
要求しても間違えるだけで、災難を予知して防ぐ能力と言うものがない。
だからその責任を問うても責任の取りようがないのかもしれない。
だから失敗から学ぶと言うことも出来ないのかもしれない。
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