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9.11の選挙の前後から小泉氏に危機感を抱いた私は、藁をもつかむ思いで掴んだのが、憲法、それも前文でした。私は、はっきりいって戦争後遺症に侵されているといっていいでしょう。この戦争後遺症の特効薬が、憲法の主権在民の文字でした。そして、自由、平等、博愛と自由な選挙でした。戦後の第1回の選挙は、まるで御祭りのような心うきうきする楽しいものでした。子供心にもこれから新しい日が始まると希望に胸をときめかせていたことを覚えています。その日が人生最高の喜びとなるとは・・・・その日から、六十年以上たって、日本には、驚くべき現象が起きはじめました。それは、私が、戦後日本の希望の星と思っていたものが、急激に光を失い。今消えようとしているということです。’自民党’をぶっ壊すといって、華々しく登場した小泉という人物が、かなり妖しいということが、日に日にあらわになると共に、民主主義の国としてある程度安心してみてきた米国が、選挙で一気に黒い国になり、さらに、軍事力を背景に国連を無視して世界の覇権に突進始めたのです。小泉氏と米国のブッシュ氏の類似性は、明らかに日本と米国の間に太いパイプのあることを示しています。ご承知のとうり、米のユダヤ勢力です。私の生半可な、浅学な知識で申し訳ありませんが。米国のユダヤ勢力が、経済界はもとよりニューヨーク タイムズ、ニューズウィークのマスコミ、インターネットなどをその傘下においているのは、ご承知のとうりです。革命を起こし、一次、二次大戦に火をつけ、戦後の資本主義、共産主義の冷戦を支配していたのも両陣営を陰で操っていたこの勢力といわれています。その戦略は、世界に対立する勢力をつくり、互いに戦わせ、両方とも瓦解させるというものといわれています。私は、根っからの馬鹿ですから。このようなことをたとえ聞かされても、戦後の特効薬であった憲法の効き目が忘れられないのです。あの日に目にした光が消えて闇になるのが、耐えられないのです。ただそれだけです。その背景に、フリーメーソンであれ、ユダヤプロトコールであれ、黒幕が網を張っていようが、日本人が戦後に受け入れ、文字どうり自分の心にして来た憲法をもう一度、日本の言葉に置き換えて、日本のものに出来ないかと真剣に考え、前文の解明をしてきたつもりです。もともと幼稚で田舎もの丸出しの私が、幼稚とも思えることば遣いで、アンシャンレジームのような、田舎っぺの私には、消化不良を起こすような専問用語は抜きにして、本音と情熱だけで前文を自分なりに理解しようと努めたつもりです。素人ですから、専門家からの批判と、誹謗、罵倒までを含めて、コンピュータがパンクするのではないかとひやひやしていましたが、今のところ全くといっていいほど静かです。完全に無視されています。
私は、人と人との間の理解を一番妨げるものは、言葉という認識をもっています。暴政日本版アンシャンレジームは本当に外国の事、日本の事を理解されている方の言葉と思いました。残念なことは、例えば、宗教勢力は、創価学会というように具体的に指すものが明らかにされていない点です。確かに、言葉には、具体的なイメージを思わせるようなものがあり、何となく分かった気分にさせます。しかし、それは、知識水準が、同じ場合には、隠語のように通じますが、一般の国民には、全く理解できないでしょう。それは、マ・・・・ではないでしょうか。今の、日本に一番かけているのが、御互いに分かり合うということではないでしょうか。御互いに分かり合うには、平易で分かりやすい言葉を使うことが一番大切と思います。私が、素人の癖に憲法の前文を解読しようとしたのもその為でした。
もし憲法が、素人にわからず、専門家にだけしかわからないものとすれば、法制局長官のような、いい加減な答弁が、憲法の場合でも罷りとうることになり、結局、武力を捨て、戦争を放棄した憲法下で、自衛隊のようなわけの分からないものが、国民に押し付けられることになるのです。主権在民という言葉も同様です。ポイントは、自由を確保すると、自由による恵沢を確保するとは、どう違うのかということです。しかも、英文では、恵沢は複数です。私は、日本の学者や、外交官に比べると、英語の能力は、月とスッポンの差があると思っております。しかし、その心を理解する点では、学者や外交官にないものを持っていると自負しています。それは、専門語を矢鱈に並べたり、美辞麗句を飾り立てたり、矢鱈と、関係代名詞を並べ立てるような、仰々しい英語より、平易で、分かりやすい英語を読んだり、書いたりしているからです。
確かに、英文で書かれた憲法の前文は読みにくいといえます。しかし、肝心の点は誤った解釈が加えられないように配慮しています。それにもかかわらず、一般の日本人に専門的知識がないことをいいことにして、勝手な解釈が罷りとうってきて、現在に至っていると思われます。
さて、前にもどりまして、自由を確保するとしないで、自由による恵沢を確保するとし、恩恵としないで恵沢という素人には聞きなれない言葉にした理由は、何か。それこそ法制局にお聞きしたい。日本の政治家はこの点を完全に無視してきました。自民党の政治家、名前は忘れましたが、渡辺道雄という人だと思いましたが、日本は社会主義の国ではない。今の状態は、世界で一番の社会主義国だとかなり激し口調で言うのを聞いた時、わたしは、嫌な予感がしました。それから、本当の民主化、即ち、民営化改革の大合唱が始まったと記憶しています。
もし、この政治家が、自由の確保と、自由による恵沢の違いが理解できる政治家であれば、どうして、民主憲法下で社会主義と見られる形態が出現するに至ったか理解したに違いありません。これが、実は、主権在民の本質でした。さて、憲法学者の方々、憲法の権威を自認する賢人諸氏、自民党の憲法通を自認する方々、私のコンピュータがパンクするほどのご批判をお願いします。今の日本が閉塞を脱却する鍵が、すべてここにあるからです。前文で絶対に消してはならない文言です。勿論、憲法愛が人一倍強い私のことですから、私が、間違う方が濃厚です。
さて、その理由は、blenssings of libertyとし, bless of livbertyとしなかった点が重要と考えました。それは、自由の与える具体的な恩恵をあらわそうとしたと私は解釈します。このことは、その時、既に、自由には、貧困からの自由、恐怖からの自由というように、自由は観念ではなくて、それに伴う権利も表すものとなっていたからと思われます。しかも、動詞ですから具体的な政策、制度を国民に与えることを意味します。具体的なものは何も示されていませんが、一つ以上の様々なものがありそれを自由のもとで国民が確保する。そこで、私は、直ぐには実現できないが、人が共通項として持っている部分を平等に扱うことを保証し合うことと理解したわけです。国民主権とは、国民がそれぞれ対等の権利を持っていることでなければなりません。国の生み出す富み、すなわち、恵沢について、誰一人として独占できる権利が無い状態で、私の解釈以上の如何なる解釈があるか、大いにご批判願いたく存じております。もし、ご不満が残るとすれば、私が、人の間に報酬の差異を憲法は認めているとした点ではないでしょうか。格差と平等を憲法がどの様に規定しているとするのかで温度差が生まれることになるでしょう。しかし、国民主権のもとでは、それを決めるのは、選挙で選ばれた代表ではあり得ません。代表というものは、国民が決める範疇の中での決定権しかみとめられないからであります。
このように考えた時、憲法前文には何の疑問点も、付け加える点もありません。憲法の前文にある国民主権を具体的に規定し、さらに、国民が享受できるものを付加するのが、憲法改定であり、前文の抹殺は、どう解釈しても、国民の主権の抹殺、奪取であります。それは、なんども申しもうしあげますが、憲法の前文は、憲法の一部や、原則を表したものではないからです。国民主権そのものであるからです。このぜんぶんの国民主権を具体的に実行するのが、憲法各条項や諸法律であり。自民党のは、憲法の改定は、憲法のいう改定ではなくて、憲法の保証する国民主権の奪取の共謀行為であると激しく批難し、毎日のように、ブログを改める私の言葉の重要さご理解ください。 私は、物事を小難しい言葉を使って表現したり、振りかざしたりするのが全く苦手です。嵐のような、激しい批判のし合いの中に新しい方向が見えてくると思っています。独善に走らず、客観的、公平にものを見ることは、人間には、不可能です。激しく、相手を張り倒すような批判と議論こそ不完全な人間を完全に導くはずです。これこそ、自民党が、喜ぶ真の武士道というものです。
ソクラテスの弁証法は、共産主義の便法ではありません。達観は厳禁。すべてをぶち壊します。共産主義のオルグにおける、自己批判と総括は、洗脳の武器でした。私のいう真の意味をご理解ください。何度も申し上げます。私は、馬鹿で、空っぽです。学芸大学も卒業できなかったのですから、私の空っぽは明らかです。それは、恥ずかしいほどです。馬鹿で、無鉄砲で、礼儀知らずの私でも、憲法の素晴らしさが、心に染みて分かります。まして、一流大学の教授や、学者諸氏は私の幼稚さに我慢がならないでしょう。でも、IQ150点の私でも主権者のひとりであることに最大の誇りをもっています。
投稿者:chaka at 17:05
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