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(回答先: Re: 孝明天皇暗殺は慶応2年12月25日(但し旧暦)の事でした。 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2005 年 12 月 24 日 13:30:28)
少し踏み込んだ観測をいたすことになりますが、
このグループは、公武合体が進むことを阻止したのだと考えます。
その思惑通り進行したのでありますが。
将軍家茂を消し去り、孝明天皇も消し去ってしまおうと考える事は、すでに政権のデザインを持っていたと考えられます。デザイン?いや、権力奪取の欲望であったにすぎないでしょう。
彼らの背景や支援者としての英・米やフリーメーソン組織はさておき、日本側の主体を考えてみたいと思います。
その主体の実体を探るには、主体の真意と動機を探れば分かると考えます。
徳川幕府と徳川家、それに好意的な皇室に反対し、それを倒そうとし、国の政治権力を奪い取ろうとする者たちが誰であるかを考えれば解ると思います。
家茂を毒殺したように孝明天皇も毒殺しようとしたのであろうと考えますが、それがうまくゆかず失敗し、一方では計画とスケジュールに追われていたので、乱暴に刺殺する方法を採用したのではないでしょうか。
長州藩士達の暗躍ばかりに注目が行っているようですが、薩摩藩士達も参加していたものと考えています。それに土佐藩士達も付いていったのではないでしょうか。
その様な中で、坂本龍馬は邪魔者になり、土佐藩士達を中心とする暗殺団に殺害されたのであろうと考えています。
要するに、国の転換期においての危機打開の政治行動の最終局面において、
維新実行者達は、「国政の大義」よりも「権力奪取の動機」を優先させてしまったのだと思います。
例えれば次のような有様です。
目の前に、金庫の蓋が開いてしまっていて、
金塊と札束が山をなしている。
これに手を出してつかみ取ろうか(盗もうか)?、それとも
国民全体で如何に使うかを協議するか? これは諸侯会議の事です。
おもわず目がくらみ卑しい根性が先に立ち、金塊と札束にを出してつかみ取った。
金塊や札束とは「政治権力」をたとえたものです。
金庫の蓋が開いたとは、幕藩体制の破綻です。
大切な時において、「大義」をかざしながら実は自己中心の欲望で動く者達は、
「大義」を知らず、「国政」を知らぬ者達であります。
その様なことを考えることに慣れていないもの達であり、無教養の卑しい根性の者達です。
かくして、政治権力は国民に開放されることはなく、利権屋に奪われ現在に到ったわけであります。
国民はこのことを知らないのです。
政治には大義が必要です。また政治の背景には権威が必要なのです。
紙幣の背景に国の信用が存在する事と同じように必要なのです。
旧暦でありながら12月25日に孝明天皇がお隠れになったことは、12月25日は実はキリストが亡くなった日であるとの主張をなされた人もおられたことから考えても意味深いものがあるのではないかと考えるのです。
立場がお有りになる方は意味ある亡くなり方をなされるものであると考えるのです。
フリーメーソンの教えはキリスト教の教えと対の関係にあると考えられます。
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