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2005年11月13日
「働く過剰」
働く過剰 大人のための若者読本
玄田 有史
「東武鉄道の運転士が、長男を約4分間、運転室に入れて乗務したとして、同社が懲戒解雇を決めたことに対し、同社に抗議する電子メールや電話が計約430件相次いだ」との記事。「昔も今も規則は変わらないけれど、昔はもっとおおらかだったんだよね。でも今は時代が変わったからそんなことは許されない」なんて職場でしたり顔で語っている中高年の方。
そういう人がいま若い部下に何をやっているのか、何気ないその行為が今後日本社会をどう痛めつけるのか、よく考えてください、という本です。
実際、「失われた10年」の間に、業種・企業を問わず職場の「合理化」は大きく進みました。
筆者の玄田有史氏は、「そのしわ寄せは、とりわけ30代までの若年層に最も大きかった」と断じます。要は中高年層による若年層への「つけ回し」が行われたわけです。
これは以前取り上げた、同氏の「仕事のなかの曖昧な不安」に詳しいので略しますけれど。
新人採用は抑制され、しかも若者の多くが不安定なフリーター雇用、さらに運良く正社員になってもサービス残業による過重労働。若年層の能力開発を放置したまま、団塊世代の退職で中堅層の絶望的な不足が目前に迫っている。
筆者は本書で「過重労働などによる心身の故障により、ニート化した35歳以下の若者が10万人近くに上り、しかも少なくとも3万人は1992年から2002年までに増加した」と記していますが、この人数はまさに小さな戦争に匹敵します。
日本社会はこの10年「静かな戦争」を戦ってきたわけです。
ちなみに私はこの「失われた10年」の真っ最中に職業人になりました。運良く正社員としてまだ働いているわけですが、この間うつ病を始め、心身を壊した人間の数は、社内、同業他社、同級生を見渡しても、片手では足りない数です。
もちろん、自分の身は自分で守らねばなりません。
が、「昔はおおらかだったが、今は厳しい時代なんだ」と、年功序列で生きてきた自分の過去を棚に上げ、無批判に競争原理を口にしたがる偉い人は、やはりよく省みた方がよいように思えます(それとももう辞めるから関係ない?)。
だって、働いているのは30年前と同じ大きさの身体と頭脳を持つ、しょせん生身の人間です。進化しているわけでも何でもない。
たかだかITや携帯電話が導入されたくらい(また、こういった機器により、休日に呼び出されるなどのストレスも増加した、と本書では指摘する)で、人一人がやれる作業量が大きく変わると考える方がおかしい。もし、それでも作業量の増加を要求し続ければ、当然質を犠牲にするしかない。そうでなければ長時間労働で自分が壊れるしかない。
本書は「即戦力」という美名の下、結果的に若手の人材を酷使する=「将来を食いつぶして、今を凌いでいる」企業は、日本であろうが欧米であろうが、長期にわたって存続し得ない、と結論づけていますが、それは十分に説得的でしょう。
ただし、それをきちんと考えるだけの経営の力量を持った企業は、これも本書が指摘しているように「ごく少ない」のでしょうね。
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