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(回答先: 女性は感覚的だから、不気味な世相の悪い波動を受けて狂うのでは? 投稿者 Sun Shine 日時 2005 年 11 月 10 日 18:58:21)
SunShineさん レスありがとうございます。
以前はきつい書き方をしてしまい非常に失礼しました。反省しています。
ところで、SunShineさんの考えはなかなか面白いと思います。
それに関連する古い記事をみつけましたので掲載します。
学研から出版されている、月刊ム―の1986年11月号の記事です。
テ―マは、江戸の怪談です。
以下は、それの一部を抜粋したものです。
(これより前は省略)
家康は将門をまつる神田明神を江戸総鎮守と讃えて、江戸城のうしとらにあたる外神田に移させ、30石の社領を寄進した。天海僧上が上野に開いた寛永寺も、うしとら鬼門の護りを固めるための一策である。
民俗学者で修験道の体験ももつ内藤正敏氏や神秘学評論家・荒俣宏氏の研究によれば、日光東照宮や芝増上寺、歴代将軍の墓所なども陰陽五行や華厳経マンダラ、風水の法則にしたがって配置され、江戸に集中する魔性の世界を封じ込めようとしているという。
こうして江戸は、もはや鬼や妖怪、神仏の祟りにおびえることのない人間中心の世界、権力と富とが最も力を持つ時代となった。しかし家康によって封印された魔性のパワ―は、それでもなお躍り出る機会をたえずうかがっていたのである。そして有利な条件がそろったとき、すなわち封印にわずかの裂け目が生じたとき、噴出した魔の力に人々は驚愕し、それを奇談・怪談として伝えたのだ。
では、その条件とは何か?
まず第1に場所である。都市はそれ自体が魔所だと先に述べたが、その中でも特に魔界との接点となる場所がある。一つは、川や池、沼など水に縁がある場所。七不思議の多くはこうした土地で語られている。池袋もそうした土地とみなされよう。次に都市のはずれ、境界にあたる場所、橋とか大木戸などである。四谷には大木戸があったし、池袋も江戸のはずれである。ちなみに民俗学者・宮田登氏によれば、現代では自殺の名所・高島平が、東京のはずれで隅田川をそばにひかえた魔所だという。
条件の第2は女性である。古来より霊媒や巫女の気質を男よりも強く宿してきた女は、江戸にあっても封印の彼方の力に敏感に反応し、さらには怪異が現実世界に出現する橋渡し役ともなったのだ。牡丹灯篭、四谷怪談から、振袖火事、池袋の女まで、怪異談の中心には常に女の姿があることを思い起こしていただきたい。
第3に、怨念を生むような人情のもつれが条件としてあがってくる。天下泰平の世にあって、私情のもつれやそこから生ずる犯罪は気≠フ安定を激しく乱す。特に仁義礼智と身分道徳を軸とした朱子学のシ―ルドは、犯罪によってポッカリ穴をあけられてしまう。これこそ封じられていた魔性が待ち望んでいた機会なのだ。
こうしてみると、江戸を騒がせた怪談の大半が、色と欲ゆえに乱れた人間のしがらみから発していることがうなずけるだろう。それは合理主義の秩序が乱れたスキに、魔所を通路とし、女性を橋渡し役として都市の真っ只中に出現した異界のもののけたちのおたけびでもあるのだ。
江戸の怪異伝は、江戸の都市学の秘密を明かすとともに、近代合理主義で化粧した現代東京の考現学にも通じている。
以上です。
現代の日本は、結界が破れているとしか思えないのだが真相はどうなのか?
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