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「戦後、今なお」
東京・両国の横網町公園。その片隅に、東京都慰霊協会はある。古びた小さな建物を、東京空襲犠牲者名簿の確認のために訪れる人たちが、今も絶えない。今年4月からの半年間で延べ275人が名簿の確認に訪れ、115人が親族の名を新たに登録した。3月時点で7万6784人だった名簿に、戦後60年の今もなお、犠牲者の名が刻まれている。
戦争中、100回を超す空襲にさらされた東京。都内各地に仮埋葬されていた約10万5000人の遺骨が、公園内の慰霊堂に納められている。大半が、空襲で身元を示すものを失い、遺族のもとに戻れなかった人たちだ。
戦後50年の年、天皇、皇后両陛下が「慰霊の旅」の締めくくりとして訪れ、東京大空襲の3月10日に営まれる法要には毎年、皇族が参列する。しかし、首相が訪れた記録はないという。「英霊」を祭る神社と違い、猛火の中で命を失った10万人の庶民が眠る慰霊堂は、首相の関心を呼ばぬらしい。
薄暗い慰霊堂に入り、手を合わせた。私の祖父も、ここに眠っているはずだ。【丸山雅也】
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/yuuraku/archive/news/2005/11/20051108dde041070028000c.html
「ガジュマルの下で」
11月というのに、アスファルトの照り返しがきつく、歩くと汗が噴き出た。
崇元(そうげん)寺は、歴代琉球国王の位はいを祭る国廟(びょう)で、16世紀初頭の建立と推測されている。沖縄戦の最激戦地の一つで米軍が「シュガーローフ(棒砂糖)」と呼んだ台地に近く、寺は壊滅して厚さ4・5メートルの琉球石灰岩の石垣とアーチ門だけが残る。
そのアーチ門をくぐると、クワ科の常緑樹、ガジュマルが石垣に根を張り巡らせていた。幹から地面に向かって伸びる根「気根(きこん)」は幾重にも絡まり、直径約2メートルの巨大な幹に見える。四方20メートルほどに低く伸びた枝が日差しを遮る。汗が引き、体の熱が冷めていくのが分かる。
日米両政府が合意した在日米軍再編協議の中間報告には、熱く勇ましい言葉が並ぶ。「同盟に基づいた緊密かつ協力的な関係」「新たな脅威や多様な事態に対応するための同盟の能力を向上させる」「共通の戦略目標を達成」
簡単に言えば、日本は米国と共に戦うということだ。だがその結果、何がもたらされるのか。熱から離れて考えたい。【三森輝久】
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/yuuraku/archive/news/2005/11/20051108ddg041070009000c.html
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