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2005年7月26日、第1回審尋が開かれた。東京地方裁判所民事第9部は合議体で審理することを決定し、青木晋裁判長、平田晃史裁判官、西野光子裁判官という布陣。
当日までに、国(警察庁)と警察庁記者クラブ幹事社3社(産業経済新聞社〈産経新聞〉、テレビ朝日、日本経済新聞社=当時)の主張は書面で提出されていた。そのなかで、まず驚かされたのが、「警察庁長官は定例の記者会見を行っていない」というもの。「警察庁長官は警察庁記者クラブに所属する記者に対し、懇談する機会を設けている」そうだ。これは国と幹事社3社が異口同音に主張している。
「記者会見」と「懇談」で比べれば、前者のほうがより公式かつオープンな行事と考えられる。「記者会見」と称しながら、特定の記者だけしか出席できなかったり、特定の記者が排除されたりしていては、裁判所も「取材・報道の自由」との兼ね合いで、引っかかるものが出てくるであろう。
2005年8月1日、武部勤自民党幹事長は、「(同党)役員が、記者会見を除いて、朝日新聞社の取材を自粛(拒否)する」と発表した。朝日新聞社が「安倍晋三、中川昭一、両自民党衆議院議員がNHKへ圧力をかけ、番組を改変させた」と報道し、その取材の録音内容が外部へ漏れたことに対する措置。ここで重要なのは「記者会見を除いて」という部分だ。筆者が自民党幹事長室を取材すると、次のようなコメントが得られた。
「自民党として国民に対する説明責任があるので、朝日新聞社を記者会見からまでも排除することはできない」
公人が記者会見を開くのは「義務」と考えられる。そうしなければ、国民の「知る権利」にこたえられない。「知る権利」については最高裁判所が、いわゆる「博多駅事件」で、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである」と判示し以後、下級裁から最高裁までが踏襲している。
しかし、公人が記者会見から自分に批判的なメディアや記者を排除していったら、どうなるか。記者会見には、公人にとり、都合がいい質問しかしない記者ばかりが残る。これでは、国民の「知る権利」にこたえられないばかりか、それが侵害されているといえる。
漆間巌警察庁長官が自らの記者会見へ舩川輝樹『週刊現代』副編集長と筆者を出席させたくない理由は、1つしかない。愛知県警察本部長時代(1996年8月20日〜1999年1月8日)、自分が直接関与した不正経理(既報〈漆間巌警察庁長官が「捜査費」で宴会を開いていた!〉〈漆間“裏ガネ”兄弟〉参照)につき、質問されたくないからである。
従前、警察庁は公の場で、「警察庁長官の記者会見」と明言してきた。例えば、1997年11月7日、衆議院法務委員会での質疑応答を見てみよう(一部要約)。
■北村哲男議員(民主党)
10月31日の『読売新聞』によりますと、警察庁長官が官房長官の「“徳政令”発言を批判」という見出しの記事が出ておりました。
その内容を読みますと、官房長官が10月23日の衆議院の財政構造改革特別委員会の席上で、総会屋につけ届けとかしてきた人は言ってください、そうしたら罪を免除するといった徳政令みたいなことが大分前にあった、思い切ってもう1回やって、このような事件は根絶しなければならないと言ったということに対して、警察庁長官が、総会屋と関係を続けている企業に対しては厳然として対処すると言って、官房長官の見解は受け入れられないとの立場を明らかにしたという報道があるわけです。
警察庁長官はどういう意図でそういうことをおっしゃったのか。要するに官房長官の発言を批判されたというふうなことで、そのまま受け取っていいのかどうか。御説明をいただきたいと思います。
■佐藤英彦警察庁刑事局長(当時・2002年8月2日から2004年8月13日まで、警察庁長官)
かねてより企業が暴力団、総会屋等との関係遮断に向け真摯に努力している場合には積極的に支援してまいるというぐあいに申し上げ、企業からの警察に対します積極的相談を呼びかけてきたところでございます。
しかし、そのような努力の見られない企業、あるいは警察の捜査により結果として暴力団、総会屋等への不正な利益供与が判明した企業につきましては、厳正な態度で臨むことは当然であるというぐあいに考えておりまして、先日の警察庁長官の発言もこのような趣旨でなされたものでございます。
官房長官が答弁されましたときには、いわば徳政令みたいなことがあったと申し上げた趣旨といいますのは、警察におきまして、平成4年ごろから、先ほど私が答弁申し上げましたようなことを企業に対しまして直接申し上げてまいりました。そうして、平成6年に警察庁長官が「記者会見」におきまして同種の発言をいたしたわけでありますけれども、その際に、報道は、過去は問わずという報道がなされました。そのことを指しているのではないかというぐあいに推測をいたします。
ちょっと寄り道になるが、佐藤局長(当時)が力説する「努力」とは「警察から天下りを受け入れること」だ。バブル経済以降、警察は企業を商法違反(総会屋への利益供与)で取り締まる一方、OBを総務部門へ受け入れさせるという、それこそ総会屋まがいの行為をくり返してきた。
1996年夏、元専務らが商法違反で大阪府警察本部に逮捕された高島屋(大阪府大阪市)では、直後に「法務対策室」なる部署を新設し、東京と大阪で2名ずつの警察OBを迎え入れた。本社がない、つまり総会屋が来るとも思えない東京でも天下りを受け入れさせたのは、ひとえに警察のアメとムチの威力である。
舩川副編集長と筆者が調べてみると、警察庁記者クラブ幹事社3社は常に「警察庁長官が定例記者会見を開いた」と報道しており、「警察庁長官が記者らと懇談した」と報道しているものは皆無だった。
これについて、産業経済新聞社とテレビ朝日の記者は「陳述書」で、以下のとおり弁明している(日本経済新聞社記者の「陳述書」では、特に触れられていない)。
《このような懇談について、紙面では「会見では」と書く場合もありますが、これは、読者にわかりやすく伝えるための方便にすぎません》(大塚創造産業経済新聞社記者)
《テレビなどで報道する際に「会見で述べた」などと表現しているのは、視聴者に分かりやすく伝えるための便宜上の措置です》(大野公二テレビ朝日記者)
読者や視聴者もずいぶんなめられたものである。しかし、この手の記者なりメディアなりが読者や視聴者から見捨てられる日はそれほど遠くないと断言できる。
http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/2005/11/6br_9415.html
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