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(回答先: 「公明が恐れる自公決別の日」というそもそもの記事の本題を中心に紹介をすればよかったのかもしれません 投稿者 外野 日時 2005 年 11 月 06 日 17:43:25)
「文藝春秋」2005年11月号
公明が恐れる自公決別の日
創価学会あっての圧勝。自民議員は「公明族」だ
山村明義(ジャーナリスト)
九月四日、選挙戦中盤のラストサンデー。小泉首相は最も人通りが多い昼の時間帯に、東京・北区の赤羽駅前で遊説カーの壇上に立った。首相を取り囲むように集まった群衆の数はおよそ一万二千人。その真ん中に国旗・日の丸を振らない五千人ほどの集団が陣取っている。彼らの正体は、東京一二区で「自公統一候補」として出馬した公明党の太田昭宏幹事長代行の支援のため、近隣から集結した創価学会員たちだった。
この演説に聴衆を動員するために駆けずり回った自民党員の一人はこう語る。
「創価学会の人は、日の丸を受け取らず早くから集まっているから、一目でわかる。公明党支持者の数は自民党が動員した人数をすぐに上回り、その学会員よりさらに多い一般の聴衆が取り囲んだ。これが今回の総選挙での”小泉支援”のかたちだと思いました」
周知の通り、九月十一日の総選挙で、自民党は空前の小泉旋風を巻き起こし、公示前より八十四増やす二百九十六議席を獲得した。公明党の三十一議席と合わせて連立与党の議席は全体の三分の二以上を占める三百二十七に達した。
参議院議員の舛添要一も、青木幹雄参議院会長を始めとする自民党執行部からの依頼を受け、太田昭宏の応援演説のため東京一二区にかけつけた一人である。
九月八日に北区・板橋駅前の遊説カーの上で候補者の太田の手を握り高々と挙げて学会員の観衆を沸かせた舛添は、前の遊説場所から太田のもとに駆けつける際、学会員と思われる運転手がカーナビにも載っていないような狭い裏道を先導して、時間通りに会場へ到着したことに驚かされた。
「前回の総選挙でも、三人の運転手がリレーして最短時間で移動できたことがあります。創価学会の人たちは、あらかじめ住宅地図に色を塗って、一軒一軒つぶしながら選挙区を回っていますが、今の自民党は、全くそんなことやっていない。東京・新宿や大阪の梅田など繁華街で街頭演説会を開くばかりで、公明党のような地元に密着した選挙対策をやっていない。組織としての自民党はすでにぶっ壊れている。今回の総選挙で、自民党は公明党に生命維持装置を握られたといえます」(舛添)
「九・一一」選挙では、戦術面で二つの側面があったといえる。
一つは、争点を郵政民営化一本に絞り、造反派に女性刺客を次々と送るなど、小泉人気を武器とする「空中戦」。もう一つは、組織力が脆弱な自民党を側面支援し、創価学会と協力して支持者を増やした、公明党を中心とする「地上戦」である。戦争にたとえると、自民党が”制空権”を握り、公明党が”地上戦”を制して敵を駆逐したのである。
獲得した議席数だけを見れば、自民党が圧勝したのに対し、公明党は前回の三十四議席から三つ減らし「一〇分の一政党」となった。だが、目立たない足元の選挙戦では、公明党が自民党の弱点を補う「自公融合選挙」を展開し、自民党をリードしていた。つまり自民党の「顔」は一般大衆に受ける小泉首相だが、足腰は公明党・創価学会に支えられていたのである。
公明党・創価学会に一貫して批判的だった自民党の平沢勝栄衆議院議員は、東京一七区で今回初めて彼らへの批判を控え、「公明党支持者でも支援したい人には支援してもらう」という「自然体」で総選挙に臨んだ。
その平沢が自公融合選挙の実態を語る。
「東京の全二十五選挙区で公明党から推薦を受けなかった候補は、私と石原伸晃・宏高兄弟だけ。それでも今回は、私の支持者の中にも、”比例区は公明党に”と呼びかける人がいました。それだけ自民党全体が学会票をもらうことへの抵抗感が薄れてきているんです。私は死に物狂いで選挙をやりましたが、いまの自民党は国会議員一人ひとりがひ弱になって”ドブ板選挙”を嫌い、選挙で楽をしている。だから堂々と”比例区は公明”と叫ぶ議員が増えてきているんでしょう。公明党の票は一選挙区当たり平均一万五千人と考えていますが、これは日本医師会などどんな支援団体でも敵わない数。その票欲しさに、いまや自民党議員は、”公明族議員”になったんです」
「比例は公明。これに尽きる」
ではここで、具体的に自公の協力関係を検証してみよう。
九九年十月、公明党が自由党と共に自民党と連立与党を組んで以来、今回は補選を除くと五回目の国政選挙であった。連立当初は互いの不信感から個別の票のパーター関係にとどまっていた両者の選挙協力は、二〇〇三年十一月の総選挙を境に組織的なものとなり、明らかに臨界点を突破。以後、自公は融合の度合いを深めていった。
自由党が民主党に合流して二大政党制が現実味を帯びてくると、こうした流れは加速する。自民党はなりふり構わず公明党に接近し、公明党側もそれを受け入れてきたのである。その結果、二〇〇四年七月の参院選には、「比例区は公明党に」と自民党候補や支援者が絶叫し、公明票を回してもらうために政治家にとって命の次に大事といわれる後援会名簿を学会の運動員に渡す議員まで現れた。
今回はさらに自公協力の方法が進化し、自民党執行部自らが「自公融合選挙」の旗振り役を行うまでになった。自民党の武部勤幹事長は、解散直後から「自公で郵政新党」「自公で改革新党」を連呼し、自民党候補の応援に来た愛知県では、「(比例区は)公明党をよろしく」と訴えた。また、引退したとはいえ党内で一定の力を持つハマコーこと浜田幸一は、兵庫二一区で出馬した河本三郎(小選挙区当選)の応援に訪れた九月七日、兵庫県安富町でこう声を張り上げた。
「今度の選挙は一つだけ。比例は公明党。これに尽きる。頼むよ、皆さん」──。
こうした例など、わずか三年ほど前には考えられなかったことである。
本誌では全国三百小選挙区のうち、ちょうど一割に当たる三十小選挙区の自民党公認候補と自民党籍を有する無所属候補者(造反候補者)に対して、無作為にアンケートを行った。質問内容は自公協力の実態とその効果を問うもので、回答を(1)「候補者本人が『比例区は公明党』と言った」(2)「その他の方法で自公協力を行った」(3)「公明党と全く選挙協力を行わなかった」の三通りに分けた。結果は、(1)が二人、(2)が二十三人なのに対し、(3)はわずかに四人。実に八割以上の陣営が自公で何らかの選挙協力を行っていることが判明した。その連携も「比例区は公明に」と呼びかけるだけではなく、スムーズかつ多様化していることが窺える。
「本人も比例区は公明と言い、各事務所には”小選挙区は斉藤斗志二、比例区は公明党”と書いたものを掲示させることを徹底した」(静岡五区・斉藤斗志二選対幹部=比例区復活当選)という陣営がある一方で、茨城三区の葉梨康弘のように、自民党の強い地盤では「比例は公明というアビールは全くしなかった」という陣営もある。しかし、これはむしろ少数派で、大多数は「応援演説に来た市議会議員が、”比例は公明に”と訴えた」(徳島一区・岡本芳郎選対幹部=比例区復活当選)、「お互いに演説会に行き来をするなど、四点の話し合いをしたが、前回ほどきつい縛りがなかった」(滋賀三区・宇野治陣営関係者=比例区復活当選)と協力関係を認め、全体的に公明党側が自民党側の事情に配慮したため、方法を自発的に選んでいる陣営が多い。
ポスターに「比例は公明党」と謳わなくともパンフレットに刷り込む、後援会名簿でなく支援者カードに書いて提出したなど、多様な方策が練られた。「選挙中は、公明党に(方法は)”僕に任せてくれ”と言いました。遊説中は公明党の議員にマイクを渡したことはあります」(千葉一一区当選・森英介)と今回の自公協力は、公明党が無理強いせずとも果たされたケースが多い。それだけ両党の協力関係は熟度を増した、といえよう。
公明党から推薦を受けた自民党の小選挙区候補は、過去最多の二百三十九人。全体の約八割に及び、さらにその約八割の百九十人が当選を果たした。「このうち三十人から四十人は公明票がなければ確実に当選できなかった」(政治部記者)と見られ、公明支援の効果は絶大だったと言える。
かたや「自民から来た票は約百万票」と分析する神崎武法公明党代表は、選挙戦をこうふり返る。
「解散当初は、自民党が分裂した間隙をついて民主党が漁夫の利を得る可能性もあったので、こちらも今まで以上に力を入れました。自公の選挙協力はお互い何回も行って進化し、小選挙区で唯一沖縄を落とした以外は非常にうまく行った。それが証拠にくわずか一カ月の準備期間で公明党は比例区を過去最高の八百九十八万票まで押し上げることができています」
協力が進みすぎたのか、こんな笑えないケースもあった。東京の比例ブロック名簿順位一位の猪口邦子は、前出の平沢の選挙区で演説を行ったが、親交が深いわけでもない平沢を応援したのは、「『比例区は自民』と堂々といえる選挙区が少ないから」だったという。
一回の演説で数万票
一方、自民党も公明党からの支援に対し、連立のパートナーとして最大限の配慮を見せていた。特に兵庫八区で苦戦が予想されていた冬柴鐵三幹事長への支援は手厚いものだった。まず八月二十日、小泉首相が全国遊説を最初にスタートさせたのは、冬柴の地元、兵庫県。「一回、演説をすれば数万票増える」(自民党選対関係者)といわれた小泉のこと、影響は大きかった。冬柴は劣勢を挽回し、「投票日一週間前の調査時点で、民主党候補にすでに約七ポイントの差をつけていた」と全国紙記者は言う。九月八日にも小泉首相は応援演説を行い、冬柴の当選を確実にした。「兵庫県全体で自公は小選挙区で全勝し、自民党の協力に文句はない」(赤松正雄・兵庫県本部代表)というほどの成果だった。
自公選挙協力の調整のキーパーソンだった二階俊博総務局長が、いかに公明党に配慮したかを打ち明ける。
「自民党は、公明党との選挙調整にほとんどのエネルギーを注いでいるという感じでした。特に東京一二区、大阪三区、沖縄一区が”問題”選挙区でした」
「問題選挙区」の東京一二区では、公明党の太田昭宏を自公統一候補として擁立したため、自民執行部は八代英太に出馬辞退を申し入れた(結局は無所属で出馬)。大阪三区では、自民党の柳本卓治を比例区に回して、公明党副幹事長の田端正広を統一候補とした。
また沖縄一区では、事前の世論調査で、統一候補の白保台一(公明)の苦戦が判明し、焦る公明党の魚住裕一郎選対委員長は九月五日、二階に「中央からの支援が足りない」と、小泉首相の沖縄訪間を強く催促してもいる。
「総理の沖縄遊説は選挙後半でスケジュール調整がつきませんでしたが、沖縄一区では七十四歳の仲村正治議員(自民)に、総理や武部幹事長、安倍晋三幹事長代理の決断で(七十三歳を超えて比例区で出馬できない)党規の例外扱いとして、比例九州ブロックに回っていただいている。他の公明党議員が立候補した選挙区には小泉総理に何度も応援に行ってもらった。これはいかに公明党との選挙協力を考えているかのあらわれです」(二階)
自民党の協力にもかかわらず、白保は落選した。同選挙区を約五千票差で制した下地幹郎(無所属)が語る勝因は興味深い。
「九州ブロックで唯一の公明党小選挙区候補なんで、応援がすごかった。練り上げられたプロが、相当な人数入ってきて壮絶な選挙戦でした。口に出して言えませんが、嫌がらせもいろんな手段でありました。(公明)アレルギーがなくなってきたというけど、創価学会に対するアレルギーが選挙民に噴出したことが僕の勝因の一つだと思っています」
裏を返せば、東京一二区や兵庫八区など、小泉が選挙区入りした選挙区では、首相演説が、一般の有権者や自民党支持者の「創価学会・公明党アレルギー」を薄める特効薬となったといえよう。自民の「比例は公明」という訴えとともに相乗効果を呼んだのである。
かつて小泉首相は、「自民党員でありながら、”比例区は公明党に入れてくれ”と堂々と言わざるを得ないのは、政党の自殺行為だ」と嘆いたことがある。また、飯島勲秘書官も、二〇〇三年十一月号の本誌で「公明党との連立を解消すれば、支持率が二〇%以上、上がる」と豪語するほど、小泉首相とその周辺には「学会・公明アレルギー」があった。それがいまや公明党だのみの選挙戦に、周辺も口を閉ざしたまま。これは政権中枢が公明党の選挙協力に大きなメリットを感じ取っている明確な証拠である。
公明党の広報局長・高木陽介も、
「六年間の連立政権の成果で、自民党の”公明党=創価学会だから自分たちとは違う”というイメージが変わった。同じ政治の土俵に乗ってみると、意外に政策的には似たような所を歩んで来れた。だからお互いの抵抗感がなくなってきたんです」という。
「創価学会に裏切られた」
今回の選挙戦をふり返ると、自公は選挙協力というレベルにとどまらず、一つに融合してしまった、というのが実態である。象徴的なのは、かつて自民党内で創価学会との関係が「最も近かった」とされる野中広務元幹事長を遠ざけているフシがあることだ。
野中は京都四区で、自らの後継者であり造反派の田中英夫陣営を全面支援した。ところが、関西創価学会の対応は不可解なものだったという。
「九月一日に野中氏が田中英夫氏の選挙事務所で創価学会の西口良三総関西長と会い、選挙協力を依頼したというのが京都では定説。ところがフタを開けてみると、田中さんの票は都市部の右京区と西京区での得票を前回より大幅に減らし、百五十六票差の僅差で落選した。小泉首相が力を入れていた選挙区だったから、小泉効果もかなりあったのは間違いないが、選挙後、野中氏は”創価学会に裏切られた”と憤懣やるかたない様子でした」(京都政界関係者)
京都四区では創価学会のかなりの票が、今回は自民党が推した中川泰宏陣営に流れた可能性は高い。かつて一枚岩の信頼関係を築いた相手をそでにしてまでも、勝ち馬の自民党に乗っかっているのである。
確かにかつては創価学会が半年から一年をかけて「F票」と呼ばれる一般有権者の支援票を積み上げ、公明党がその土台の上に乗る選挙を展開したが、今回の総選挙は全国的に、より「公明党主導」色が強まっている。
「飯島勲首相秘書官が解散前の八月五日に創価学会の八尋頼雄副会長に会って、選挙について話をつけてはいます。しかし現場では公明主導でした。七月の都議選で学会の運動員たちが疲弊していたところへのハプニング的な解散で選挙体制が作れなかった上に、”こうなったのは政治の責任だ”という想いもあり、学会側は醒めていた。そのため、最初は公明党が選挙を組み立てた。投票日直前には学会も支援に本腰を入れたが、選挙を終始リードしたのは党の方でした」(創価学会関係者)
東京比例区で当選した前出の高木が、「公明主導選挙」をこう自認する。
「これまでも公明党の運動量はあったんですが、学会という大きな組織に隠れて目立たなかった。それが、地方議員を含めた約三千五百人がいよいよ前面に出てこられるようになってきた。与党として場数を踏んできた経験が生きているんだと思います」
実際、今回は自民党と学会幹部との接触も少なかった。昨年の参院選前に秋谷栄之助・創価学会会長と会談したとされる青木幹雄参院会長も「今回は創価学会幹部には会っていない」と語り、また公明党とのパイプ役の一人である二階も、選挙前は「今回は電話のやり取りだけで失礼した」という。結局、選挙調整担当者の二階が学会幹部と顔を合わせたのは、八月二十九日夜、太田昭宏陣営の事務所開きの場であった。
八月八日の解散直後、党首会談で小泉首相から「選挙の日は九月四日と九月十一日のどちらがいいか選んで下さい」といわれた神崎代表は、冬柴幹事長と協議して即座に、つまり学会に相談せずに十一日の総選挙を選んでいる。これは「公明党主導」を何よりも物語る。
支援団体の創価学会ではなく、自民党のパートナーである公明党が主導したことが、先に指摘した自公の融合を可能にしたといえよう。
自公関係の行方
自民党の一部には、「この際、自公が一つの党として合体してもいいのではないか」という声も聞かれる。しかし強固な共闘体制を組み、合わせて三百二十七議席もの巨大勢力となった連立関係であっても、「一つの党に合体する」となると話は別のようだ。
青木幹雄参院会長はこう語る。
「自民党と公明党が全体的に一体化してきたとはいえるでしょう。ただ、将来、一つになることはない。宗教上の問題がありますから。公明党が恋人?とんでもない。信頼できる友党であっても、将来”夫婦”になることもあり得ません」
公明党に近い二階氏も、「遠い将来のことはわからないが、党のアイデンティティが違うから、一つの党にまとまることはあり得ない」と同調する。
一方、公明党の神崎代表はどう考えているのか。
「確かに自民党の中にも”もう自公一体だから一緒になりましょうよ。神崎派になればいいじゃないですか”という人が結構いる。だけど、基本的にはいまの関係で行くと思いますよ。こちらはかつて新進党の時に、公明党を解党して合流し失敗した苦い経験がある。いまのままで緊張関係と信頼関係を維持していけばいいのではないかと考えています」
実は自公は日本の「国家観」にからむ政策面で、ことごとく対立している。
前出の平沢はこう語る。
「政党の最も大きな意義とは、憲法や安全保障などの国家的な問題で同じ価値観の人間が集まっていることなんです。しかし現実の政治的課題を見れば、憲法改正、教育基本法改正、外国人参政権問題、人権擁護法案、靖国問題など、両党の考え方が基本的に異なるものが少なくありません」
公明党も政策面での隔たりを認める。
「これから難しい問題が出てくる。教育基本法の改正、憲法改正は先送りできない状況になっていますからね。特に憲法改正問題は、自民党とギリギリの交渉をしなければならない。私どもは憲法九条については、自衛隊の存在は認めて国際貢献も可能とするが、集団的自衛権の行使は許されないという立場を取っています。そこは自民党とぶつかる点でしょう」(神崎代表)
憲法問題では自公の政策調整のキーパーソンで、自民党の新憲法起草委員会事務局次長も務める、前出の舛添ですらこう語る。
「私はいま憲法と外交・安全保障の与党協議に自民党代表として出ていますが、ウチはタカ派的で公明党はハト派的。そこで必ずぶつかるんです。例えば浜四津敏子さん(公明党代表代行)は、参議院の憲法調査会で、”憲法九条の一項も二項も守りましょう”と言う。しかし第二項には、陸海空の戦力は持たないと書いてある。私たちの主張は自衛軍を持つことですから、考えが違います」
この「国家観」をめぐる衝突は、最近の公明党が日本の「国のかたち」を作ることに積極的な姿勢を示していることと密接な関係がある。
公明党はかつて、自民党の口さがない向きから「小骨政党」だと蔑まれていた。「国家観のような大きな骨格部分は自民党が決め、小骨の部分を公明党が決める」(自民党元幹部)というように暗黙の役割分担があったからだ。だが様相は大きく変化した。
前出の高木はこう明かす。、
「いまや創価学会は一般社会に同化しています。学会は日本の縮図といってもいい。憲法でも、学会の人たちに理解されないことは一般の人たちにも理解されない。逆に一般の人たちに理解されることは、学会の人たちにも理解されるんです」
この高木の発言は、創価学会の意を受けた公明党が憲法間題でもイニシアチブを握ってもいい、という意味にも受け取れる。
「生命維持装置」を握った以上、公明党が「小骨政党」を返上せんと、日本の根幹部分である憲法問題に前向きに乗り出しているのが今の実態だ。そのために公明党は今後、自民党をあらゆる手段で揺さぶってくるだろう。
自民党関係者が語る。
「衆院の議席では圧倒的に優位ですが、参院では自公でかろうじて過半数という状態。しかも二年後の参院選は、〇一年の”小泉旋風”のさ中に当選した組の改選にあたる。衆院選で圧勝したゆり戻しも予想され、自民党が大幅に議席を減らしてもおかしくない。自民党はまだまだ公明党に頼らざるを得ないんです。
公明党が議席を三つ減らしたことからも分かるように、そもそも自公の選挙協力は自民にとっての方が遥かにメリットは大きい。公明に連立離脱をほのめかされたら、自民党は迎合せざるを得ないかもしれません」
事実、公明党の冬柴幹事長は、衆院解散前の七月二十七日に日本記者グラブで、「仮に選挙で民主党が勝った場合はどうするのか」という質問に、「民主党と連立を組むことも躊躇しない」と明言し、党内外に大きな波紋を呼んだ。神崎代表は「あれは頭の体操」「理屈では将来的にあり得るという話」などと打消しに躍起となったが、創価学会に近い筋からはこんな声も聞かれる。
「冬柴氏の発言は、とにかく与党にいて主導権を握りたいという創価学会の本音を代弁したものと思われています。神崎代表や太田幹事長代行のような学会エリートと違って、冬柴氏は奥さんに勧められて学会入りした人で、学会での地位も高くない。だからこそかえって、党より学会の意向を忖度して発言しがちなんです」
確かに元々政策的には近い民主党との連携は、公明党の選択肢のひとつだ。しかも実際に各小選挙区を見ると、一万票差以下の接戦となった地区も少なくない。これはすなわち、各選挙区に一万五千〜三万といわれる公明票の動き次第で、今回とまったく逆の結果が起きかねない、ということでもある。
「与党にいて主導権を握りたい」公明党が自民党と民主党を両てんびんにかけて、政局のイニシアチブをとることも考えられるのだ。
前出の平沢はこう危倶する。
「選挙支援で助けられるうち、いまの自民党はレゾンデートルを失い、政策面でも多くを公明党に頼る体質になっている。もう一度、自民党のアイデンティティをしっかり考えないと、これから難しい局面が来るかもしれません」
力と自信をつけたとはいえ、事態は公明党にとって好都合な展開ばかりではない。自民党関係者の間では、こんな声も根強い。
「高齢の池田大作名誉会長が亡くなれば、創価学会は広宣流布という政治への大義名分を失い、選挙に行かない学会員が増えるに違いない。その時こそ、自民党が公明党を吸収合併する可能性はある」
公明党が最も恐れるシナリオがある。ある公明党関係者はこう語る。
「公明党が小泉首相の次に総理にしたいと考えているのは、福田康夫なんです。なぜなら、保守派の安倍晋三よりもリベラルな福田の方が公明とのバランスが取りやすいからです。集団的自衛権の憲法明記に前向きな前原誠司が民主党代表に選ばれたため、自・民が憲法改正で協調すれば、公明が埋没する可能性もある。平和政党としての公明党は、安倍のように憲法九条改正を推進するような保守派のリーダーが出てくることを、いまでも極度に恐れている」
仮に自民党と民主党が組めば、衆院で四百九議席、参院で百九十四となり、憲法改正に必要な「両院議員総数の三分の二」を大幅に上回る。そうなれば、公明党の存在意義が失われてしまう。
実際、神崎はこんな本音を漏らしている。
「自民党が三百議席近く取るとは予想外でした。自公で過半数は取れるとしても、(前回選挙より)二十〜三十議席は落ちるんじゃないかと見ていた。本当はもう少し適正規模だと良かった」
国民の信を得た小泉首相が世論と数をたのみに憲法改正など公明党と主張の食い違う政治課題に踏み込み、両者が袂を分かつ日が来るのだろうか。
(文中敬称略)
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