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「六年間の連立政権の成果で、自民党の”公明党=創価学会だから自分たちとは違う”というイメージが変わった。同じ政治の土俵に乗ってみると、意外に政策的には似たような所を歩んで来れた。だからお互いの抵抗感がなくなってきたんです」(公明党の広報局長・高木陽介)
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「文藝春秋」2005年11月号
公明が恐れる自公決別の日
創価学会あっての圧勝。自民議員は「公明族」だ
山村明義(ジャーナリスト)
…(略)…
獲得した議席数だけを見れば、自民党が圧勝したのに対し、公明党は前回の三十四議席から三つ減らし「一〇分の一政党」となった。だが、目立たない足元の選挙戦では、公明党が自民党の弱点を補う「自公融合選挙」を展開し、自民党をリードしていた。つまり自民党の「顔」は一般大衆に受ける小泉首相だが、足腰は公明党・創価学会に支えられていたのである。
公明党・創価学会に一貫して批判的だった自民党の平沢勝栄衆議院議員は、東京一七区で今回初めて彼らへの批判を控え、「公明党支持者でも支援したい人には支援してもらう」という「自然体」で総選挙に臨んだ。
その平沢が自公融合選挙の実態を語る。
「東京の全二十五選挙区で公明党から推薦を受けなかった候補は、私と石原伸晃・宏高兄弟だけ。それでも今回は、私の支持者の中にも、”比例区は公明党に”と呼びかける人がいました。それだけ自民党全体が学会票をもらうことへの抵抗感が薄れてきているんです。私は死に物狂いで選挙をやりましたが、いまの自民党は国会議員一人ひとりがひ弱になって”ドブ板選挙”を嫌い、選挙で楽をしている。だから堂々と”比例区は公明”と叫ぶ議員が増えてきているんでしょう。公明党の票は一選挙区当たり平均一万五千人と考えていますが、これは日本医師会などどんな支援団体でも敵わない数。その票欲しさに、いまや自民党議員は、”公明族議員”になったんです」
「比例は公明。これに尽きる」
ではここで、具体的に自公の協力関係を検証してみよう。
九九年十月、公明党が自由党と共に自民党と連立与党を組んで以来、今回は補選を除くと五回目の国政選挙であった。連立当初は互いの不信感から個別の票のパーター関係にとどまっていた両者の選挙協力は、二〇〇三年十一月の総選挙を境に組織的なものとなり、明らかに臨界点を突破。以後、自公は融合の度合いを深めていった。
自由党が民主党に合流して二大政党制が現実味を帯びてくると、こうした流れは加速する。自民党はなりふり構わず公明党に接近し、公明党側もそれを受け入れてきたのである。その結果、二〇〇四年七月の参院選には、「比例区は公明党に」と自民党候補や支援者が絶叫し、公明票を回してもらうために政治家にとって命の次に大事といわれる後援会名簿を学会の運動員に渡す議員まで現れた。
今回はさらに自公協力の方法が進化し、自民党執行部自らが「自公融合選挙」の旗振り役を行うまでになった。自民党の武部勤幹事長は、解散直後から「自公で郵政新党」「自公で改革新党」を連呼し、自民党候補の応援に来た愛知県では、「(比例区は)公明党をよろしく」と訴えた。また、引退したとはいえ党内で一定の力を持つハマコーこと浜田幸一は、兵庫二一区で出馬した河本三郎(小選挙区当選)の応援に訪れた九月七日、兵庫県安富町でこう声を張り上げた。
「今度の選挙は一つだけ。比例は公明党。これに尽きる。頼むよ、皆さん」──。
こうした例など、わずか三年ほど前には考えられなかったことである。
本誌では全国三百小選挙区のうち、ちょうど一割に当たる三十小選挙区の自民党公認候補と自民党籍を有する無所属候補者(造反候補者)に対して、無作為にアンケートを行った。質問内容は自公協力の実態とその効果を問うもので、回答を(1)「候補者本人が『比例区は公明党』と言った」(2)「その他の方法で自公協力を行った」(3)「公明党と全く選挙協力を行わなかった」の三通りに分けた。結果は、(1)が二人、(2)が二十三人なのに対し、(3)はわずかに四人。実に八割以上の陣営が自公で何らかの選挙協力を行っていることが判明した。その連携も「比例区は公明に」と呼びかけるだけではなく、スムーズかつ多様化していることが窺える。
「本人も比例区は公明と言い、各事務所には”小選挙区は斉藤斗志二、比例区は公明党”と書いたものを掲示させることを徹底した」(静岡五区・斉藤斗志二選対幹部=比例区復活当選)という陣営がある一方で、茨城三区の葉梨康弘のように、自民党の強い地盤では「比例は公明というアビールは全くしなかった」という陣営もある。しかし、これはむしろ少数派で、大多数は「応援演説に来た市議会議員が、”比例は公明に”と訴えた」(徳島一区・岡本芳郎選対幹部=比例区復活当選)、「お互いに演説会に行き来をするなど、四点の話し合いをしたが、前回ほどきつい縛りがなかった」(滋賀三区・宇野治陣営関係者=比例区復活当選)と協力関係を認め、全体的に公明党側が自民党側の事情に配慮したため、方法を自発的に選んでいる陣営が多い。
ポスターに「比例は公明党」と謳わなくともパンフレットに刷り込む、後援会名簿でなく支援者カードに書いて提出したなど、多様な方策が練られた。「選挙中は、公明党に(方法は)”僕に任せてくれ”と言いました。遊説中は公明党の議員にマイクを渡したことはあります」(千葉一一区当選・森英介)と今回の自公協力は、公明党が無理強いせずとも果たされたケースが多い。それだけ両党の協力関係は熟度を増した、といえよう。
…(略)…
協力が進みすぎたのか、こんな笑えないケースもあった。東京の比例ブロック名簿順位一位の猪口邦子は、前出の平沢の選挙区で演説を行ったが、親交が深いわけでもない平沢を応援したのは、「『比例区は自民』と堂々といえる選挙区が少ないから」だったという。
一回の演説で数万票
一方、自民党も公明党からの支援に対し、連立のパートナーとして最大限の配慮を見せていた。特に兵庫八区で苦戦が予想されていた冬柴鐵三幹事長への支援は手厚いものだった。まず八月二十日、小泉首相が全国遊説を最初にスタートさせたのは、冬柴の地元、兵庫県。「一回、演説をすれば数万票増える」(自民党選対関係者)といわれた小泉のこと、影響は大きかった。冬柴は劣勢を挽回し、「投票日一週間前の調査時点で、民主党候補にすでに約七ポイントの差をつけていた」と全国紙記者は言う。九月八日にも小泉首相は応援演説を行い、冬柴の当選を確実にした。「兵庫県全体で自公は小選挙区で全勝し、自民党の協力に文句はない」(赤松正雄・兵庫県本部代表)というほどの成果だった。
…(略)…
公明党の広報局長・高木陽介も、
「六年間の連立政権の成果で、自民党の”公明党=創価学会だから自分たちとは違う”というイメージが変わった。同じ政治の土俵に乗ってみると、意外に政策的には似たような所を歩んで来れた。だからお互いの抵抗感がなくなってきたんです」という。
…(略)…
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