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私は、ここで私の憲法観など語る気持ちは毛頭ない。いまは、それどころではないからです。私が、小泉首相に危ないものを感じ始めたのは、年金問題で、自分の未納を追求された時、民主党の管代表は、自分の未納の責任をとり、また、同じく、福田官房長官も責任をとって辞任した中で、自分は、首相でありながら、しかも、未納の時期は、不動産会社の居候で、働きもしなかったのに、人生イロイロなどと嘯き、議会で人を小馬鹿にするような振る舞いをするのを見たときです。直感的にこの首相は、日本を潰す。と思いました。その日を境に、首相のとりとめなさは、日を追ってひどくなりました。言葉を変えると、このひとは、狂っているとしか思えなくなりました。それは、郵政民営化の参議院、否決、衆議院解散で頂点に達しました。あの選挙をめぐる馬鹿騒ぎは、私を、絶望の谷間につきおとしました。さらに、選挙の自民大勝。私は、目を疑いました。
絶望した私は、他の人はどう思っているのか知りたくてインターネットのそれらしいサイトを片っ端から開き、森田氏の日本を斬るから阿修羅にたどりつき、木村氏から、玉井らぼをようやくの思いで見つけました。かって私は、玉井らぼのある本を翻訳しておりましたので、木村氏の情報は確かなものとの感触を得、ようやく、小泉首相のスキャンダルを知ることが出来ました。原因は、ここにあったのか、ようやく、あの狂った言動の原点がわかりました。分ったところで、現状は、かわりません。選挙に大勝し、絶対多数取った小泉政権には、もうなす術はありませんでした。
政策では駄目、選挙は、大勝を見せ付けられ、野党の民主党も大敗を喫した中でなす術はありませんでした。阿修羅の諸君の論調も、あまり勢いがありません。森田氏は小泉首相の独裁を認めるような暗い論調ばかり。どちらを見ても暗い表情ばかり。
その時でした、一体国民主権は、どうなるのだろうと思ったのは。国民主権は、戦後ずっと私を支えつづけてきました。これが、唯一の希望だったのです。そこでもう一度原点にかえって、国民主権を見つめてみようと思い立ちました。その時までの私は、本の出版以来、英語ずけでした。明けても暮れても英語、英語、夢の中にまで英語が出てくるような生活で。日本語の入る余地は、ありませんでした。しかし、この時ばかりは、国民主権を検索し、読み漁り、憲法の前文を目にしました。その時、私の中に電気が走りました。日本国民はで、始まる冒頭の文は、正当に選挙されたと、選挙からはじまっておりました。それを見たとき、私はこれだと思いました。選挙が正当なものでない限り、主権の発動はありえないのです。小泉首相の暴走を阻止する唯一の方法がそこにありました。御祭り騒ぎで始まった、小泉の選挙は憲法の示す、国民主権にもとずく厳粛さを求める選挙を踏みにじるものであったのです。
私は、日本憲法は、日本人を規定すると書きました。それに対し、憲法は、権力を行使するものを規定するものという異論が出ました。前文を読めば理解できることと思いますが、日本の憲法は、国政を行う権利である主権は、国民に存すると明記し、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表がこれを行使しとあります。このことは、国民の一人一人が国政を行う権利を保有することをはっきり謳っています。
日本人である限り、一人一人が主権者であり、正当な選挙と厳粛な信託ある場合のみ、主権が発動されることを憲法は、明記し、主権者たる国民は何をすべきかを規定しているのが、日本憲法の特異で優れた特徴なのです。ですから、いい加減で生半可な気持ちで、口からでまかせに憲法のことをいうのは、日本の憲法に関する限り慎まなければなりません。それが嫌なら、日本人をやめるがいい。国から出ていくがいいと、憲法は告げているのです。それゆえ、でたらめな人間に憲法のことは口にしてもらいたくありません。それほど、憲法における、主権は重いのです。
私は、日本の現状を救えるのは、これだと思い。すぐに、主権者として取るべき行動を取り、1回目の、’日本国総理大臣閣下、小泉首相に問う’をメルマガのブロブをとうして、首相に送りました。詳しくは、それをお読みください。私は、日本人として、課せられた主権を行使したに過ぎません。私同様、日本人としての主権者の責務を厳粛に果たす為に、同じ自覚にたって主権者としての権力を個々人が果たさない限り、小泉首相の無法を封ずる事は出来ません。評論家の口では、どうにもなりません。この事態において、責務を果たさない者は、小泉同様、憲法の下では、無法者ということになるからです。
選挙において御祭り気分で自民党にいれた者も同罪です。現憲法のもとでは、いい加減な者は、日本には要はないのです。それが日本というものです。だから、小泉も、自民党もそれから逃れる為、安易に憲法を改定しようとするのです。しかし、それは、無駄なことです。日本人はそれだけのものを外国と自国に対して負わされているのです。これは、日本に生まれた限り逃れられないのです。靖国に行っても無駄なこと。反小泉は、決してこの暴走を止められません。小泉と一緒に無法者の道を行くしかないのです。それで、憲法を変えて現代に生きる日本人の生き方と選択を求めるというなら止める術はありません。しかし、早晩、世界から見放され孤児になります。信用を失うからです。暴走と無法の報いです。これは、忘れないで欲しい。最早、人の意見を聞いている事態ではないのです。私は、一人になっても行動しなければなりません、憲法の息の根が止められるまで。私が、悲壮家ぶっているといいたいでしよう。思うのは、自由です。でも事態は、変わりません、刻刻と悪い方向へ動いていきます。もがけばもがくほど。日本は、世界では、特別な位置に置かれた国なのです。強欲なアメリカなどと、イラクで浮かれ騒いでは居られないのです。
投稿者:chaka at 21:53
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